top of page

北陸

4_17 北陸路『おくのほそ道』と『万葉集』

<越後と越中の境にある関所跡:JR越中宮崎駅より徒歩>

早朝宇都宮を発ち、両毛線で新前橋へ出て、上越線で六日町へ、青春18きっぷはここまで。北陸新幹線開業後、北越急行、えちごトキめき鉄道、あいの風とやま鉄道は別料金です。途中下車しながら、芭蕉を追体験し、大伴家持を訪ねて富山に行きました。

市振(いちぶり)で遊女と同宿/『おくのほそ道』の中で、越後路は「病起こりてことをしるさず」とあり、「荒海や佐渡によこたふ天河」の他、もう一句を残しただけです。市振は越後ですが、親不知を越えたので「越中の国 市ぶり(まま)といふ関に到る」と、勘違いしたのでしょう。

難所を過ぎて、疲れのため寝ようとしていると、別室から若い女性の声が聞こえてきます。会話から、越後の遊女が伊勢参りにいく途中だと分かりました。翌朝、心細い旅路であるから、見え隠れにでも同行願いたいと涙ながらに懇望されました。

しかし、所々寄る旅なのでと、同行を断りました。それでも気になったのでしょう、折しも昨夜は中秋の名月だったので、「一つ家に 遊女もねたり 萩と月」の句を残しました。市振の宿のことは『おくのほそ道』全体の中でも際立った場面で、同宿者を描いた唯一の場面です。

夏の芭蕉の旅を追体験のため、親不知から国道8号を歩きました。トンネルの中ではトラックが来れば壁に張り付き、排気ガスに悩まされ、トンネルを抜けると真夏の陽の照り返し、足裏に伝わる地温に悩まされ、県境の境川では、座り込んで腰まで水に浸かり、何とか越中宮崎の関所跡まで歩き通しました。芭蕉との差は体力だけではないようです。

万葉集と越中/高岡駅から氷見線で15分の伏木(ふしき)は、奈良時代に越中と能登を治める国府があった場所です。大伴家持(おおとものやかもち)が国守として満5年間滞在し、国庁から見える立山の風景を「立山(たちやま)に 降り置ける雪を 常夏に(とこなつ)に 見れど飽かず 神からならし(夏の残雪を見ても飽きることがない。神の山だからだろう)」と詠んでいます。 

家持は、名門の大伴氏の長子でありながら、藤原氏の専制の中で官位も上がらず、不遇をかこっていました。そういう中で、全20巻・歌数4500首の万葉集を編纂しました。防人歌や東歌(あずまうた)などは庶民の哀感を詠ったものも採録し、歴史的にも貴重です。

自身が編纂した万葉集には、能越二国を巡視した折の風景など200首以上が載録されています。家持が越中に赴任したことで、日本の古典文学に厚みが増したとも言えます。

伏木には、万葉集関係の施設の他、越中一の宮、国宝の勝興寺もあります。伏木の次の駅雨晴(あまはらし)海岸から富山湾越しに望む立山連峰は家持の歌そのものです。

<国府のあった伏木:JR氷見線伏木駅徒歩>
<国府のあった伏木:JR氷見線伏木駅徒歩>

bottom of page