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中部

5_01 伊勢湾を挟む潮騒の島と醸造の町

<神島の渡船場:買い物帰りの島民 若い時分に映画に出た人もいる>

志摩半島と対岸の知多半島は、古代の日本文化の誕生とも深く関わりのある場所です。伊勢湾入り口の真ん中にあって黒潮に洗われる島と、対岸の知多半島を訪ねました。

神島/学生時代、三島由紀夫の『潮騒』が吉永小百合の主演で映画化され、強烈な印象を持ち、とうとうサユリストになってしまいました。映画をきっかけに文庫本を読み、小説の舞台の島が気になっていましたが、やっと念願叶って訪ねることが出来ました。

小説の舞台は歌島となっていますが、伊勢湾と太平洋とが接する神島がモデルです。映画も神島でロケーションが行われました。三島は、都会の影響を受けていない島で、古代以来の生活や文化、人間関係が継承されていることを条件としました。

1周4キロの小さな島には商店はなく、映画で話題になって以来開業したという幾軒かの民宿があるだけでした。映画に出てきた場所には看板が設置され、島の女性方が集まって洗濯する場面の井戸も残り、吉永小百合の演ずる初江と浜田光夫の新治が出会った場所もそのままです。ただ、今は主人公たちのような若者には出会いませんし、神島の渡船場を利用する方に、映画のエキストラで海女として出演したという方々いましたが、皆さん高齢の方ばかりです。その分私も年を重ねていたことを実感しました。

島を訪れて、若い日にドキドキしたことを少し思い返すことができました。フィクションでありながら、自分の心に取り入れられた小説の舞台を訪ねることも旅の醍醐味です。

ポン酢/神島から対岸の知多半島の伊良湖岬に出て、半田市に行きました。ポン酢の歴史を訪ねるためです。ポン酢の語源はオランダ語の「ポンス」で、柑橘系のすっぱい調味料のことだということです。漢字の酢が当てられたことから、外来語由来という意識をもっていませんでした。醤油と同じ感覚です。

半田市には、江戸時代から200年以上続く酢の醸造所があります。江戸時代の半ばになると、町人が手軽な外食として「はや寿司」といわれる、酢でしめた魚を飯に載せて食べることが流行しました。今日の江戸前寿司の原点です。

酢の需要が増え、半田の酢屋勘次郎は、米麹からでなく、酒粕を原料とする安価な酢を醸造し、江戸の大消費地に海上輸送しました。商標のミツカン酢は江戸町民に定番の味となりました。

食生活の変遷に合わせ、尾張商人らしく商機を捉えて販路を広げ、会社名もMizkanとローマ字表記にして世界進出を図っています。日本唯一の酢の博物館を併設しているので、知多半島の醸造所から、酢とともに日本の経済の仕組みを学ぶことができました。

<運河に臨むミツカンの醸造蔵:海上輸送で市場を独占した>
<運河に臨むミツカンの醸造蔵:海上輸送で市場を独占した>

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