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中部

5_16 東海道:鈴鹿峠と関の山

<万人講常夜灯:高さ約5.5m、重さ38t>

古街道歩きが趣味で、奈良から東国に通じる古東海道や東山道、その後の鎌倉街道、さらに江戸時代の東海道や中山道を歩いています。今回は、五街道の中でももっとも人の通りの多かった東海道の鈴鹿峠を伊勢の関から鈴鹿峠を越え古道歩きです。

鈴鹿峠/鈴鹿馬子唄に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山(つちやま) 雨が降る」とあり、峠下の伊勢側は晴れているのに、鈴鹿峠を境に、近江の土山宿は雨だという内容です。

古代の大和から東国に向かう古東海道は、JR関西本線の路線と同じく、京都南部の木津川に沿って伊賀の国府があった伊賀上野を経由して伊勢に入るコースで、鈴鹿峠を通りません。記紀伝承の日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征も古東海道ルートと思われます。

その後、平安遷都により、近江から鈴鹿峠を越えて伊勢に出てコースとなり、江戸時代の東海道に繋がる原型ができました。明治以降は国道1号となり、交通量の増加に伴って、二つのトンネルが穿たれました。しかし、東海道線や新幹線、名神高速道などは鈴鹿の旧坂を避けるため関ケ原から米原に迂回しています。また、奈良方面は国道25号に並行して無料の高規格道路の名阪国道が開通したことから、国道一号鈴鹿越え道路の機能は低減しました。

鈴鹿峠へは、東海道53次の内48番目の坂本宿から「二十七曲」の旧坂を上ります。峠上の県境には、形も大きさも異常な「万人講常夜灯」が建っていました。金毘羅講が建立したもので、江戸時代の東海道の賑わいを感じさせられました。箱根峠などは国道から離れていますが、鈴鹿峠は平安時代から1000年の間、ほぼ同じ場所を越えています

関の山/精いっぱいというのを「関の山」と言いますが、語源は東海道の47番目の関宿(せきじゅく)の山車が、これ以上豪華にすると道幅の関係で限界だということに由来します。

三重県亀山市関町の地名は、古代三関(さんげん)の一つ鈴鹿の関があったことに由来します。関宿は東海道と伊勢街道、大和街道の分岐となり、参勤交代や伊勢参宮客で賑い、本陣2、脇本陣2,旅籠屋42軒があって、飯盛女を多数抱えていました。

2キロほど続く旧宿場の通りは、重要伝統的建造物群保存地区、日本の道百選に指定され、東海道でも随一、江戸時代の旧態を残しています。

名古屋から関西本線で亀山まで1時間余、木津方面に乗り換えれば次の駅が関宿です。関の宿場から坂本宿を経て、県境の鈴鹿峠を越えて滋賀県の土山宿までのコースは、広重の「東海道五十三次」が体感できて、東海道古道歩きの中でも五指に入る楽しい古道です。

土山からは、草津線貴生川駅までバスで行き、終点草津で東海道本線に乗り換えます。

<狭い町並み:豪華な山車も道幅まで>
<狭い町並み:豪華な山車も道幅まで>

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