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中部

5_04 伊勢商人と本居宣長

<旧小津清左衛門家:豪商の本邸として公開されている>

名古屋の従妹の所に世話になり、伊勢商人と本居宣長関連の松阪を訪ね、多くを学びました。ただ、麺が苦手な私は、従妹の心づくしの赤味噌煮込みうどんには苦労しました。

伊勢商人と三越/伊勢は江戸と京阪を繋ぐ陸路の要衝、しかも海上輸送も盛んで、今日でいえば、情報と輸送を一手に掌握していた場所といえます。江戸や大坂での売れ筋をキャッチし、いち早く市場に届けました。特に、伊勢では高級な木綿が生産されたことから、大消費地の江戸日本橋界隈で呉服商をする伊勢商人が多数いました。

中でも三井高利は、呉服商「越後屋」を開業、従来の注文を取る商法から、店頭で「現金掛け値なし」と、客の求めに応じて切り売りをし、さらには急ぎの客には店内で仕立てて着せて帰すという商法を取りました。店先には傘を用意し、雨が降れば貸出したことから、「越後屋」のロゴが宣伝になりました。三井越後屋は今日の「三越」です。他にも、イオンやにんべんなど江戸時代創業の伊勢をルーツとする会社が多数あります。栃木県内にも伊勢を屋号とする商家やスーパーが多く見受けられます。

小津商店と本居宣長/松坂市内の三井本家の近くに、江戸で一番の紙問屋になった小津家の本家が公開されています。紙は貴重品でしたから、出版業の蔦屋重三郎が江戸日本橋の小津紙店の近くに店を構えたのも紙が入手しやすかったからです。

江戸時代の本居宣長は、小津家に繋がる家系ですが、商家を継がず、父方の本居姓を名乗り、京に出て医学を学び、28歳の時松阪で開業、昼間は医師、夜は学問に励みました。宣長34歳の時、伊勢参宮の際に松阪に宿泊した国学者賀茂真淵を訪ねて教えを受け、その後生涯の師とし江戸の真淵に手紙で師事しました。真淵の出会いにより、『古事記伝』44巻を著し、『源氏物語』の本質を「もののあはれ」であると見抜きました。

幕府が外来の儒学を重んじていた中、宣長は日本独自の精神を明らかにし、「やまと心」こそ日本人の精神であるとしました。重三郎が出版交渉に松阪を訪れたのは、小津紙店の縁で、宣長の新しい考えに共感したからでしょう。ただ、重三郎は病で倒れ、宣長の著書を出版できませんでした。実現すれば新しい出版文化が生まれたに違いありません。

旧居は松阪城内に移築され、付設の記念館には膨大な資料が保管されています。

昭和を代表する映画監督小津安二郎も小津家をルーツとしています。松阪は、商人の町であり、新しい文化を生んだ町でもあります。伊勢参宮の際にぜひ立ち寄ってください。

<松阪城内の本居宣長記念館:隣に鈴の屋が移築されている>
<松阪城内の本居宣長記念館:隣に鈴の屋が移築されている>

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