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中部

5_11 『闇を裂く道』 丹那トンネルと丹那牛乳

<函南駅近くの「丹那隧道工事殉職者慰霊碑」>

吉村昭の『闇を裂く道』を読み、宇都宮始発の熱海行に乗り、すぐに接続する沼津行きに乗り換え、トンネルを抜けて函南駅で下車しました。殉職者の慰霊碑に参り、さらに丹那盆地をに残る北伊豆地震の断層跡を廻りました。

丹那トンネル/ 丹那トンネルができる前は、小田原の手前国府津駅から箱根を迂回し、沼津駅に行く、現在の御殿場線が東海道本線でした。急勾配のため、補助機関車を連結する必要から、輸送力に限界があり、鉄道輸送の需要が高まり、熱海と函南を結ぶトンネル掘削が鉄道省内で議論されました。この辺の事情は『闇を裂く道』に詳しく書かれています。

トンネルは、経験がない複線での掘削となり、熱海口と函南口から着工しました。大正7年起工、7年の工期を予定しました。しかし、技術の未熟さ、さらに工事期間中に「北伊豆地震」に見舞われるなど、度重なる事故により67名の犠牲者を出しました。その中には朝鮮半島から徴用された人たちも含まれています。慰霊碑はトンネルの両側に建碑されています。  

『闇を裂く道』には、15年の長期間にわたる工事が時系列で描かれ、水脈を失った地元丹那の人たちの葛藤、昭和恐慌など、丹那トンネルに日本の近代史が凝縮されています。

16年の工期の末、昭和9年に日本初の複線のトンネルが完成、その後の日本の発展を支えました。新幹線では2分ですが、東海道本線では7800㍍の丹那トンネル通過に7分かかります。新幹線では丹那トンネル掘削の苦闘の歴史は伝わってきません。

丹那牛乳/近くののスーパーに「丹那牛乳」が並んでいる時には、選んで買っています。

丹那盆地は富士火山帯の噴火口跡と言われ、周囲4キロほどの小さな盆地で、真下を丹那トンネルが通っています。『闇を裂く道』の冒頭には、水がきれいであること、湧水地ではワサビも栽培されていること、水田の他に丘陵地ではホルスタインを飼育しているなど、のどかな農村風景が紹介されています。駅ができることから村民はトンネル掘削に好意的でした。

しかし、トンネル掘削に伴って水抜き坑が掘られると、水田の用水、村民6000人の飲み水にも困窮するようになりました。穏やかな村民が筵旗(むしろばた)を連ねて工事事務所に押し掛ける様子や、補償交渉などの人間模様の描写は、吉村小説の真骨頂です。

『闇を裂く道』は地元静岡新聞の連載小説でしたから、先の県知事がリニア着工に慎重な発言をしたことに対して共感する県民も少なくないと聞きました。

水田から酪農に転換した丹那牛乳には、トンネルの歴史が凝縮されています。

<北伊豆地震で横ずれをした丹那盆地の現場>
<北伊豆地震で横ずれをした丹那盆地の現場>

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