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中部

5_17 人とともに歴史を刻んだ濃飛の桜

<早朝の淡墨桜:花とともに樹形が美しい>

仕事から解放されて間もなく、急病により1年間の入院生活を余儀なくされました。以来、桜に強い関心を持ち、親鸞聖人の「明日ありと思ふ心のあだ桜…」という戒めを心に刻み、古桜に会う旅に出掛けています。サクラでも、城跡や堤防のソメイヨシノには惹かれません。人の歴史とともに.生き抜いた美濃と飛騨の名桜です。

淡墨桜/奥岐阜の根尾村(現本巣市)にある樹齢1500年の桜は、蕾の時は薄紅、開花すると純白、散り際に黒ずむことから淡墨桜(うすずみざくら)と命名されました。

戦中戦後、生活にゆとりのない時代、手入れも十分に行き届かなかったこともあり、枯死寸前になってしまいました。それを聞きつけた岐阜の歯科医師が、山桜の若い根を接ぐ「根接ぎ」を行い、地元の人たちの協力を得て古木を蘇生させました。

さらにその後、台風の被害で衰えが見られた中、作家宇野千代の呼びかけによる保護活動で、今日の美しい樹形が保たれることになりました。桜は切手になり、文学作品や映画に取り上げられ、人と桜が織りなす物語の最も多い桜となりました。

サクラの子孫は全国各地に広がり、下野市にある天平の丘も名所となっています。なお、宇野千代は、戦時中、夫の実家があった壬生に疎開した経験があり、栃木県ともゆかりがある方です。

桜が有名になったため、根尾谷の狭い集落は多くの人で混雑していました。翌朝、静寂な時間に再訪し、古桜とゆっくり対面、生きる力をいただいて来ました。

荘川桜/山梨や長野には「神代桜」と呼ばれる桜があります。米作りが始まった神話の昔からの桜という意味です。全国に千年を超える桜は多くありますが、それ以外でも心惹かれる桜があります。  

合掌造りで知られる白川郷を構成していた旧荘川村御母(みほ)衣(ろ)(地域では「みぼろ」)に、戦後復興のエネルギー確保のため、政府出資の電源開発株式会社によってダム建設が計画されました。共同体の紐帯が強い土地柄、激しい反対運動が起こりました。

その中、電源開発の初代総裁の高碕達之助は、交渉の最前線に立ち、水没予定地の寺にあるエドヒガン2本の移植を提案しました。高碕の熱意で、昭和39年に日本一のロックヒルダムが完成し、不可能と思われた桜の古木も活着し、「荘川桜」と命名され、ダムを見下ろす高台で花を咲かせました。この経緯は、水上勉の『桜守』に活写されています。  多くの人の思いを負って咲き続ける奥飛騨の荘川桜を訪ねてみてください。高速道路道路が出来たので、栃木県からも格段に行きやすくなりました。

<2本の荘川桜:左側にダムが広がっている>
<2本の荘川桜:左側にダムが広がっている>

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