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北陸

4_16 砺波平野 散居村とチューリップ王国

<「あずまだち」の建築様式と強剪定された防風林>

富山県出身者には著名な財界人が多く、中でも、4大財閥を築いた安田善次郎やホテルニューオータニ創業者大谷米次郎は立志伝中の人物です。共通するのは、勤勉さ、進取の気性、信仰心などの県民性です。勤勉さを象徴する砺波の散居村とチューリップの旅です。

砺波平野の散居村/高岡から城端線に乗り、砺波駅で下車、レンタサイクルで展望広場まで行き、散居村を俯瞰しました。写真で見た通り、屋敷がほぼ等距離に点在しています。

加賀前田藩は、富山を支藩としましたが、穀倉地帯の砺波平野一帯は自領のままでした。加賀百万石の重要な所領でした。砺波平野は、庄川の形成する扇状地で、保水力のない「ザル田」と言われる土地でした。加賀藩は米の増産を図るため、築堤により川の乱流を防いで用水を開鑿し、客土によって地味を豊かにし、加賀百万石の4分の1の収穫を上げる水田地帯にしました。

水利の管理、作業効率、類焼予防などから、耕地の近くに居住することになりました。

砺波平野の風景は、越中の人たちの勤勉さと、浄土真宗による信仰心の強さの表れです。

個々の屋敷を見ると、倹約と辛抱により、蓄えた財産を家屋に投じる富山の人たちの様子がうかがい知れます。居住スペースが日本一だと言うことです。

一方で、杉が帽子のように先端だけ残して強く剪定されている屋敷もありました。住宅改良などで防風林の必要性が薄れ、落ち葉処理などの負担から、伐採も進んでいます。兼業農家がほとんどになり、景観保持と居住者の生活の両立という問題を抱えています

チューリップ/富山県の県花はチューリップです。日本のチューリップ栽培は砺波平野から始まりました。北陸は米の単作のため、積雪期には農外収入を求めて出稼ぎに頼りました。

冬季の作物として、大正7年に、10球の球根からチューリップ栽培が始まりました。秋に植え付けして雪の下で越年し、春の開花後に摘花し、肥大化した球根を掘り起こして乾燥し、秋に市場に出します。日本中のチューリップの球根は、肥沃な土壌の砺波平野で育ちます。

ただ、農産物輸入の自由化で、安いオランダ産が市場に出回り、価格競争にさらされています。それでもオリジナル品種の開発などで国際化にも対抗しているので、今まで同様、様々な困難を乗り越えてきた富山県人の知恵と努力で、難局を乗り越えるはずです。

江戸時代末期、砺波から下野各地に多くの人が入植しました。集住しないで、散居村状の集落を営み、出身地の地名を姓にしている家も多く、真宗門徒の絆を保持しています。

富山から高山線で名古屋に出て、東海道線で帰宅、青春18きっぷをフル活用しました。

<チューリップ公園:真夏のためモニュメントを撮影>
<チューリップ公園:真夏のためモニュメントを撮影>

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