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中国・四国

2_17 童謡『赤とんぼ』と揖保乃糸(いぼのいと)龍野

<三木露風生家:立派な門構えの重臣の屋敷>

兵庫県龍野(たつの)市(合併でひらがな表記)は、二人の三木姓の著名人が出ています。一人は、戦中に獄死した哲学者三木清、もう一人は『赤とんぼ』作詞者で詩人の三木露風です。今回は瀬戸内海に面した播磨国(:兵庫県)の旅です。

あかとんぼ/露風は、幼少期、両親の離婚により祖父母に育てられました。祖父は初代龍野町長という土地の名士ですし、実母も家老の家柄の出です。露風は若くして天賦の才を発揮しますが、努力の習慣のない優等生でした。そのため、旧制中学1年の時に落第、深い挫折を味わいます。負の思いを払拭すべく上京し、大学に入りながら卒業せず、文芸の方向性も決まらないまま自堕落な生活を続けていました。

明治から大正に掛けての文壇は、浪漫主義から自然主義に、さらに文語詩から口語詩への転換時期でした。露風は、鈴木三重吉の主宰する童話童謡運動に参加、大正13年『あかとんぼ』が誕生します。別離した母の代わりに背負ってくれた子守の姐(ねい)やの背から、竿(さお)の先の赤とんぼを見たという心象風景です。歌詞からすると、姐やは奉公の年季が明けて、14歳で三木家から嫁に出してもらい、その後連絡が絶えたということでしょう。

NHKの「みんなの歌」になり、国民的童謡となりましたが、内実は深い心の闇の発露です。歌詞からは、城下町龍野での少年時代の母恋しさ、さらには母代わりに面倒を見てくれた姐やへの切ない思いが読み取れます。生家跡は、藩の重臣の屋敷にふさわしい門構えで、『あかとんぼ』のイメージと似合わない感じがしました。

薄口醤油/龍野の町でひときわ目立つ建物があります。「ヒガシマル醤油」の蔵元です。関東の濃い口に対して関西は素材の味や色を損なわない薄口醤油が好まれました。元々醤油は関西が発祥で、龍野の醤油醸造は安土桃山時代に遡ると言われています。なかでもヒガシマル醤油は薄口醤油の代表です。

同じく「揖保乃糸」は素麺の代表的な銘柄として知られています。正しくは「播州(ばんしゅう)素麺」と言われ、播磨(はりま)国揖保郡龍野で生産されるもので、手延べであることが条件です。江戸時代に、素麺の普及とともに、薄口醤油は海運をとおして全国区になりました。揖保は難しい読みですが、素麺とともに日本中に知られている地名です。

兵庫県は、内陸部の丹波、日本海側の但馬、瀬戸内海側の播磨と淡路、さらに摂津の旧5国が統合され、気候風土も違う多様な文化が併存しています。見所がいっぱいです。

<うすくち龍野醤油資料館:(年末で休館)>
<うすくち龍野醤油資料館:(年末で休館)>

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