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中部

5_07 東海道駿河路 業平と西行

<古東海道:蔦の細道登り口>

奈良時代、全国が七道に分けられ、行政区とともに官道の名前になりました。都から駿河、相模を経て常陸府中(現石岡市)に通じるのが東海道です。古来より多くの文学作品に描かれています。駿河路の二つの作品を取り上げます。

蔦の細道/『伊勢物語』は、平安時代の中期、当代随一の歌人で、しかも高貴な育ちの在原業平と思われる人物が主人公です。事情があって都には住めなくなり、東海道を下る「東下り」の一節に、「行き行きて駿河国に至りぬ。宇津の山に至りて、わが入らんとする道は、いと暗う細きに、蔦、楓は茂り」という場面があり、峠で「駿河なる 宇津の山べの うつつにも 夢にも人に あはぬなりけり」と、地名の宇津と現実の「うつつ」を掛けて、都に残した女性へ思いを馳せた歌を詠みました。

峠は豊臣秀吉によって付け替えられ、さらに明治以降はトンネルが掘られ、昭和第一トンネル、第2トンネル、さらに平成トンネルと変遷します。業平が越えた宇津ノ谷峠は「蔦の細道」として整備され、ミカン畑と富士山のコントラストは格別です。

峠下の丸子宿に出て、歌川広重の浮世絵に描かれたままの丁子屋でとろろ飯を食べ、安倍川橋のたもとで餅を食べると、弥次喜多の気分が満喫できます。歴史散歩の定番コースです。

小夜(さよ:さやとも)の中山/西行は、院政時代の貴族社会から武家社会に変わる動乱期に生きた歌人です。鳥羽上皇に仕え、早くから文才を認められていながら、23歳で突然出家、修行とともに歌道に精進する日々を送ります。若くして東海道を下って陸奥に旅して、歌枕などの名所を訪ねました。この途次に日光にも立ち寄ったと伝えられ、日光稲荷町に「西行戻り石」があり、大田原市佐良土には西行桜と呼ばれる古木があります。

その後、吉野などに隠棲しますが、高齢の70歳近くになりながら、源平の戦火で焼失した東大寺再建勧進のため再び陸奥に旅します。東海道の難所小夜の中山で、「年長(た)けて また越ゆべしと 思いきや 命なりけり 小夜の中山(年老いて再びこの難所を越えるなどとは思ってもいなかった、命があってこそだ)」と人生を述懐しています。

かつて難所だった峠は国道1号のトンネルが抜け、周囲は開拓されて茶畑となっています。大井川の渡しのあった金谷宿から、次の宿場の日坂(にっさか)宿までの歴史街道は石畳の道が整備され、茶畑越しに富士山が望めます。峠には西行の他に、宇都宮氏5代城主頼綱(蓮生)の歌碑もあります。

晴れた日を選び、宇都宮から新幹線での日帰旅を楽しんでください。

<小夜の中山公園:西行歌碑 近くに阿仏尼の歌碑もある>
<小夜の中山公園:西行歌碑 近くに阿仏尼の歌碑もある>

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