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中国・四国

2_14 山口の五重の塔とハビエル教会完成

<瑠璃光寺五重塔:本堂などは移築されてないので、塔は孤高の存在>

山陽新幹線が開通して間もなく、小郡で乗り換え、山口線の気動車で45分かけて山口に行ったことがあります。再訪したら、合併で小郡町が山口市の市域になったので、駅名が新山口になっていました。新山口駅は山口中心街と離れ、無理な駅名のような気がします。

国宝五重塔/室町時代、合戦による都の荒廃を嫌った画家の雪舟や連歌師宗祇など、貴族や文化人が有力守護大名の大内氏の庇護を求めて、山口に集まり、「西京」と呼ばれるほど繁栄しました。大内氏は明(みん)国との貿易にも関わり、財力を蓄え、新しい文化の摂取にも熱心でした。

五重塔は、大内義弘が応永の乱で戦死したことから、弟の盛見(もりあきら)が兄の供養のために、香積寺(こうせきじ)を建立した際の遺構で、室町時代で最も均整の取れた五重塔として、国宝に指定されています。檜皮葺(ひわだぶき)の優しさと均衡のとれた姿は、「日本三大五重塔」と称され、庭園は「日本歴史公園百選」に選ばれています。何よりも無料で入園できて、いろいろの角度から仰ぎ見ることができます。季節の花が咲き、ゆったりと回遊できて、心洗われます。瑠璃光寺は後に五重塔の境内に建立された寺です。

大内氏は折からの下克上の中で家臣の陶(すえ)氏に滅ぼされ、鎌倉幕府の御家人を務めた名門も滅亡しました。

江戸時代初め、毛利氏が拠点とした萩に五重塔を移設されようとした時、山口町民の反対で取りやめとなりました。五重塔は山口にあってこその国宝です。

フランシスコ・ザビエル/・ザビエルはイエズス会を設立に関わり、エスパニア(スペイン)から東洋への布教のため、1549年鹿児島に到着、初めて日本にキリスト教を伝えました。その後大内氏に庇護を求めて山口に逗留して布教に努め、1950年に天皇に謁見すべく京に上ったものの、合戦などで荒廃していたことから再び山口に戻り、山口に数か月の滞在、この間500人が改宗、山口で初めてクリスマス会が行われたと言います。

その後平戸に移り、インドに戻って再び東洋の布教に向かいましたが途中病死しました。

ザビエルが山口を訪問して400年を記念して、昭和27年にい山口サビエル記念聖堂建設されました。山口ではサビエルと表記しています。

去年訪ねて行ったところ、以前に見て強い印象を持った教会と違って戸惑いました。平成3年に焼失して、現在の教会は平成3年に再建されたものだということです。三角形の鋭いたたずまいと2本の尖塔はあまりに近代的で、ザビエルの記念聖堂のイメージを持てませんでした。

明治維新には長州から多くの偉人が輩出、近年まで国政に影響を持っていましたが、なぜか栃木県から遠い存在で、九州に行くにしても通過してしまいます。

今回は五重塔と教会、さらに常楽寺の雪舟庭園を見学、夕刻、次の目的地森鷗外の故郷津和野に向かいました。

<ハビエル教会:不正形でイエズス教会と思えない>
<ハビエル教会:不正形でイエズス教会と思えない>

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