top of page

中国・四国

2_07 土讃線から予讃線に乗って高知から愛媛へ

<遊子の段畑:ジャガイモ畑が縞模様になって山頂に続く>

高知から土讃線と土佐くろしお鉄道を乗り継ぎ、四万十川の河口にある四国の小京都と言われる中村から、足摺岬や中浜万次郎生誕地を廻り、翌日は、予讃線で宇和島に向かいました。遊子(ゆす)の段畑(だんばた)と宇都宮姓の多く住む西予市卯之町が目的です。

遊子の段畑/愛媛県の宇和島市は南予と言われる愛媛県南部の中心地で、予土線と予讃線の発着駅です。江戸時代をとおして、仙台伊達藩の支藩の城下町で、真珠やミカンが有名です。

宇和島市内からリアス式の海岸線の半島を何度も曲がりながら行くと、岸線にまで山が迫る南向きの斜面に、耕して天に至る段々畑が目に飛び込みました。水が浦遊子の段畑です。

段畑は、年貢の取り立ての厳しい江戸時代、「山は勝手」ということで、年貢の対象になりませんでした。半農半漁の村は耕地が少なく、先人たちは山を開き、石垣を積み、山の頂上まで開墾しました。雨の多い四国では耕土流失を防ぐため、石垣を積み上げなければなりません。幅1㍍程の畑もあります。かつては肥料や収穫物の運搬は人の背で階段を上り下りしました。

2月なのに、ジャガイモが青々としているのは、無霜地帯で、しかも石の熱を利用しているからです。半島の各所にあった段畑も過疎と高齢化で耕作放棄地となり、遊子1カ所になりました。究極とも言える農家の人たちの苦労の証として、これからも残しておきたい風景です。

宇都宮姓の多い町/四万十川は大きく蛇行して山に嵌入するため、予讃線で渡河するたびに、下流に向かっているのに、上流に向かっているのかと勘違いします。中央構造線が横断する四国山地の成り立ちと関係しています。

宇和島で予讃維に乗り換え、西予市の中心宇和駅の近くの卯之町に行きました。卯之町は、肱川の水運遡行の終点という水運にも恵まれ、特産の絹織物や薪炭が瀬戸内海をとおして京阪に輸送されました。また、土佐方面の街道の交接点であることから、多くの商家が軒を並べ、町並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。幕末に高野長英が潜伏し、シーボルトの娘が女医として開業した町としても知られ、今も古い造り酒屋が営業しています。  

宇和町では、宇都宮を姓とする人が日本で一番多く住んでいます。伊予宇都宮氏は、源平合戦で戦功を挙げ、鎌倉幕府から伊予の守護に補されたものの、戦国時代に毛利氏によって滅ばされたため、多くの家臣団は土着し、宇都宮姓を名乗ったと言われています。

日本一長い廊下を持つ小学校の建物を転用した博物館に行きました。案内の女性も宇都宮さんで、中世以来の下野宇都宮氏の子孫であることに誇りを持っていました。

<日本一長い廊下:雑巾掛けレースの体験がある旧宇和小学校>
<日本一長い廊下:雑巾掛けレースの体験がある旧宇和小学校>

bottom of page