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5_18 水を巡る箱根・伊豆の旅

<箱根用水取水口:湖水はすべて静岡側に流下する>

稲作の始まりとともに、用水をめぐる集団の対立が起き、防御するための環濠集落などが形成されました。江戸時代からの水利権の問題が今なお影を落とす箱根町と、戦国時代の用水「千貫樋(せんがんどい」が残る三島市を、それぞれ縁故ある人の案内で回りました。

箱根用水/湖面に朱色の鳥居を写し、遠くに雪をかぶった富士山の構図は日本の観光地を代表する風景です。芦ノ湖は仙石原を経て小田原に流れ下る早川の源流で、箱根駅伝で山登りのコースに早川が移りだされます。芦ノ湖は、全域が箱根町に属しますが、箱根町は水道水を地下水に頼り、芦ノ湖の水一滴も使えません。

300年前の江戸時代中期、諸藩では町人の財力による「町人請負」新田開発が盛んになります。小田原藩でも、自領であった現在の静岡県裾野市の乏水地の開発に乗り出し、芦ノ湖の早川源流に水門を設置して遮断、外輪山の下に隧道を掘削、全量を現在の裾野市側に流下させる箱根用水を、5年の歳月をかけ完成させました。

維新後、用水の権利は静岡県に引き継がれ、最高裁での判決でも箱根町の水利権は認められませんでした。その結果、湖の水位上昇で湖岸の住宅地が浸水しても、箱根町には水量調整の裁量権がないとのことです。

50年ぶりに再会した箱根町役場の旧職員である先輩と、箱根用水の取水口まで歩きながら、箱根町では今も一滴の湖水も利用できない歴史を教えてもらいました。

読者の皆さんの身近にある用水にも歴史がありますから、あらためて見直してみましょう。

千貫樋/箱根から山を下り、駿河と伊豆との国境の境川に架かる千貫樋を訪ねました。

駿河の今川氏と伊豆の北条氏は敵対関係を越え、標高の高い伊豆側の湧水を国境の境川に樋を架設して駿河側に通水し、130㌶の水田を潤したといいます。千貫の名は、多くの富をもたらしたからとの説があります。関東大震災前までは木製だったものが、今はコンクリート製になり、戦国時代の面影は残っていませんでした。さらに、一帯は住宅地になり、水需要が減少、歴史ある用水の存続が危ぶまれています。

卒業後30年余、二人の大学生と一人の高校生の母親となって、すっかり三島の人になりきっている教え子に案内を請い、長い歴史を持つ用水の歴史を学びました。食事は、水音の聞こえる千貫樋の水源地脇のレストランで摂りましたが、いつものことながら、一人でしゃべり、ついつい伏流水仕込みの地ビールを飲み過ぎてしまいました。

<千貫樋の橋脚は長さ43㍍、高さ4㍍以上:住宅街の中を通る>
<千貫樋の橋脚は長さ43㍍、高さ4㍍以上:住宅街の中を通る>

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