top of page

中部

5_03 勢神宮の聖と俗 伊勢古市

<江戸時代からの旅館麻吉・斜面に5層の建物が建つ>

「伊勢に行きたい 伊勢路は見たい せめて一生に一度でも」と、江戸時代の庶民にとって神宮参拝は憧れでした。一方、「伊勢参り 大神宮もちょっと寄り」と、信仰とは別の目的がありました。伊勢には日本三大歓楽街の一つがあり、聖と俗が表裏していました。日本人の宗教観を考えるうえで、貴重な遺産です。

伊勢信仰/伊勢参拝を理由にすれば旅行手形が容易に手に入れられ、また家族や奉公先にも内緒の「抜け参り」も黙認されました。毎年20万から30万の人が参拝したと言い、中でも、約60年周期の「御蔭げ参り」の1830年(天保元)には500万人以上、当時の日本の人口からして6人に1人が伊勢参拝に出掛けたとの記録に残っています。

歌川広重の描いた「伊勢参宮 宮川の渡し」には、神宮に参拝する人々が渡し船に乗り、手前では船待ちをしながら、揃いの着物で伊勢音頭を躍る女性の群像が描かれています。  

身分社会で抑圧された人たちの感情が、伊勢参宮という形で爆発的に現れたといえます。こうなると幕府の力では抑えることができません。新しい時代へのマグマが全国に広まったとも言えるでしょう。

古市通/伊勢神宮は日本の神々の最高位に当たる天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る神聖な場所です。一方で、外宮と内宮の間の伊勢街道沿いには歓楽街の古市がありました。現在の伊勢街道は、明治天皇が行幸される際、遊郭の並ぶ旧古市の参宮街道を避けるため、御幸通りとして新しく建設されたものです。大学駅伝のゴール地点となり映像が流れます。また古市を挟んで、真珠王御木本幸吉が資金提供して開鑿した御木本通りもあります。

弥次喜多二人も、神宮参拝より先、江戸の大店(おおだな)の主人であると偽って、格式ある妓楼千束(ちづか)屋に入りました。しかし、手練の妓女にたちまち見抜かれてしまいます。

弥次と喜多の二人は翌日内宮に参拝、「自然と感涙肝に銘じて、ありがたさ」に打たれますが、弥次が腹痛を起こしたので、神罰であろうと喜多に難じられます。

私は、今までは、参拝の後におかげ横丁で伊勢うどんを食べ、赤福を買って帰るだけでしたが、今回は徒歩で外宮から古市を通り内宮に参拝しました。古市には、江戸の面影そのままに、200年前から営業している麻吉(あさきち)旅館があります。斜面に沿って建つ5層の建物から、妓女たちの伊勢音頭と参拝客のざわめきが聞こえて来そうです。

歩道のない狭い古市の旧道からは、年間数百万の参拝客が大挙して押し寄せたことは想像できません。観光バスが行かない町ですが、聖と俗が隣り合わせになり、日本人の精神性を考えるのには好個の場所です。

人気の出た弥次喜多は金毘羅宮まで足を延ばします。琴平も歓楽街で有名な町でした。

<伊勢神宮:外宮、本来は外宮に参拝後に内宮に参拝する>
<伊勢神宮:外宮、本来は外宮に参拝後に内宮に参拝する>

bottom of page