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中国・四国

2_19 妖怪町境港と神話の美保関

<水木しげるロード:境港駅前では妖怪がお出迎え>

鳥取県には、砂丘に代表されるように砂浜が多く、良港が築けません。その中で、境港は唯一、今も昔も重要な港湾です。一方で中海水道を挟んだ対岸の島根半島の美保関は山陰随一の港でした。狭い水道を挟んだ妖怪の町境港と国譲り神話の美保関を訪ねました。

妖怪の町づくり/弓ヶ浜の砂州によって波浪から守られた境港は、米子藩の藩米回漕として、さらに砂丘地で栽培された綿花を移出する拠点となりました。明治以降は魚業基地となり、宇都宮にも「境港」と大きな字の入った保冷車が鮮魚を運んできます。しかし、どの地方都市にあるように、人口減が続き、商店街も空き店舗が目立つようになりました。

 そこで、市出身の水木しげるの妖怪で活性化に取り組むことにしました。境港の駅前に降りたって驚くことに、「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめ「ねずみ男」など200体の妖怪が出迎えてくれます。街灯も妖怪です。よくぞここまでと言う徹底ぶりです。

当初、妖怪での活性化に疑問があった中で、23体から始まり、今では200体以上の妖怪がいて、来訪者数は鳥取砂丘を超え、倉敷、宮島と並ぶ観光地となりました。

妖怪の町づくりが出来たのは、一人の作家によるだけでなく、因幡の白ウサギなど山陰の神話の世界が色濃く残っていたからなのでしょう。妖怪と古代の神話のコラボレーションによる町づくりの傑作です。心から楽しめますから、是非訪ねてみてください。

神話の息づく港町/美保関町は合併で松江市になりましたが、元は島根半島の東端にある港町です。町名は、奈良時代に編纂された『古事記』にも載っている美保神社に由来します。祭神は、父の大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りを勧めた事代主命(ことしろぬしのみこと)で、国譲りの神話が祭事として今に残っています。また、『出雲国風土記』には、出雲は小さいので朝鮮半島の新羅などから国を引いて島根半島を造ったと記されています。時代が下って、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が隠岐に流された際に美保関が行在所(仮の御所)となり、歴史の表舞台にも登場します。

さらに、江戸時代には大坂と蝦夷地を結ぶ北前船や風待港となり、港に近い青石畳通りには、国の重文に指定されている旅館や廻船問屋の建物が今も軒を連ねています。蝦夷地から大坂に向かう船乗りたちは、美保関まで来れば船旅の過半は終わり、安堵の気持ちが強かったはずです。盛時には人口の4分の1が遊女であったといいます。町はひっそりとしていますが、各所に繁栄の歴史が凝縮されています。美保神社の壮麗な建物は往時をしのばせてくれます。

米子から妖怪のラッピング列車で弓ヶ浜や島根半島へ廻れば神話を体感できます。

<美保関の青石畳通り:北前船栄華の跡>
<美保関の青石畳通り:北前船栄華の跡>

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