挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
挨拶の言葉として「今日はあったかだね」と言う。暖房機の無かった時代、風っ吹きの日が続いた冬、年寄りたちにとって「温っか」な日は何よりで、縁側の日溜まりでお茶のみ話に花が咲いた。「あったかだ」が挨拶になるのは自然なことであった。
あったか
温っか
挨拶語 敬 語 つなぐ言葉など
後味が悪いという意味では使わない。家庭では、食後の味のことなどを話題にすることはなかった。1度出した御馳走の後で「一緒に出さねで、後口になっちゃったけど」と勧める。出し遅れた時の挨拶にもなった。
あどくち
後口
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「居るかい」の転で、「居ますか」という他家をを訪問するときの挨拶。中にいる婆ちゃんは「居るよー。お寄りなんしょ」と言って招き入れる。表面的には敬語的な表現ではないが、親しい近所の人の付き合いにはふさわしい挨拶の言葉である。
いっけー
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
江戸言葉が残っていたもので、お茶飲み友だちが来ると、婆ちゃんは「おあがななんしょ(おあがりなさい)」と勧めた。「なんしょ」は「なさい」と同じ意味の尊敬の補助動詞である。「お座りなんしょ」とか、「おあたんなんしょ(お当たたりください)」と囲炉裏の火に当たるように勧める。「なんしょ」は響きが良くて、温かみがあった。
おあがんなんしょ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
座蒲団を使ってお座りくださいという意味。接頭語にさらに尊敬語表現の「なんしょ」を重ねたもの。祖父母との生活時間が長かったので、隣近所の年寄りのお茶のみ話の中で、その当時でもすでに年寄り語であった敬語についても様々耳にすることがあった。その代表が「なんしょ」であった。まず人が訪ねてくれば「おはいんなんしょ(お入りなさい)」、次に「おがげんしょ(お掛けなさい)」と囲炉裏旗へ誘い、さらに「おぢゃおあがんなんしょ(お茶おあがりなさい)」と勧める。良い人間関係が見えてくる。
おあてなんしょ
お当てなんしょ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
雨の大降りだが、挨拶用語として使われる。「いや今日は大降りだね」と、「いい天気だね」などとともに使われる。農業は天気に支配されるので、天気の善し悪し、寒暖などの挨拶用語も多い。「ちかあがりで困りやんしたね(長雨で困りましたね)」とか、「お湿りが欲しいね」とか、雨に関するものが多かった。雨が降るかどうかは農作業に影響するから、地域社会での挨拶用語にも取り入れられたのであろう。
おおぶり
大降り
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「お稼ぎなさい」という意味で、これからまだ仕事が続くことへの慰労でもある。「さようなら」などの形式的な別れの言葉よりも生活実感がこもり、人と人との繋がりを強く感じる言葉である。「なんしょ」は尊敬の意味を表す補助動詞で、「おあがんなんしょ(お上がりください)」など、様々な場面で使っていた。
おかせぎなんしょ
お稼ぎなんしょ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「お構えなく」の丁寧表現。当時でも年寄り婆さんが使った言葉であった。江戸の言葉などがそのまま残ったことも考えられる。八溝の言葉の中には、磐城方面の東北南部や常陸北部と共通する古い江戸言葉が、物とともに海をとおして入って来たと思われるものも珍しくない。男の人は使っていなかったから、遊里の言葉が伝播したとも考えられる。
おかまえはりゃすな
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
隣近所お互いに融通しあい、物の貸し借りが多かった。借り物をする時は「おかりもしゃす」と挨拶した。また、庭を通って通過する時も、「おかりもしゃす」と言った。八溝の敬語の代表であったが、今は「お借りします」になり、めいめいで道具も持っているから、貸し借りも少なくなった。
おかりもしゃす
お借り申します
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「お粗末様でした」というのは、もてなしの内容への謙譲表現である。それに対して、盛りが軽いことを詫びながら「お軽うございました」と言った。味などの問題でなく、提供する量の問題が優先されたのは自然なことで、実感がこもっている。今でも年配者は使っている。敬語が少ないと言われる八溝の言葉で、残しておきたいものの一つである。
おかるーござんした
お軽うござんした
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「ご馳走様」に、さらに敬語の「お」を付けて最高の敬意を表した。有り難い振る舞いに対して、御馳走様だけでは足りなかったので接頭語の「お」付けて、より敬意を表した。我々の世代はまだ「おごっつぉさん」と使っている。
おごっつぉさま
お御馳走様
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「おくれ」が濁音化した。腹が減れば「何がおごれ」と、何でも良いから腹の足しになるものをねだった。補助動詞ふうに、他の動詞について「してください」の意味にもなる。その際は「お」がなくなり「貸してごれ」となる。この言葉は今でも現役で使われ、「貸してください」と言うのはよそよそしくて気恥ずかしい。
おごれ
お下れ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「おくれなんしょ」が転訛した言葉であろう。婆ちゃんが使って、爺ちゃんは使ってない言葉であるから、女性の言葉であろう。八溝の言葉の中には、千葉や茨城を通して江戸言葉が移入され、戦後まで残っていたと思われる言葉が少なくない。近しい関係でも、改めての集まりの時は、婆ちゃんはいつもと違う言葉を使い、何かよそよそしさを感じることがあった。
おごんなんしょ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
遠慮することをいう。挨拶の意味で辞宜から来た言葉。「そんなにおじぎ(遠慮)しないで、さくく(遠慮なく)お上がりなんしょ(なさい)」と言ってお茶や食べ物を勧める。反対に、「あの人はおじぎばかりしてん(しているの)で付き合いにくいね」などと言うことになる。隣近所の付き合いは程よい「おじぎ」が必要で、反対に「おじぎ」ばかりして「つっかけ持ち」になっては円滑に進まない。
おじぎ
辞宜か仁義
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
婆ちゃ ん子であったので、今では使われなくなった年寄り言葉を耳にする機会が多かった。「おだのみしゃす(よろしくお願いします)」も、当時すでに婆ちゃんの言葉であって、若い人は使っていなかった。明治半ば生まれの婆ちゃんは、江戸言葉を使っていた。その古い言葉を耳にしていた最後の世代になってしまった。貴重な経験である。
おだのみしゃす
お頼みします
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「お晩です」は夜になってからの挨拶で、「今晩は」と同じ意味であるが、敬意を表す「お」が付いている分優しく聞こえる。子どものころは「お晩です」が当然であったが、現在は年寄りを含めてほとんどが「今晩は」になっている。
おばん
お晩
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
夜になりきらない薄暮の時の挨拶である。「方」の用法には方向だけでなく、時間も表すこともあったので、その用法が今に残ったのであろう。晩に向かう時間が「お晩方」であり、挨拶用語となった。「方」は「かた」でなく「がた」である。
おばんがた
お晩方
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「おやすみなさい」のこと。婆ちゃんが使っていたが、当時でも若い人は使わなかった。爺ちゃんは使っていなかったから女性だけが使う言葉であったろう。「なんしょ」は尊敬表現で、標準語は「なさい」である。「おあがんなんしょ(お上がりなさい)」、「おはいりなんしょ」など、さまざまな場面で使われた。
おやすみなんしょ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「お楽に」だけ単独で使わず、「お楽にしとごんなん しょ」という。くつろいでくださいというのではなく、「平にしとごんなんしょ」と同じく、膝を崩して胡座をかくことや、囲炉裏に足を入れることを勧める。30年頃にもすでに年寄り語になっていた。今は「平にしとごれ」という。
おらぐにしとごんなんしょ
挨拶語 敬 語 つなぐ言葉など
飲食のすることの尊敬語の「あがる」に接頭語「お」が付き、さらに尊敬の補助動詞「なんしょ」で、きわめて高い敬意を表す。江戸から伝わった言葉であろう。栃木県一帯は無敬語地帯と言われるが、上品な敬語である。土間から囲炉裏の場所に上がってもらう時にも「おわがりなんしょ」を使った。
おわがんなんしょ
お上がりなんしょ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
私が通っていた小学校が大内小学校、隣の小さな小学校が大那地小学校であったので、「おーじもおーなじもおんなじだ(大内も大那地も同じだ)」と、ともに山の中であることを自虐的に言っていた。「おんなじ」は今も使われている。
おんなじ
同じ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「〜けれど」の意味で逆接の接続詞の働きをする。「そうだきっどさ(そうだけれどさ)」と使っていた。同じ意味に「ほ(ん)だって」や「そんだげんと」がある。言い訳が多く素直でなかったから、ついつい「そんだきっど」が多くなった。親や先生は扱いにくかったに違いない。
きっど
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
体育(たいく)の時間に掛ける号令。「気をつけ」が転訛した表現。先生の号令が「きょうつけ。みぎーならい」と聞こ「気をつけ 右倣え」の意味は分からなかった。標準語を身に付けた先生はきちんと言っていたはずだが、聞く側の耳が八溝言葉に翻訳してしまっているのだろうか。
きょうつけ
気を付け
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
自分に恩恵を与えて欲しい時、また、物をもらう時の依頼に使う。目上の人に依頼する時は、敬意の「お」を付けて「おくれ」となり、変化して「おごれ」という言葉を使った。「忙しいんで、少し手伝ってくろや」とお願いする。「俺にもくろや」と、物をねだる。様々な場面で使った便利な言葉である。
くろ
下ろ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「ごと」と同じで、「一緒に全部」という意味である。「骨ぐし食べる」は骨ごと食べることであり、「お膳ぐしひっくり返しちゃった」となれば、お膳の上の茶碗類も全部ひっくり返ったことになる。普通に使っていたが、今は聞くことがない。
ぐし
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「そだごと(そんなこと)あったんけ」とか、「予定はいつだったけ」と、相手に確認をしたり疑問を投げ掛ける時に使う。「け」の代わりの「か」では心が籠もらない。「そうげ」とうなずけば相手の心にしみこむようだし、「そうげや」と疑問を呈しても嫌みがない。「か」に比べて口をあまり開かない「け」や「げ」は、感情を直接見せないという心の暖かさを伝える力を持っている。
け(げ)
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「けれど」との意味で、相手の言葉に対して反論するときに使う。「きっど」と同じである。「そだげんと、俺(おら)違うど思うんだ(それはそうだが、俺は違うと思うんだ)」と使う。ずいぶん使用した言葉だが、今の若い人たちは使うことがなくなった。
げんと
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
馳走に「御」がついて「ごちそう」となり、さらに「ごっつぉー」に転訛した。御馳走におが付い「おごちそう」が「おごっつぉ」に転訛した。馳走はもともとは接待のため走り回ることである。接頭語おを付けて「おごっつぉさんでした」という。「よっぱらごっつぉーになっちゃって(ずいぶん御馳走になっちゃて)」と、改めってお礼を言う。御飯が終わる時の挨拶も「ごっつぉさまでした」という。相撲の世界の「ごっつぁんです」も同じである。中年以上はまだ現役として使っている。
ごっつぉー
御馳走
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
他家を訪問する時の挨拶で、「御免下さい」のこと。「なんしょ」は敬語として、お茶を勧めるのも「お上(あが)んなんしょ」と言う。婆ちゃんはしばしば使っていたが、爺ちゃんが使っていたという記憶がない。江戸言葉の名残として、福島や茨城、長野方面でも使われているという。
ごめんなんしょ
御免なんしょ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
学校で先生に別れの挨拶をする時は標準語で「さようなら」と言っていた。その後で友達間では「さいな」と言って別れた。さようならの語源は「さようならば(そうならば別れましょう)」が縮まったもので、古くは「さらば(そうならば)」と言っていた。卒業式の式歌として使われていた「仰げば尊し」の中にも「いざさらば」がある。「さいな」も「さようなら」、「さらば」とつながるもので、今でも関西では「さいなら」と言っている。中学生になると「さいなっす」と語尾に「す」を付けた。何となく男らしさが出ている感じがした。今は「ほんじゃね」に取って代わられた。
さいな
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
接尾語のように「そうだんべかした」と、会話の最後に付けて、確認をしながらの疑問を投げかける時に使う。また、「そうすっぺかした(そうしようか)」と柔らかい勧誘の際にも使う。会話の中で日常的に使い、親しみのある言葉で、使う人たちの優しい心根の出ていた。今は使わなくなった。
した
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「もしそうしたら」で、仮定条件を表す。また、発語として、相手の話を受けて、「したっけ、今度は俺の番かな」というように使う。今は全く使われないが、同年代の人たちとお茶のみ話の時には自然と出てくる言葉である。それだけ日常的に使っていたからであろう。
したっくれ(したっけ)
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
相手に援助の手を差しのべること。「謝りに行って助けるよ」と、友だちが同行してくれる。他にも「大変だがらやって助けるよ」など、いろいろな場面で使った。今は標準語で「一緒に行ってあげるよ」が普通になって来た。わざとらしくない気遣いを表現する良い言葉だった。
すける
〜助ける
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「ん」は打ち消しの助動詞の古い使い方である。関西の「やれん」という、出来ないことを意味することと近似している。 ただ、「ん」は本来動詞の未然形に付き、「わがまま言うなら食べんといいよ」と言うふうになるところだが、「する」に付く時は「すんともいい(しなくてもいい)」というふうに未然形ではない。「とも」は、接続助詞の働きをし、「くんともいいよ(来なくても良いよ)」などと使う。「きょうは煙草熨しすんともいいよ(しなくてもいいよ)」と仕事から解放された。今でも弟から「今日はくんともいいよ(今日は来なくてもいいよ)」と電話がある。出自の難しい言葉だが、優しい響きの言葉である。
すんとも
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
さまざまな場面で使い、「そんでせ」と、語調を整えるだけでなく、念を押す時にも使う。同じ接尾語の「さ」はア段で口をはっきり開けるので、エ段の「せ」は口をはっきり開けないから、顔も穏やかである。残したい八溝の言葉である。
せ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
標準語の「清々と」が転訛したもので、きれいさっぱりの意。庭の草むしりが終わると「せーせどした」と安堵する。人間関係にも多く用いられ、感情的なもつれが解決すると「せーせーど」する。古い雰囲気を持っている良い言葉である。
せーせど
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
感動詞として、相手の言葉を受けて、肯定したり疑問に思ったりする時に使う。「どうしたらよがんべ」と聞かれれば、即答しないで「そうさな」という。断る時など柔らかく表現するのにふさわしい言葉である。また、「そーさな、9時までには終わっぺ」と、断定するまでには行かないが、確信に近い心情を表現することもある。
そうさな
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「そうだけれど」の変化したもの。反論する時に、「そんだきっと」と言い訳をする。素直でなかったことから、この言葉を多用した。
そだ(ん)きっと
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「その代り」の意味だが、標準語とはニュアンスが違い、逆接的な意味は弱く、単純接続の「そんじゃ」にも近い感じがする。「そのかし、こんだは俺のほでやっからよ(それじゃ、今度は俺の方でやるからさ)」となる。いろんな場面で多用した。今の若い人たちにはこのニュアンスが通じないだろう。
そのかし
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「そうするというと」の音変化。さらに「そうするちゅーと」にもなる。地元出身の先生は、授業の中で「そーするちゅーと」と盛んに使っていた。算数の苦手な私には「なんちゅったって(何と言ったって)わがんながった(わからなかった)」。懐かしい言葉である。
そーするっつーと
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「だからと言って」の短縮。接続詞の働きでなく、逆説的に発語として使う。「だがらって、なんでもいいっつうわげじゃねよ(何でもいいということはない)」となる。
だがらっつて
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「だと言うの」の転訛。使う場面でニュアンスが変化し、「だっちゅーのよ(そうなんだよ)」と念を押すこともあるし、逆接になって「だっちゅーのに)」と使うこともある。便利な言葉であった。
だっつ(ちゅう)ーの
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「ということはない」の転訛したもので、その意味の後ろには「困ったもんだ」という気持ちが込められている。「何言っても聞くちゃない」とか「ひとっつも(少しも)勉強するちゃないんだから」と、言外に非難や叱責の気持ちがあった。一方で、叱られる子供の方も「いくら怒られたって知ったこっちゃない」と気に掛けることもなかった。
ちゃない
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「という」の転訛で、「線分ABをまっつぐ(まっすぐ)引くちゅうと」と中学校の先生が数学を教えていた。叱られて言い訳していると、「なんだちゅうの(何言ってんの)」と、さらに叱られる。八溝の懐かしい響きである。
ちゅー
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「って」と促音で使われる。確認に使い、軽い勧誘の意味も持つ。「俺さぎに寝って(おれは先に寝るよ)」と確認をし、内心は「一緒に寝るべ」と勧誘の気持ちを持つが、より柔らかい表現になる。古い日本語の意味を今に残しているものと思われる。
って
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
体の変化したもので、接尾語として「人」のことを指す。複数でも単数でも使う。「あそこん(あそこの)てーは悪(わり)ごとばーしして(あそこの家の子は悪いことばかりして)」という。複数の時は等(ら)をつけ、「おらじ(我が家)てーらはテレビばーし(ばかり)見て少しも勉強しないだから」と孫全体を指していた。「若いていら」と世迷い言をするのはいつの時代も変わらない。
てー
体
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
感嘆詞で、「へー」と驚くことである。「でー、そーがや(へー、そーなの)」という。普通に使っていたが、今は高齢者だけになってしまった。
でー
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
引用などの格助詞の働きばかりでなく、文末に付けて終助詞的に意味を強める働きをする。「今度先生がよその学校にいぐんだと」と言う時は、先生の転勤をいち早く知る立場であったから、仲間に伝えるたが、そればかりでなく、心の動揺を抑えがたく驚きの意味を表現する。「そうなんだと」と、驚きの感情を表すことがしばしばあった。
と
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「どっちみち」のこと。今は「どっちみっち」ともいう。「早ぐやったからって、どっちし同じこったから」と急がない。この言葉も、若い人たちには通用しない死語になりつつある。
どっちし
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「なにして」の短縮形か。「どうして」と、責めるように理由を聞く。「なしてこだごどになったんだ(どうしてこんなことになったのか)」と聞かれる。
なして
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
敬語で「なさい」の意味。「ゆっくりしてきなせ」と言われて、隣の年寄りは半日もお茶を飲みながら世間話をし、最後に「長っちり(尻)したね」と言って帰って行った。
ともすると関東地方の人たちは古くから都人に「坂東戎(板東えびす)」と侮られ、言葉が汚いとされたが、関西風の温かみのある敬語も多く存在した。
なせ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
敬語「なさい」。「お座りなんしょ」など、お婆ちゃんが使っていた。爺ちゃんは使っていなかった。「お上がりなんしょ」、「お掛けなんしょ」など様々な場面で使い、子どもの頃は耳馴染みの言葉だったが、今は全く聞かなくなった。
なんしょ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「なんつったて」とも。「なんといったって」の意で、下には肯定も否定もくる。肯定の時には称賛の意味が付加される。「なんちゅったてかなわねなや(なんといったってすごくてかなわないな)」という。反対に、「なんちゅたっていまさらしゃんめ(何と言ったって今さらしょうがないだろう)」と否定的なものになる。県央の宇都宮でも使われている。
なんちゅったって
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
標準語は「なんでもかでも」で、「どうしても」の意。「なんでかんで明日までにはおやさねと(どうしても明日までに終わりにしないと)」と使う。この言葉は今でも日常的に使われている。
なんでかんで
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
言い訳をすることで、「せ」は「人のせい」と言うように、理由や原因を示す「せい」の縮まったものと考えられる。共通語として「何の彼の」があるが、「なんのせかんのせ言って、いつになっても返してくれねんだ(あれこれ言い訳して、いつになっても返してくれないんだ)」と、八溝地域では語末に「せ」を付ける。一段と言い訳がましさが強調される。
なんのせかんのせ
何んのせ彼んせ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
標準語でも使われる。お店に行って「いくら」と聞く用法である。「このミカンはなんぼだい」と聞けば、お店の人は「4つで50円だ」と答える。「ほんじゃ100円がどご(がところ)おごれ(それじゃ100円分下さい)」といって、8個買ってくる。さらに「なんぼでも調子に乗って(いくらでも調子に乗って)」と、後ろにマイナスの心情を含ませる使い方もする。
なんぼ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
のちが「のーじ」になった。時間の後のことだが、長短にはそれぞれ立場が長短がある。子どもにとって「のーじ」は当てにならない時間である。「早ぐ買っておごれよ」と言っても、「のーじ買ってやっから」と言われれば、ほとんどダメなことで諦めなくてはならなかった。
のーじ
後
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「早(はや)」の転訛。「はー5時になっちゃった」は、もう5時になってしまったの意味である。会話の最後に使うこともある。「5時だぜはー(5時だよもう)」となる。「はー」は、今の「もう」よりも上品な感じがする。八溝の言葉の中には、古い日本語の雰囲気を内包したものが多いが、消えていくのは残念である。
はー
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「としても」の意味で、接続助詞の働きをして、文末は打ち消しになる。「貧乏するばって悪りことしちゃなんねがら」(貧乏したからといって悪いことしてはならないから)と言い聞かされて育った。日常の会話の中でよく使われ、今もまだ使われている。九州の「ばってん」も同じ意味である。
ばって
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
江戸言葉の「ばかし」の転訛で、「ばかり」、「だけ」の意味。「おればーしおごられてる」と言えば、自分ばかり叱られていることへの不満になる。「くったばーし(食ったばーし)」は時間の限定で、食べたばかりの意味である。
ばーし
ばーし
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
よく考えないで、生半可なこと。「へた」は不器用なという意味でなく、「へたをすると」の意味、「げ」は他の言葉について「いかにも〜のように」という接尾語である。「へだげに(へたげに)しゃべったくれ、後でひでめつくかんな(ひどい思いをするからな)」と、良くないことを予想した使い方をする。
へだげに
下手げに
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「そうか分かった」の意味で、納得した時に使う。「ほーがや」、あるいは「ほうがい」という時は、疑問というより、納得しない時に使う。また、単なる言い出しの言葉として、「うん」というような意味で使い、「ほが、ほんじゃ続きは明日やっぺ」と勝負の続きは明日に持ち越す。相手も「ほが、そんだら(そうなら)学校けーたらやっぺ(学校帰ったらやろう)」と納 得するのである。
ほが
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「そうなの」いう意味で、肯定や時には感嘆表現になり、イントネーションの違いで、「そうかい」と疑問になることもある。「ほーげ」と音変化する。会話の中でしばしば使い、八溝語にはなくてはならない言葉である。
ほげ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「そうだ」と肯定する時に使う。否定の時は「ほだげんと」、あるいは「ほだきっと」となる。「ほだほだ」と畳語にして使うと、相手の心情を十分に受け止めたことになる。友だちが「今度の喧嘩は一郎やんが悪いんだんべ」と聞くと「ほだよ。俺(おら)何にも悪い(わりー)ごとしてねんだよ」という会話になる。「ほんだら謝っごとあんめや(それなら謝ることはないだろう」と言われ、「ほんだきっと一郎やんが怪我しちまったからな」という会話である。
ほだ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「それでは」という意味で、接続詞の働きをするし、さらには「ほんじゃね」と、「さようなら」と同じように感動詞として使われる。物事が一段落したので、「ほんじゃね」と言って分かれる。さらに、「ほんじゃまー、こん次にすべー(それじゃまあ、この次にしよう)」と、物事が一段落した時に使う。
ほんじゃ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「そうだけれど」の意で、逆接の接続詞の働きをする。先生にお説教されても「ほんだきっど、おればっかりじゃあんめよ(それはそうだが、俺ばかりではないでしょう)」と反論する。素直な性格でなかったから、何かに付け「ほんだきっと」と反論した。
ほんだきっと
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「それで」の意味で発語のように使う。「ほんでさ、頼みがあんだきっと(それでさ、頼みがあるんだけれど)」と使う。この言葉は大変便利で、さまざまな場面で使い、念を押す時にも使う。「ほんじゃ、こん次遊ぶ時はほんしこでやっぺ(それでは、この次遊ぶ時は正式のルールで遊ぼう)」と言う。今回は本気ではなかったのである。「ほんで」はまだ現役の言葉である。
ほんで(ほんじゃ)
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「ほう」は「そう」が転訛し、「げ」は疑問の助詞。「そうかい」と納得するが、「ほーげ」が尻上がりになるとと疑問の意味にもなる。「ほーげや」となることもある。中年以上の人たちの会話の中には現役として使われているが、だんだん「そーげ」から、さらに「そうかい」に移行している。
ほーげ
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「もしかすると」の意味。ぼんやりするという「ぼーっと」する意味ではない。「ぼっとすっと今晩は雨が降っかも知んねぞ」と、空模様からかなりの確信をもって仮定する。若い人は使わないが、同世代ではまだまだ現役の言葉である。
ぼっとすっと
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
言わないことではないの転訛で「それみろ、ゆわねごっちゃね(注意していたとおりだろう)」という叱り言葉である。ただ、標準語の二重否定的な「言わないことではない」とは違った。言うは「いう」でなく「ゆう」と発音するのが普通で、言った言わないは「ゆったゆわない」である。イ段よりもウ段の方が発音しやすかった。
ゆわねごっちゃね
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
江戸言葉の「よございます」の転訛したものであろう。明治半ば生まれの婆ちゃんたちは、江戸言葉の名残の敬語を使っていた。婆ちゃん子であったから、同じ世代の中でもより多く耳にする機会があった。昭和30年代に世代が代わるととも、婆ちゃんたちの言葉は次の世代には引き継がれなかった。学校教育ばかりでなく、ラジオ、テレビの影響により、地域に残っていた言葉は「きたない」ものとして駆逐されてしまった。「よがんす」は、敬語が少ないと言われる八溝の貴重な言葉であった。
よがんす
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
比較の「よりか」の転訛。助詞「よりも」と同じく、「より」に助詞の「か」がついて意味を強めている。「これよっかあっちがいい(こっちよりもあっちの方がよい)」という。まだ会話の中に普通に使われる現役のことばである。
よっか
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
現在の「呼ぶ」よりも古い言葉「よばふ」の意味に近い。招待するの意味があり、「隣の父ちゃん呼ばって酒飲みすっぺ」ということもあるし、「父ちゃんこと呼ばって来(こ)」は「呼んでくる」ことである。単に声を出して呼ぶことではない。
よばる よばれる
呼ばる
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など
「わっち」は「儂:わし」が訛ったもので、「わし」は江戸時代までは女性が使っていた一人称で、その後男性の一人称になったという。「わっち」は方言でなく、江戸で使われていた言葉であり、八溝地方にも伝播し、比較的最近まで女性の一人称として使われていた。富山県出身の育ちのいい女性が、自分を「わし」といっていてびっくりしたことがあるが、京言葉に近かったのであろう。子どもの頃、男は「おれ」を使っていたが、女子は「わっち」を使っていた。「私」は改まった時以外には使わない。中年以上の女性は「おれ」を使っていた。自宅を指すのも「おらち」あるいは「おらんち」であった。今でも叔母は「わっち」を使っている。由緒ある一人称である。
わっち