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中国・四国

2_11 吉野川水運とジャパンブルー

<吉野川潜水橋の夕景:脇町橋>

国指定の「重要伝統的建造物群保全地区(重伝建)」は、城下町や宿場町、農漁村など全国に127か所ほどあります。栃木市もその一つです。今まで110ほどを訪れていますが、残りは八重山列島などの交通不便地で、次第にハードルが高くなりつつあります。  

今回は、四国三郎と言われる吉野川流域の重伝建地域と、二重卯建(うだつ)の町です。

藍の町/吉野川流域で栽培されたものが阿波藍で、ジャパンブルーの染料です。江戸時代の中期になると、米以外の商品作物が奨励され、木棉(種を取ったものが綿)や灯油を採る菜種の栽培などが奨励されました。中でも庶民の衣料として綿が普及し、吉野川流域で栽培される藍の需要が拡大しました。なお、渋沢栄一の生家で扱ったのは「武州藍」です。

繰り返される吉野川の氾濫は、肥沃な土壌を形成する一方で、秋に収穫を迎える稲作にとっては大打撃です。藩は、秋の嵐の前に収穫できる藍を奨励しました。

脇町(現美馬市)の商人が農家から藍を集荷し、蔵で発酵させて藍玉にし、吉野川水運で全国に出荷しました。一時、脇町は徳島に次ぐ人口を誇ったと言われるほど賑わいで、商家は競うように卯建を上げました。しかし、化学染料に押され、さらに鉄道も対岸に敷設され、脇町は著しく衰退しました。そのことが、卯建の町並みが残る要因ともなりました。

脇町と対岸の穴吹駅を結ぶ潜水橋(四万十川では沈下橋)は、欄干もなくすれ違いが出来ません。地域の方は阿吽の呼吸で譲り合いながら通行していました。

水運を支えた河岸跡は道の駅「藍ランドうだつ」になり、車中泊をしてきました。

二重卯建/脇町から10㌔上流の吉野川が右岸にあるつるぎ町貞光は、百名山剣山(つぎさん)の登り口です。四国山地の谷間の村から運ばれた煙草・薪炭・木工品などを集積する谷口集落として栄えていました。吉野川支流の貞光川の狭い町場に、鏝絵(こてえ)で入念に装飾された二重卯建の町並みが残っています。吉野川河口の徳島、さらに京阪にも繋がった商人たちは、財力を蓄え、防火の機能を超えた装飾的な二重卯建を上げました。

つるぎ町は「半田素麺」の町としても知られ、豊富な水と山間で耕作される小麦を材料に、乾燥した瀬戸内の気候を利用して製麺されます。吉野川の舟運により広く流通し、隣県の讃岐うどんとともに阿波の名物となり、スーパーでも見かけます。

卯建の他にも、阿波踊りや人形浄瑠璃に見られるように、阿波の人は派手好みと言われますが、吉野川が育んだ藍が背景にあります。

<二重卯建の家並:つるぎ町貞光>
<二重卯建の家並:つるぎ町貞光>

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