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中国・四国

2_06 醤油とオリーブと『二十四の瞳』小豆島

<マルキン醤油専用岸壁>

海に縁遠い場所で育ったため、短い距離でも船に乗って島に行く時は心躍ります。中でも、中学生の頃に聞いた二葉あき子の『オリーブの歌』の「瀬戸の岬の南欧の」という歌詞に惹かれ、小豆島に特別な思いを抱いて渡りました。

醤油と素麺/ 岡山県の日生(ひなせ)からフェリーで小豆島に向かうと、島のあちこちに大きな岩壁が見えます。石切丁場の跡です。徳川幕府が全国の大名に命じて大坂城(まだ阪でない)再建の「天下普請」の際、百トンを超える石垣用の御影石が小豆島から船で運ばれました。帰り船のバラスト(安定用の底荷)として小麦や大豆が運ばれました。

小豆島は、瀬戸内海の交通の要衝の地であったことから、島民は進取の気性に富み、三輪の素麺、紀州の醤油の技術を導入、原料を移入し、乾燥した島の気候風土を生かしながら、島で製塩された良質の塩を使って、手延べ素麺と醤油を生産し、日本の三大産地の地歩を固め、小豆島素麺はスーパーの店頭に並んでいますし、小豆島醤油も全国に広がっています。

小豆島から学ぶべきことは、原料がなくても、新しいことに取り組む創意と、消費者ニーズの把握、同業者の協業によって品質の向上を図れば全国区になれるということです。小豆島の醸造元は今でも木桶にこだわり、倉が密集する苗羽地区は甘い香りに包まれています。

オリーブの島は素麺と醤油の島でもありました。

二十四の瞳/壺井栄の『二十四の瞳』は、小学生のころ映画化されていましたが、映画館のない八溝の少年にとっては無縁でした。その後、テレビドラマで視聴する機会があり、オリーブへの憧れの島と違った戦争の悲惨さ、教育現場の混乱などについて考えました。

『二十四の瞳』は、新任の「女先生」と受け持ちの1年生12人が主人公ですが、それぞれに戦争に飲み込まれていく戦争の歴史を描いた小説です。大石先生は、戦後教え子たちと再会しますが、生き残ったのは5人で、その内一人は失明していました。先生も戦争未亡人です。

映画の舞台となった岬小学校が今も残り、土庄港には「オリーブの歌」の歌碑と共に大石先生と12人の子どもたちの「平和の群像」があります。いつの時代も子どもたちの瞳が輝き続けられるように、という意味が込められています。

土庄港に、キリシタン大名で、徳川幕府によってマニラに追放された高山右近の銅像もあります。オリ-ブの香りに包まれた南欧の雰囲気の島で歴史も学べます。

お土産に『オリーブの歌』のCDと、家人へオリーブオイルの瓶を買ってきました。

<「平和の群像」:大石先生と12名の児童たち>
<「平和の群像」:大石先生と12名の児童たち>

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