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中部

5_14 東海道五十三次の継ぎ足し旅 御油(ごゆ)宿から赤坂宿

<弥次喜多が狐に化かされた御油の松並木>

松尾芭蕉の言葉に、「東海道の一筋も知らぬ人、風雅におぼつかなし」とあり、東海道を旅したことのない人は、俳諧の本質を語る資格がないと言い切っています。芭蕉の気持ちの一部でも味わいたいと、名古屋から名鉄本線で御油(ごゆ)に行き、赤坂から岡崎まで歩きました。

御油宿/御油宿は、女改めが厳しい東海道新居関を避けるため、浜名湖北部を迂回する、一名姫街道と呼ばれた本坂街道の分岐であったことから、東海道の宿場の中でも大きな宿場となりました。隣の赤坂宿の距離は2㌔弱のため、互いに客引きが激しく、安藤広重の『東海道中五十三次』の御油の場面に、「留め女」が強引に客を引っ張っている様子が描かれています。『東海道中膝栗毛』でも弥二喜多が留め女に引かれて困っていること、さらに御油の松並木ではキツネに騙されるという珍道中が描かれています。

『東海道中五十三次』も『東海道中膝栗毛』も、旅ブームが始まりつつある中で、格好のガイドブックともなりました。弥次喜多の旅は伊勢神宮から京阪まで続き、版を重ねて四国金毘羅宮にも参拝するまでになり、広重のシリーズとともにベストセラーになりました。

 現在の御油は、JR駅から離れ、名鉄線の特急が停まらないため、急激な開発から免れて、留め女が多くいた宿場の名残を留めています。次の赤坂宿との間に国天然記念物の「御油の松並木」が残っています。おかげで、夏の強い日差しの中、快適に歩けました。

赤坂宿/御油と近い距離にある赤坂宿は旅籠が80軒以上ある大きな宿場でした。名鉄線の赤坂駅に近い割には宿場の雰囲気がよく保たれ、広重の『東海道五十三次赤坂宿』に描かれている大橋屋は、近年まで宿屋として営業していました。今は「赤坂宿場資料室・よらまんかん(寄って行こう)」となり、ボランティアの方が詰めていました。

広重「東海道五十三次」の絵は宿屋の内部を俯瞰し、湯上りの男、寝そべって按摩を呼ぶ男、隣の布団部屋では飯盛り女が夜の接待のため化粧している姿が描かれ、史料としても一級です。広重の絵に描かれている中庭の蘇鉄は、今は近くの寺に移植されていますが、樹形は広重の絵そのままです。宿場の中央に残る本陣跡もよく保存されています。

赤坂は、広重の浮世絵と弥次喜多道中記の両方を楽しめる宿場です。芭蕉の「夏の月 御油より出でて 赤坂や」の句碑もあります。句は、二つの宿場の近いことを表しています。

御油と赤坂の東海道歩きで、芭蕉の風雅には程遠くとも、ボランティアの情にも接し、広重や弥次喜多の旅の様子に触れたような気がしました。(カメラのレンズが不調でした)

<江戸初期から営業していた大橋屋:旧屋号の「古いや(鯉屋)」の提灯>
<江戸初期から営業していた大橋屋:旧屋号の「古いや(鯉屋)」の提灯>

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