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中部

5_06 天竜川に沿って 人と自然が織りなす絶景

<天竜川沿い奥静岡の茶畑:車がオーバーヒートし、茶畑を眺めていた>

旅の方法や目的地も人の生き方が表れます。私の旅は、長い時間を掛けて自然と折り合いを付けながら生活をしている場所に目が向きます。天竜川とその支流に沿って愛知県と静岡県、長野県の3県の接する一帯には日本の原風景が見られ、観光地にない風景に感動します。

奥静岡の茶畑/浜松市は政令指定都市になりましたが、北部の天竜川で沿いはほとんどが山林です。火防信仰で知られる秋葉神社に向かう途中、山間地の急斜面に、手入れの行き届いた茶畑を見かけました。放射冷却による暖気が滞留する中腹は霧が発生し、しかも日照時間が少ないことから甘みのある茶の生産に適していますいす。ただ、茶の生産量が日本一であった静岡県が、斜面の栽培で経済効率が悪く、その地位を鹿児島県に譲りました。生産効率を求められる中、高齢化と相まって、美しい茶畑が、いつまで持続できるでしょうか。

浜松から長野県上田まで続く国道152号は、武田信玄が遠江の徳川家康侵攻を進めた道で、江戸時代以降は秋葉街道と呼ばれました。一人の馬子が数頭の馬を牽く「中馬(ちゅうま)」道で、海と内陸を結ぶ物流の道、さらに火防の秋葉神社で神札を受ける講員の参詣道でした。

国道とは言え、2か所が通行不能です。最近、青崩峠の難所に長大なトンネルが貫通しました。やがて三遠南信自動車道が延伸すると、奥静岡の静かな風景が変わるかも知れません。春の連休、町に出ている親戚が帰省し、一家総出で茶摘みをしていました。

佐久間ダム/豊橋に宿泊、翌日朝一番の飯田線に乗り、天竜川中流域の佐久間に向かいました。佐久間はダムがある町として知られています。昭和31年に完成した佐久間ダムは、私の小学生の時に国語の教科書にも載りました。関西の60ヘルツと関東の50ヘルツ対応の発電機を備え、戦後日本の復興を支えました。ただ、今回はダムと反対側の集落に行きました。

天竜川と水窪川の合流点の浜松市佐久間町西渡(にしど)は、川船の遡行した海産物が陸揚げされ信州へと運ばれる塩の道の起点で、信州と遠州の交易の結節点でした。登りの海産物が届くと、「浜背負(はましょい)」という女たちによって、川湊から峠まで背負いあげられ、そこから先は「中馬(ちゅうま)」で伊那や諏訪方面に運びました。今も、天竜川の段丘上の狭い町並みで、毎年「浜背負祭」が行われています。

西渡の町のはずれの路傍で、種田山頭火の句碑に出会いました。托鉢しながら全国を行脚し、定型にとらわれない平明な自由律の句で知られています。「水のあふるゝ 山の乙女の 美しさ」の句は、破調であっても気になりません。観光地でもない道路際に立つ句碑から、土地の人達の心根の優しさに触れた感じがしました。

<種田山頭火句碑「水があふるゝ 山のをとめの うつくしき」>
<種田山頭火句碑「水があふるゝ 山のをとめの うつくしき」>

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