top of page
動物や植物との関わり

アイソ(ウグイ)の産卵場所。上流と下流側は幅1メートルほど、中程を膨らませて、両側を砂利で囲ってきれいな小石を並べ、アイソを産卵する場所に誘導した。アイソが中に入ったころを見計らい、二人で上下から藁束で閉鎖し、水を干して捕まえた。先人のアイソの習性を知った捕獲方で、きわめて効果的な漁法であった。河川改修前にはおもしろいように捕れたが、今はアイソがいなくなってしまった。きれいな婚姻色をしたアイソを「魚串(いおぐし)」に刺して囲炉裏で焼いて、山椒味噌で食べた。香ばしい味はふるさとの川そのもののである。

あいそば

アイソ場
動物や植物との関わり

イモリのこと。腹が赤いので、アカハラドジョウと呼んでいた。田んぼや沢筋にたくさんいた。赤い腹部に黒い斑点があり、気持ちいい物ではなかった。子どものころは、腹の赤いヤモリも同じもので、イモリが池から陸に上がって、名前だけヤモリになるのかと思っていた。両棲類と爬虫類の違いなど全く分からなかった。ヤモリは時々梁から座敷に落ちてくることもあったが、家をも盛る「家守」であるから、いたずらなどせず、縁の下に戻しておいた。湿田から乾田になって、今ではイモリの生息場所も少なくなって、田んぼで泳ぐイモリを見ることもなくなった。

あかはらどじょう

赤腹泥鰌
動物や植物との関わり

アケビのこと。甘い物に飢えていた子どものころに、あきびが一番の甘さだった。庭の柿の木に絡まった蔓は子どもの腕よりも太く、隣の梅の木にまで伸びていた。9月の末になると、目立たなかった茶色の皮が紫色に変わり、少しずつ口を開けてくる。数日後には食べ頃になる。学校から帰って食べようと思って木に登ってみると、「烏め」にやられた後だった。残りの「あきび」を口いっぱい頬張り、種を思い切り吐き出した。砂糖の甘さとは違う物である。今もあきびは健在だが、空き家になって「烏め」の独壇場である。

あきび

動物や植物との関わり

ヤブカンゾウの仲間の総称で、正式な意味の「アマナ」とは違う。子どもの頃、豊かな自然の中に住んでいながら、植物に関心が無かった。これは個人の問題でなく、生活に関わりないものには関心が薄かったという地域の人々の関心度がそのまま子どもたちにも影響したものである。「アマナ」は土手に咲き、身近なものであったが、正式名と違ったまま覚えて今に至っている。

あまな

甘菜
動物や植物との関わり

外来種のムラサキツユクサのこと。庭植えにすると丈夫で繁殖力もあり、切り花にしてもすぐに回復する。花が紫色をしていて、ブルーブラックのインキに似ていたのでインキ草と言っていた。「インク」でなく「インキ」と言っていたが、今でも会社の名前は「インキ」が使われている。

いんきぐさ

インキ草
動物や植物との関わり

イタドリのこと。若芽の時に口にしたが、苦みが強くて食べられなかった。夏を過ぎると通学路の「うますっかんぼ」が背丈以上に伸びて、実が重くなるころは道路の方に倒れかかる。馬も食べなかった。春のすっかんぼ(スカンポ)はよく口にしたが、酸っぱいだけで決して美味しいものではなかった。

うますっかんぼ

動物や植物との関わり

「ガマガエル」に敬称のおを付けた。ヒキガエルのこと。蝦蟇は屋敷の縁の下などにいて害虫を食べることから、家族の一員のように大切にしていた。そんなことから敬称を付けて「おがまがえる」になったのであろう。両棲類でありながら、どうして水辺から離れて生活していたのであろうか。身近いに居たのに生態については関心がなかった。

おがまがえる

お蝦蟇
動物や植物との関わり

「つくつくぼーし」のこと。「つくつくぼーし」の鳴き声は「おしーつくつく おしーつくつく むぐれんぎょす むぐれんぎょす」と擬音化され、そのまま「おしーつく」が名前となった。標準語は下の方の「つくつく」から命名されたが、八溝言葉の「おしーつく」の名前の方がふさわしい。

おしっつく

動物や植物との関わり

お茶叢(むら)か。耕地が狭い山村では、お茶は土手などに植えていたので、畑のように畝になっていないで、いくつかの株の塊が並んでいた。「おちゃぼら」である。かつては土間に焙炉(ほいろ)があって、集落の人が順に使っていた。今は、手入れのされていないお茶の株は徒長して、山茶花のように伸びて、晩秋から初冬に掛けて白い花を咲かせている。

おちゃぼら

お茶ぼら
動物や植物との関わり

「おらじのおっかは」と自分の妻を親しい人に言う時には「め」は付けない。「め」を付ける時は、動物の母親に対して使い、語末に卑しさや親近感もつ「め」を付けた。家の中に馬がいて、外には放し飼いのニワトリがいる時代には、「おっかめ」の子育ての様子を身近に見ることができた。特に馬のおっかめの出産の様子を間近で見ることにもなり、命の不思議さに触れることとなった。

おっかめ

動物や植物との関わり

ニワトリの放し飼いにしていたので、夕方は鳥小屋に入れて、イタチやキツネに襲われないように扉を石で押さえ、翌朝には庭に「おっぱなす」。犬も猫もおっ放したままで、半ば野生のようであった。子どもも忙しい時期には「おっ放された」ままであったが、友だち同士でつるんでいたことがで、かえって社会性が身に付いたように思う。

おっぱなす

おっ放す
動物や植物との関わり

クワガタのこと。子どものころ昆虫採集をした記憶がない。昆虫を捕えたのは食用にするイナゴくらいで、カブトムシやクワガタを見つけて歩くことはなかった。川に行って魚を捕まえる、山に入って小鳥を捕ることが遊びの中心であった。昆虫の名前も良く判別しない。残念なことに、園児たちに教える知識を身煮付けず仕舞であった。

おにむし

鬼虫
動物や植物との関わり

オニヤンマのこと。トンボ全体は「げんざんぼ」と総称する。トンボなどの昆虫や植物の名前には関心がなかった。これは、地域社会の育む文化の違いで、生活に関わらないものの名前は必要なかったからであろう。一方では、生活に関わる農事に関わるものには細部の名前があり、それぞれ使い分けていた。子どもたちも親世代が話す生活用語は耳から聞き知って、今でも良く覚えている。

おーやまとんぼ

大山トンボ
動物や植物との関わり

オオバコのこと。人の通る道ばたに多く、背丈の高くなる他の雑草と生育場所を分ける。名前は葉形がカエルの姿に似ているからであろう。家の門場(かどば)の硬く踏みしめられた場所にもよく生える。ウサギを飼っていたので、毎日「カエルッパ」採りは欠かせなかった。舗装される前の轍(わだち)の間にはいくらでもあった。明治末に創刊された短歌結社「車前草社」が「かえるっぱ」からの名前だというのはずっと後で知った。道ばたの轍(わだち)の近くにあることから、踏まれても屈しないという意味であろう。吹き出物が出ると、婆ちゃんが火に炙って表皮をとって貼ってくれた。

かえるっぱ

蛙っ葉
動物や植物との関わり

馬だけでなく豚なども専門の種付師に依頼をして受胎をさせた。種付けに成功すれば「かかった」という。掛らなければ雌馬の様子を確認して又種馬を連れてやってくる。豚の種付けも来たが、馬ほどは興味がなかった。何といっても馬の迫力にはかなわない。、

かかる

掛る
動物や植物との関わり

繭玉を飾るミズキのこと。伐採すると切り株から水がしみでてくるほど水分を吸い上げる。このことから「水の木」とも呼んでいた。小正月の15日に枝先に繭玉を刺して竃の神「おかま様」にお供えする。水分を多く含むことから、火伏せの神様となったのであろう。繭玉は養蚕が順調であることを願った予祝である。また、ミズキは枝先が二股に分かれるので、子どもたちが「引っかけこ」をし、どちらが折れずに残るかを競う遊びに使ったので「かぎっこの木」と言っていた。

かぎっこのき

水の木
動物や植物との関わり

柏餅を包む柏の葉。カシワは寒冷地に多く、近所では我が家だけにしかなかったから、柏餅(かしゃもち)の季節になると葉を取りに近所の人たちがやって来た。カシワは春に新芽が出るまで、古い葉が枝を離れないことから、家系が途切れないという縁起のいい木であった。ただ、今は新暦で節句を祝うことから、葉が出る前での「かしゃもち」であるから、「かしゃっぱ」では包めないし、餅を町の饅頭屋で買って済ましている。カシワの古木は健在だが、家は途切れて無人になっている。

かしゃっぱ

柏葉
動物や植物との関わり

ヒグラシのこと。「カナカナ」と聞こえるので、そのまま名前となった。ミンミンゼミは「みんみん」、ツクツクボウシは「おしっつく」である。その他のアブラゼミの類は「じり」である。形状や鳴き声での命名が一番感情を共有することができる。夕暮れに「かなかな」を聞くと、日中の暑さが忘れられる。うるさいほど鳴いた蝉の類が少なくなったのはなぜだろうか。夏の風情が一つ減った。

かなかな

動物や植物との関わり

株のことで、広く東北から北陸、中部地方まで使われているという。「かぶつ」の「つ」はどういう意味だろうか。「かぶつ」は単に切り株だけでなく、広く立っている草木の根方も指す。大きな神社のイチョウの根が盛り上がっていれば「でっけいかぶつだな」という。同じく、「稲のかぶつ」という時には、切り株も指し、また刈り取る前の株も「かぶつ」であった。

かぶつ

株つ
動物や植物との関わり

一般に八溝地方では、言葉を短くする傾向があるが、逆に一音では落ち着かないで「かんめ」とか「かんかんめ」となった。蚊取り線香や網戸も無い中で、背戸の竹藪からヤブ蚊が侵入し、羽音をさせながら家中を飛び回った。夕方になると家の中で青い杉っぱを燃やして煙を立てて蚊を追い出していた。中にいる家人も煙くてたまらなかった。古典にも「蚊遣火(かやりび)」と出てくるが、そんな上等な言葉は使わなかった。当時はキンチョウの蚊取り線香などは見たこともなかった。ただ、その後にスプレー式の殺虫剤が出回ったが、広い家では効果がなかった。夜は戸を開け放し、蚊帳の中に固まって寝た。

かんかんめ

動物や植物との関わり

藪を通れば葉擦れの音が「がさがさ」することからの擬音語であろう。日常的に野山が遊び場であったから、がさ藪を気にしていられない。キノコ採りのためには、できるだけ人のいないところに行くために、両手を顔の前にして、篠や藤蔓を分けながら泳ぐように前進する。軍手など無いから、手はいつも引っ掻き傷だらけであった。登山の藪こぎは苦にならないし、誰よりの上手であった。子どもの頃のがさ藪で遊んだ経験がものをいっている。

がさやぶ

がさ藪
動物や植物との関わり

青曽(あおそ)という種類の細長い渋柿。我が家には干し柿用の蜂屋柿の古木が10本以上あった。蜂屋柿の中に混じって、実がやや小ぶりで細長いものが1本あり、金玉柿と呼ばれていた。これは干し柿にしなかったので、最後は小鳥の餌になった。受粉用の渋柿であったのだろう。晩秋には軒の下に何百連も干し柿が並んだ。今では温暖化で良く乾燥する前に腐ってしまい、ましてマンションのベランダでは風通しが悪く干し柿は出来ない。金玉柿は枯死してしまった。

きんたまがき

金玉柿
動物や植物との関わり

魚の名前。捕まえるとギギーと声を出した。正式にはギバチという。捕まえると刺すことから「蜂」の名前が付いている。食べては美味しくなかった。今は河川改修で「ぎんばち」の住む環境が無くなってしまった。

ぎんばち

動物や植物との関わり

ヘビのことを古くは「くちなわ」と言った。広辞苑には「朽ちた縄に似ていることから」とある。しかし、マムシの色は赤みがかっていることから、朽ちた縄には見えない。「はび」は食うことの古語で、人に食いつくヘビを意味としている。冬眠から冷めたマムシは沢筋に集まり、夏には涼しい尾根に上がってくる。ちょうど山林の下草刈りをする時期であり、最も注意をしなくてはならない。血清も無い時代には絶命する人もいた。一方で、強精剤であることから、鎌で頭を押さえつけ、殺さないように持ち帰り、一升瓶に水を入れて数日間生かしておいて腹の中のものをきれいにして焼酎漬けにした。また、そのまま皮をむいて囲炉裏で焼いて食べることもあった。囲炉裏の上にある藁でできた「弁慶」に刺しておいて燻製にもしたので、否応なしに「くちはび」を毎日見ることになった。

くちはび

動物や植物との関わり

クモの類はすべて「くぼ」であった。初秋になって朝の気温が下がり、露がたくさん降りるころになると、蜘蛛の巣が朝日に当たり宝石のように輝いて見える。特にきれいな円形に作られたコガネグモの巣は、外側に行くに従って目が粗くなり、途中にぎざぎざの白い線もあり、造形的にも美しい。藪など歩いていて顔に掛ると糸が粘り付く。巣の真ん中には大きな蝉が掛っていることもあった。巣に近づくと、巣全体を揺すって威嚇してくる。木の枝のざくまた(Y字)に巣ごと捕って別なものと戦わせた。ジョロウグモと似ているが、こちらは巣の形はコガネグモより粗雑であり、体も貧弱であった。

くぼ

蜘蛛
動物や植物との関わり

桑の実のこと。河川敷に大き山桑の木があり、梅雨明けが近づくと、どどめ色(黒紫色)した桑の実がたくさんなった。川遊びの帰りには、手も口もどどめ色になるほど食べた。童謡のように「小籠につむ」ことはなかった。河川改修で桑の古木も伐採されてしまった。懐かしい味である。

くわぐみ

桑茱萸
動物や植物との関わり

とんぼ類全体をいうが、トンボの代表はオニヤンマであったから、単に「げんざんぼ」と言った時はオニヤンマのことを指す。開け放しの家の中に入ってきて蠅を捕まえていた。オニヤンマを追いかけていくと素通しガラスの所にぶつかって、行き場を失っている時に捉まえることが出来た。「げんざんぼ」の由来は、修験者の鋭い目つきから来ているという。トンボの王様である。なお、とんぼ鉛筆のローマ字表記は「TOMBOW」で、日本の古い発音である。

げんざんぼ

動物や植物との関わり

魚の鱗(うろこ)のこと。「こけら」が濁音化した。広く東北南部から関東一円に使われている。柿落(こけらおとし)の「こけら」とは違うが、形状が似ていることから、どちらも「こけら」と言ったのであろう。川にいる魚のカジカやスナサビには「こげら」はないが、鯉の仲間には「こげら」があった。

こげら

動物や植物との関わり

雌のニワトリが抱卵期に入ること。納屋の軒下に鶏小屋を作り雄鳥(おんどり)1羽と雌鳥(めんどり)数羽を飼っていた。日中は外での放し飼いにして、夕方になると小屋に戻るようにしつけておいた。オスはしばしば辺り構わずメスの背中に乗り交尾をしていた。ところが、メスの鳴き声が変わり、羽を下げるようにして歩き出し、オスを受け付けなくなり、卵も産まなくなる。「こじった」のである。食べずに残しておいた有精卵数個を箱に入れておくと抱卵が始まる。21日経つとひなが誕生する。やがて、ひなが親鳥について庭に出て遊ぶようになる。成長しても卵を産まないオスの雛はどうしたのだろうか。

こじる

動物や植物との関わり

動物が発情することの意味である。「ふけ猫」と言ったが、馬には「ふける」と言わなかった。春を過ぎると厩(うまや)の馬の様子が普通と違ってくる。その頃になると博労(ばくろう)が種馬を連れて農家を巡回する。村の下(しも)の方からやって来ることが伝わると、子どもたちはどきどきして待っていた。種馬は1日何頭を相手にしたのだろうか。草の豊富な来春に生まれるように時期を調整していた

さかる

盛る
動物や植物との関わり

落葉樹で雑木林に普通にあるリョウブのこと。「猿滑(猿なめし)」と書き、サルスベリと木肌が似ていることからの命名。炭材にもするが、材が固くしかも柔軟性があることから、斧(おの)などの柄に使われた。樫(かし)は固すぎて手に直接伝わるので、道具によっては力を吸収してくれる「さるなめし」が好まれた。「りょうぶ飯」として若芽を炊き込むということだが、食べたことはなかった。

さるなめし

動物や植物との関わり

木の枝が分かれていることで、特にきれいにYの字になっているものを言う。パチンコを作るの台木であるから、左右均等に分かれていなくてはならない。遊びの場だけでなく、生活の場でも様々な場面で利用され、野菜保存の屋根を作る時の棟を渡すのにも利用した。復元された縄文人の竪穴住居でも「ざくまた」を上手に利用していたことが窺える。

ざくまた

裂股
動物や植物との関わり

茅(かや)など切り株で、何本も株立ちしているもの。背丈の伸びた「がさやぶ」は藪そのもので、「がさがさ」音がすることからの擬音語であろうが、「ざざっかぶ」は切り株のことである。ビーバー(草刈り機)で刈り払ったのでなく、鎌で刈り払ったので、鋭い切り株がのこり、踏み抜きをして足の裏を怪我することがあった。

ざざっかぶ

動物や植物との関わり

「しきみ」のことで、「しきび」と濁った。墓地に植える樹木で、果実は猛毒である。かつて土葬であったことから犬や狼に掘り返されないように動物を忌避する植物を植えた。入り口にあるヒガンバナもその1種とされる。火葬となり、土葬に必要な墓地の広さは管理が大変であり、大きくなりすぎたシキビも要らなくなった。

しきび

動物や植物との関わり

ホオジロのこと。スズメに次いで身近にいる小鳥であり、地面に降りて生活し、篠藪など低いところに営巣するので、子どもの目線に入りやすい。冬場の餌の少ない時期に、篠藪に稲穂でおびき寄せ、「じょんこ」という罠を仕掛けた。メジロのように生きたまま捕らえるのでなく、篠のたわみを利用して首を挟むものであった。食べることはせず、ただ捉まえることが目的であった。

しっとど

動物や植物との関わり

サツマイモやキュウリなど野菜の先端部。「尻(しりっぺ」、「しっぺた」ともいった。「ぺた」は「辺」だが、「ぺじ」も同じような意味であろう。サツマはもったいないからと言われて、筋っぽい「しっぺじ」まで食べた。食べられない部分は山羊の餌になった。

しっぺじ

尻っぺじ
動物や植物との関わり

凍ることで、方言ではなく、古典にも出てくる。凍(しみ)大根や凍み豆腐は冬の寒さで凍らせた保存食である。反対に、冬期間「しみ」ては困る大根など野菜は土の中に埋(い)けた。特にサツマイモは保存が難しく、凍みては駄目だし、温度を上げすぎると「ソチ」て腐れが入った。冬の食べ物の保存には、積極的に凍みらせるものと、凍みないような対策をする物がある。保存法は長い年月から生まれた知恵の集積である。

しみる

凍る
動物や植物との関わり

霜で植物が傷むこと。冬の初めに大霜があって、元気だった草の葉が一気に枯れてしまうと、本格的な冬の到来を知る。春になり、勢いよく新芽が出たのに、遅霜で「しもげ」てしまうこともある。草だけでなく、元気を無くし寒そうにしている子どももまた「しもげ」ている状態である。

しもげる

霜げる
動物や植物との関わり

サルスベリの漢名である百日紅(ひゃくにちこう)が転訛したものである。漢音のまま呼んでいることから古い言葉であろうが、音の変化が大きいので、元の意味を理解していなかった。我が家には「しゃくじっこ」の古木が墓地の四周にあり、文字どおりお盆の季節から9月いっぱい咲き続けた。百日紅は仏教とともに輸入されたもので、寺院などに植栽されたものであるから、本来は庭木にするものでなかった。今は紅ばかりでなく紫の「しゃくじっこ」が公園や個人の邸宅にも植栽されている。

しゃくじっこ

百日香
動物や植物との関わり

キノコの出る場所、「代」のこと。他人には教えないもので一子相伝である。婆ちゃんは孫を連れて山歩きもした。「よぐおぼいとけ(良く覚えておけ)」と、孫に「代(しろ)を伝えたかったのである。夏にはチタケを採ってきてうどんの出汁にし、秋にかけてはイッポンシメジやセンボンシメジなど籠いっぱいに採ってきた。雑木林が藪山になり、キノコの出る「代」もなくなった。

しろ

動物や植物との関わり

ドクダミのことである。「地獄そば」の転訛で、そばの漢字は「蕎麦」と「側」がある。ドクダミは「毒矯め」とも考えられという。強い臭気がして、強い繁殖力があるり、根が地獄にまで届いているということから、地獄の名が付いたとされている。祖母は毎年初夏になると、「じごくさば」を採取し、藁で縛って軒下で乾燥させて、土瓶で煎じて飲んでいた。トウヤク(センブリ)やゲンノショウコとともに身近な薬草であった。庭に入り込まれるとたちまち繁殖して、根絶は困難であった。名前に「地獄」が付くので、何か不吉な感じはするが、花は純白で一輪挿しにふさわしい。

じごくさば

地獄蕎麦
動物や植物との関わり

道路脇には「自然薯販売」という桃太郎旗を目にすることがある。この「じねんじょ」は本来の自然薯ではない。自然は「しぜん」とも「じねん」とも読むが、いずれも人為的に人の手が加わっていないものをいう。ところが、販売されているものは、畑で塩ビ管の中で真っ直ぐなるように育てられたもので、大変に人の手が加わり、山の藪などにあるものとは大違いである。コンニャクは1年では食べられないので、そのまま畑で冬を越し、来春に自然に芽を出してくる。手を加えず自然のままのものを自然生と言っていた。今はヤマイモのことだけが「じねんじょ」になったが、本物の「じねんじょ」ではない。

じねんじょ

自然薯(生)
動物や植物との関わり

荏胡麻(えごま)のこと。食べると10年長生きするとか、10年間保存できるなどの語源がある。「じゅうね」が本当の名前だと信じていた。当時はどの家でも作っていたように思うが、手間を掛けても収量が少ないこともあって、30年代には耕作者なくなってしまった。普通の胡麻よりも濃厚で、擂り鉢で摺って味噌と和えたり、砂糖を加えて餅に付けて食べると、何とも言えない香りがした。今は健康食品として「荏胡麻油」が売れているという。復活させたい日本の味である。

じゅうね

十年
動物や植物との関わり

シットド(ホオジロ)を捕獲するための罠。冬になるとさまざまな鳥が里に下りてくる。シットドはスズメとともに子どもたちにとって身近な小鳥であった。篠をたわませてバネとして、稲穂に誘われてやってきたホオジロの重みでバネが外れて首を絞める仕掛けであった。生き物との知恵比べであった。今はホオジロもメジロも捕獲すれば法律違反となる。

じょんこ

動物や植物との関わり

ミンミンゼミやヒグラシ、ツクツクボウシ以外のアブラゼミなどはすべて「じり」であった。色からしてアブラゼミは「赤じり」であった。植物の名前や昆虫の名前には無関心であったのは、生活に関わらないものであったからであろうし、身の周りにあり過ぎたからであろう。花は花であり、虫は虫で、細かく区別していなかった。セミ取りやトンボ取りに熱中した記憶がない。子どもたちには、実利を兼ねたもっと良い遊びがたくさんあった。

じり

動物や植物との関わり

どんぐり。家のまわりの防風林のシラカシの実で、先が尖った小さいものは「じんだんぼ」ではあっても、子どもたちは関心を示さない。本当の「じんだんぼ」はクヌギのものであった。球状でしかも大きく、袴(はかま)も厚くてしっかりしたものであった。山に行ってポケット一杯採ってきた。時には固い殻を破って赤い芽が出ていることもあった。子どもながらに、世代更新があることを知る機会であった。

じんだんぼ

動物や植物との関わり

馬追虫のこと。半道(はんみち:約2キロ)離れた煙草収納所で時々映画の上映があった。雨が降った状態のフイルム(フィルムでない)は不鮮明で、時々切れることもあった。戦前制作の時代劇が巡回してきたのであろう。映画が終わり、鞍馬天狗の恐ろしい場面の余韻が冷めない中、暗い夜道を「すいっちょ」の声を聞きながら帰った。仲間に遅れないよう、自然に小走りになった。秋になり「すいっちょ」が鳴き出し、日没が早くなると、子ども心にも季節の移ろいを感じた。

すいっちょ

動物や植物との関わり

正しくはスイバ(酸葉)である。道ばたにもたくさんあり、春先には新芽を伸ばし、食べると文字どおり酸っぱい味がする。八溝では「すっかんぼ」で、標準語では、北原白秋の「すかんぽの咲く頃」にあるように「すかんぽ」である。皮を剥いて塩を付けて食べたが、美味しいものではなかった。今は薬草として注目されている。

すっかんぼ

動物や植物との関わり

スナサビのこと。川に沢の清水が流入する砂地に棲息していた。砂を食(は)むことからの命名という。卵を持つ産卵時期に筌(うけ)で捕って、卵とじにして食べた。川魚の中では絶品であった。ドジョウのように骨が硬いこともなく、泥臭さもない。乱獲や河川の改修によって、ほとんど捕れなくなってしまった。

すなはび

動物や植物との関わり

サツマが腐ってしまうこと。サツマ以外では使わない。新しく移入された作物なので、外部からの言葉と思われるが、語源は「損じる」か。 土の中に埋(い)けておくが、寒さによる凍害、さらには熱を持ちすぎて腐れることもある。種芋の年越しが難しかったから、年季の入った婆ちゃんの管理であった。

そちる

動物や植物との関わり

飼っている馬は、従順でしかも子馬を産んで馬市に出せることから雌馬であった。発情期の初夏になると博労に連れられた種馬がやってくる。子どもたちは種馬の後をついて回る。馬屋から出された飼い馬は庭先に繋がれ種馬がやってくると落ち着かなくなる。尻を叩かれた種馬は思い切り「のったった(勃起)」ペニスを雌に挿入すると、小学生の子どもたちも興奮する。頃合を測って種馬は引き離されたが、ペニスには白い液体がべっとりと付いていた。

たねんま

種馬
動物や植物との関わり

県内の多くでは「たらっぺ」と言われる。タラノキの新芽のこと。「ぼ」は「坊(ぼう)」で、接尾語としてタラノキの芽に対しての親近感を持たせたのであろうか。あるいは、木に棘があるので、蔑称かも知れない。春の山菜の王様である。地域の人たちの山菜であったのに、今では町の人たちが大挙してやってきて、二番芽まで取ってしまうので、木そのものが枯れてしまう。

たらぼ

動物や植物との関わり

正式名知らない。丸いので「団子蜂」と呼んでいた。刺さないものと思っていたから、カボチャの花に入って蜜を吸っている時に、花の先を指で摘んでら、バックしてきて指を刺されたことがある。刺す種類と刺さない種類がいるのだろうか。刺された瞬間の痛さはあったが、他の蜂に比べて我慢が出来ないほどの痛さではないし、後遺症もない。羽音が大きい割には大人しく、余程のことがなければ刺されない。大事な花粉の媒介昆虫である。団子蜂の羽音を聞くと春の生き物の営みを実感する。

だんごばち

動物や植物との関わり

蝶々類は「蝶まんぼ」で括られた。アゲハはでかい蝶々程度にしか意識していないから、名前も知らなかった。昆虫採集などは全く「益もね(役立たない)」ことだったから、関心がなかったのである。モンシロチョウなどは菜っ葉の大敵だから、菜の花にたかっていれば柏手をするようにして、ちゃぶし(つぶし)ていた。オオムラサキで地域興しをしているところもあるが、どんな「ちょーまんぼ」か、生態も分からないい。

ちょーまんぼ

蝶まんぼ
動物や植物との関わり

蟻地獄のこと。軒の下の乾いた所に幾つも穴が掘られていた。普段は姿を見せないので、わざわざ蟻を捕まえてきてきて穴に落とすと、顔を出したかと思う瞬間、蟻とともに土の中に消えていく。この蟻地獄がやがて羽化してウスバカゲロウになることは知らなかった。そんなことを教えてくれる人はいなかった。

ちんころたんころ

動物や植物との関わり

スズメのことを指すこともあるし、小鳥はすべて「ちんちめ」と言うこともある。スズメは今よりも数が多かった。スズメはカラスなどの天敵から身を守るため人と生活空間をともにしてきたが、最近の家屋は藁屋根が少なくなり、さらに無人の家が多くなったからスズメの居場所がなくなった。「ちんちめ」は家族のような一番身近な小鳥であった。

ちんちめ

動物や植物との関わり

「すぎなんぼ」ともいう。「つくし」のことだが、成長した親のスギナは何と呼んだのだろうか。今はツクシを食用にしているが、当時は食べる習慣がなかった。何よりも畑に入り込むと駆除が大変で、畑作農家の大敵であった。土手焼きしても最初に顔を出すのは「つぎなんぼ」である。背丈の高い「つぎなんぼ」を切り離して、もう一度刺し直して、どこで継いでいるか当てる遊びもあった。

つぎなんぼ

動物や植物との関わり

トウモロコシのこと。「もろこし」は雑穀の名前で、唐黍と書く。「とうぎみ」は「とうきび」が転訛した物であるが、いずれも中国から伝来したもので、名前が混同している。今では缶詰などでいつでも食べられるが、夏に収穫したトウモロコシは皮を剥いて2つを束ねて、軒下に提げて乾燥して保存食にした。冬になると石臼(いすす)で挽いて粉にしたり、そのまま御飯に入れて「かて飯」にしてて食べた。今のスイートコーンでないから甘くはなかった。

とうぎみ

動物や植物との関わり

本来は植物のセンブリを乾燥させたものをいうが、植物そのものを言う。祖母は、トウヤクを採ってきて藁に挟んで軒下で乾かし、土瓶に入れて飲んでいた。腹具合が悪い時に飲まされたが、苦いことこの上ない。村立の学校では予算不足を補うため、トウヤク採りをし、教材費に当てた。当時は、日当たりの良い山道にたくさん出ていた。学校では、イナゴ取りもしたし、タケノコの皮を集めていた。

とうやく

当薬
動物や植物との関わり

母馬を「おっかめ」と言うのに対し、生まれて間もない子馬のを「とんこめ」という。当年は、その年あるいは今年の意味で、一歳馬は「とうねっこ」である。動物全般の語尾に付けるメが加わり、トンコメとなったものである。馬は同じ屋根の下にいて家族同様であり、機械化される前までは農耕には欠かせないものであった。馬頭の町で開かれる馬市に「おっかめ(母馬)」とともに連れて行き、「とんこめ」を競りに掛けた。子を取られた「おっかめ」は激しく抵抗し、「どうどうどう」と手綱を絞られていた。馬市が終わり、二里の道を爺さまの牽く「おっかめ」の背にゆられて帰路についた。家族と一つ屋根に過ごした「とんこめ」がいなくなと、急に寂しくなった。

とんこめ

当年子め
動物や植物との関わり

広辞苑には「栃木・群馬県などで桑の実のこと」とある。桑を土手の崩れを防ぐ土留めにしたからと言うが、判然としない。養蚕に使う桑は根刈りされてしまうので、桑の実がなるのは土手や河原などに自生していた山桑が多い。桑の実を食べると口や摘んだ手がドドメ色に染まった。桑の実が食べられるころ、水浴びをし過ぎてすっかり体が冷え切り、唇がドドメ色になってしまった。夕焼け小焼けの歌にあるような桑の実を蚕籠(こかご)に摘むような情緒はなかった。

どどめ

動物や植物との関わり

ミミズの中でも太くて大きいもので、特に種類として区別しているのではない。特に大きなミミズを指した。ごみ山をほっくり返し、ぬるぬるする太いのをバケツに取って来た。夕方に仕掛ける下げ針でウナギを捕るのに最適である。今は養殖もあるという。

どばめめず

土場蚯蚓
動物や植物との関わり

零余子(むかご)のことである。オニユリなどにも出来るが、特に山芋のむかごを指した。秋になって葉が黄色くなると、どんごが丸く大きくなるので、蔓から採ってざるに入れて持ち帰った。茹でて食べることもあったし、米に混ぜて食べることもあった。いずれも皮はむかなかったが、食べるのに邪魔にはならなかった。芋のようなほくほくした食感があった。食糧事情が乏しい時代の食べ物と思っていたら、最近は様々なレシピも出ている。

どんご

零余子
動物や植物との関わり

「ばばすこ」とも言った。正しくは「シマドジョウ」と言うそうである。ドジョウのように大きくならず、清水の湧く砂地に棲んいた。小さいからか、「どんばらすっこ」は、子どもたちの捕獲の対象にはならなかった。同じようなところに棲んでいるスナサビはウケで獲って卵とじにしたが、「どんばらすっこ」は食べたことがない。

どんばらすっこ

動物や植物との関わり

卵を産むことで、それ以外には使わなかった。「卵なしてあっかどうがみで来(卵産んであるかどうか見て来い)」と言われて鶏小屋に入ると、雄鳥(おんどり)が羽を広げて勢いよく跳び掛ってくる。縄張りを守る責任である。ミカンの木箱で作った巣から卵をいただいてきた。

なす

動物や植物との関わり

キノコの一種。黒くて縁が反り返ることから、「鍋被り」になったものであろう。あまり美味しいものではないが、大きな笠なので、ボリュームがあり、子どもでもよく採れた。藪山になってしまって、キノコがでなくなってしまった。

なべっかぶり

鍋被り
動物や植物との関わり

正式名は「アブラハヤ」。「にがんべ」は食べると苦いので名前となった。小さな川でも魚種は豊富で、ふかんぼ(深み)には「ザコ」が泳ぎ、草の生えた淵にはナマズがいたり、蛇篭の中にはウナギもいた。1日1度は川に行かないと気が済まなかった。ただ、今はブロック擁壁で両岸が固められ、ふかんぼなく、川に行く子どもたちもいない。

にがんべ

動物や植物との関わり

正式名はショウリョバッタ(精霊ばった)。バッタはトノサマバッタとネギサマバッタは区別していたがその他は知らない。「禰宜様バッタ」は捕まえると頭を何度も上げ下げることから「米つきバッタ」とも言われた。八溝では神職全般を「禰宜様」といって、宮司と区別する職階の意識はない。バッタの頭が神職の冠に似て尖っているからの命名であろう。追いかけると「キチキチ」と羽音を出したことから「キチキチバッタ」とも言った。

ねぎさまばった

禰宜様ばった
動物や植物との関わり

『広辞苑』には「ぬたぐる」が掲載され、「うねりまわる」とある。ヘビやミミズがうねうねと這うこと。雨上がりの午後には、みみずが「のだぐった」跡が光って地面に残っていた。その先をたどるとミミズそのものは太陽に照らされて干からびていた。珍しい光景ではなかった。今は使われない。

のだぐる

動物や植物との関わり

秋になるといち早く紅葉するウルシの仲間で、メジロ捕りの鳥もちを巻くのに使った。鳥もちを巻く前に、湿らすために、唾液を着けたので、直接なめることになる。稀にかせる子もいたが、かせていてはメジロ捕りにならない。小正月の15日の小豆がゆは「のでんぼ」で作った孕み箸(真ん中が膨らんでいる)で食べた。御幣に用いられた縁起のよい木である。

のでんぼ

ヌルデ
動物や植物との関わり

ノビルのこと。ヒルがヒロに転訛して「ののひろ」になった。『古事記』に、日本武尊が敵にノビルを投げて撃退したことが出てくる。もともとニンニクやノビルなどには魔力が宿っていると信じられていた。
「ののひろ」はそのまま引き抜くと球根が地中に残ってしまうので、鎌を使って丁寧に引き抜いた。土の付いた一番上の皮をむいてそのまま食べると苦みがあり、いかにも野草の感じがした。婆ちゃんがおいしいゴマ汚しを作ってくれた。「ののひろ」は春の息吹を感じる野草で、今も大好物の一つである。

ののひろ

野蒜
動物や植物との関わり

苔(こけ)のこと。川の石に付いているは「のろ」で、軒下の日陰にも「のろ」が張っていた。雨樋(あまどい)がなかったから、梅雨時になれば軒下は緑の「のろ」で覆われるようになる。山の林床に生えているスギゴケのようなものは「のろ」とは言わなかった。すべすべしたものだけが「のろ」であった。

のろ

動物や植物との関わり

蝿(ハエ)のこと。ハエであるかハイであるか全く区別がつかなかった。ただし、岡山県で作られているものに「はいとりりぼん」がある。必ずしも八溝周辺で「エ」と「イ」の区別がつかないという問題ではないようだ。馬屋が家の中にあるから、家中「はいめ」だらけだった。はい捕りリボンか、はい捕りシート、キノコの「ハイトリシメジ」、ガラス製のはい捕り器を使って捕獲した。さらにはネットで作られた蝿帳に食べ物を入れるるなどして防衛しなくてはならなかった。その後折りたたみ式の蝿帳が普及した。食品ばかりでなく、寝ている子どもの顔一面にたかっていたこともある。毎日「はいめ」と格闘であった。

はいめ

蝿め
動物や植物との関わり

種が芽を出したり、髪の毛生えることの他に、特に卵から雛がかえることに使った。ニワトリは放し飼いにしていた。日中は1羽の雄鶏と5羽ほどのメスのコーチンが庭先の「ごんどおきば」(藁かすなどを置く場所)をかっちらかし(掻きちらかす)たりミミズを食べていた。こじった(放卵期に入った)メスがいると、生(な)した卵をミカン箱に入れて、鳥小屋を暗くしておくと、21日後には数羽の雛が生える。生えた雛を育て、卵を生さなくなった古っ羽は祭りの際などのごちそうとして潰して食べた。

はえる

生える
動物や植物との関わり

「発揮」は実力を十分出すこととであるから、「発揮掛ける」は力を発揮させるこということが語源であろうか。犬が他所の犬と一緒になった時には、自分の犬に「発揮を掛け」て闘争心を煽った。犬以外には使っていなかった。他所の犬に尻を噛まれてから、犬に対して異常な恐怖心を覚え、そのことに気づく犬の方もやたらと吠え掛る。犬も人を見るのであろう。

はっきかける

発揮かける
動物や植物との関わり

狭くはイナゴのことを指したが、トノサマバッタ、ネギサマバッタなどもみんな「はねっこ」であった。昆虫や植物の名前は、生活と関わらないから区別も必要なかった。海外登山の際に、ポーターたちに花の名前を聞いても、日本人が花に関心を持つことを不思議がる。彼らにとって花はすべて花で、生活上区別する必要がないのである。同じように、八溝の子どもたちにとっても、生活に関係ない花や昆虫の名は必要がなかったのであろう。イナゴは教材費の足しにしていたから、稲刈りの終わった朝の田んぼで、まだ飛翔力がない内にたくさん捕まえて、学校に持って行った。

はねっこ

動物や植物との関わり

正しくは「カマツカ」という名前であったが、そういう名前も知らなかった。近づくと砂の中に潜って身を隠す。カジカに比べ行動が緩慢であったから、ヤスで突きやすかった。雑魚(ハヤ)などの骨っぽい魚に比べ、脂分があり、美味しい魚であった。

ばかぞ(う)

動物や植物との関わり

蜂のこと。他の昆虫に関心がなかったが、蜂に関しては生活に直結していたから、種類や生態にも強い関心を持っていた。ジバチ(地蜂)を捕まえて、紙縒(こより)を尻に付けて放して巣の在りかを見つけ、サナギを掘り出し、フライパンで煎って食べた。藪に入ってアシナガバチに刺されたし、蔵の軒下に数段もある巣を作っていたクマンバチに頭を刺されたこともある。自然のミツバチの巣を見つけ、少しずつ掠め取ってお裾分けをしてもらったこともあった。

ばぢ

動物や植物との関わり

ホトケドジョウのこと。「どんばらすっこ」とも言った。スナサビやドジョウに似ているが、ドジョウのように大きくならず、清水が湧き出るような砂地にいた。棲息数は多くはなかったが、なぜか捕まえることもなかったし、食べる対象でもなかった。

ばばすこ(どんばらすっこ)

動物や植物との関わり

木イチゴの実。春に白い野バラのような花が咲き、初夏には黄色いイチゴのようなつぶつぶの核果をたくさん着ける。沢筋のやや湿り気のある場所にまとまってあった。名前のとおり棘があったので、引っ掻き傷を作らないよう注意しながら、自然の恵みを思う存分食べることが出来た。種類は分からないが、赤い実の「バラ茱萸」は実が小ぶりで、しかも固くて食べられないものもあった。

ばらぐみ

バラ茱萸
動物や植物との関わり

夜に活動するからの名前か。ムササビのことで、鳥の名が付くが、鳥類ではなくネズミの仲間である。夕方、昆虫を求めて滑空するバンドリを見つけ、子どもたち数人で追いかける。「バンドリ」は滑空だけしかできないので、次に移動する時は高い木に登らなくてはならない。この時間を利用して子どもたちは追いつく。捕まえたことは一度もなかったが、皮膜を広げて飛ぶバンドリは特別興奮する生き物であった。

ばんどり

晩鳥
動物や植物との関わり

マツバボタンのこと。「天気草」とも。漢字では松葉牡丹である。葉が針葉樹のようであり、花がボタンのようであることから命名。苗を植えるのではなく、昨年の秋にこぼれた種からの実生で増えた。周囲の草をむしっていないと、雑草に負けてしまう。花は長持ちし、日が射すと開き夕方には閉じた。「日照草」の名がぴったりである。

ひでりそう

日照草
動物や植物との関わり

もともと中国原産で、仏教とともに輸入されたため、寺院や墓地に植栽されていた。そのイメージから庭木にはされなかった。今は庭木となり、公園にも植栽されている。普通は、木肌がスベスベしているので「猿滑り」の名が付いた。長い期間紅色の花を付けていることから、漢字では「百日紅」と書く。「ひゃくにちこう」が訛って「ひゃくじっこ」となった。。我が家の墓地の四方に「ひゃくじっこ」の古木があり、毎年冬には徒長した枝を切り落とすことが習わしであった。サルスベリよりも格調ある漢名からの呼び方であり、「ひゃくじっこ」がふさわしい。

ひゃくじっこ

百日香
動物や植物との関わり

蕗の薹(とう)のこと。蕗の花の蕾(つぼみ)で、葉より先に芽を出す。まだ開ききらないものを摘んできて、味噌に砂糖を加えて炒める「ふきんじょ味噌」で温かい御飯を食うことは、春の訪れ感じる最高の味であった。薹が立っても茎の部分を煮て食べると、また格別な味がする。

ふきんじょ

動物や植物との関わり

動物が発情すること。家には犬猫の他に馬、一時は山羊もいたのでそれぞれの更けることに出会うことがある。馬も落ち着きがなくなり、やたら乱暴になる。その内に博労が種馬を連れてやって来る。猫も2月の末の日が長くなる頃になると大きな声でオスを呼ぶ。いつもの自分の家の飼い猫とは思えない行動をとり、戸惑うことがあるが、生き物の営みを早くに知ることが出来た。

ふける

更ける
動物や植物との関わり

年を取ったニワトリのこと。卵をなさくなったニワトリは、順番にお祭りの時などのに「つぶし」てご馳走にする。鉈(なた)で頭を切り落として木にぶら下げて血を抜き、鍋で沸かした熱湯に入れた後で羽をむしる。ぼつぼつの鳥肌がはっきりしてくる。内臓には次に生む卵が準備されていた。肉はニンジンや牛蒡との煮染めやうどんの出汁に使われた。子どものころの体験が今も残り、鶏料理で鳥肌が見える部分は好きになれない。「古っ羽」はニワトリだけではない。学校の先生の中にも、年輩の女性の先生がいたが、「古っ羽」と言われていた。

ふるっぱ

古っ羽
動物や植物との関わり

多くはカメムシのこととしているが、「へっぷりむし」はカメムシではない。カメムシは臭うけれど、屁はしない。逃げる時に屁のような悪臭を放つ昆虫がいた。これが「へっぷりむし」である。正しい名前はなんというのだろうか。ゴミムシの仲間であろう。ごみ山の中に棲息していた。

へっぷりむし

屁っぷり虫
動物や植物との関わり

「蛇の枕」のこと。「マムシグサ」とも言った。テンナンショウの仲間で、茎がマムシに似ていることからの命名。便所のウジ退治のため、根を掘ってきて投げ入れておいた。実際に根は有毒であり、効果があった。花も独特の仏焔苞(ぶつえんほう)で、山の日陰にあることから、模様を含めて気持ちの良いものではなかった。秋になって結実する、真っ赤なつぶつぶの三は、花名の蛇の枕にふさわしい形状の色彩である。

へびのまくら

動物や植物との関わり

新芽が勢いよく成長すること。「ほぎて来たからお茶摘みだ」と茶摘みの準備をする。雑草も一雨ごとに勢いよく「ほぎ」て、草むしりも大変になる。ただ、タラの芽など木の芽も大きく膨らんで来ることは「めめぐる」で、「ほぎる」とは言わない。どこが違うのであろうか。さらに、顔にニキビが出てくると、青春の象徴で、新芽のように情念が「めめぐって」くるのである。

ほぎる

動物や植物との関わり

フクロウのこと。夜遊びをして帰ると「ほろすけみでに(みたいに)いつまでもうすうす(ふらふら)して」と叱られた。「ほろすけ」は夜行性であったことから、夜遊びのことになった。五郎助(ごろすけ)と広辞苑に載っている。羽がボロに似ていることから「ぼろすけ」と説もある。子供のころの夜遊びはせいぜい八時までで、それ以降は暗くて、途中で「ほろすけ」が鳴いたりすると恐ろしくて、小走りで帰った。 今の「ほろすけ」は明るいコンビニの前に、深夜でもたむろしている。

ほろすけ

動物や植物との関わり

ホタルのこと。家の中にも迷い込んできた。季節になれば沢の淵の草藪の中には点滅するホタルがいたので、捕まえたホタルを蚊帳の中に放して、しばし鑑賞をした。今は地域興しでホタル祭りをしているが、30年代の頃は家の周りを乱舞していた。今は河川改修で餌となるカワニナがいなくなってしまった。

ほーたる

動物や植物との関わり

藪がひどい場所。「か」は場所を指す接尾語。「ぼさっこ」ともいう。「ぼさぼさ」がそのまま「ぼさ」になったのであろう。毎年下刈りをすることで山はきれいになっていたが、すでに半世紀にわたって手入れをしない雑木山は「ぼさっか」だらけになってしまった。キノコも出なくなり、イノシシの棲みかとなっている。

ぼさっか

動物や植物との関わり

「切り株」のことで、枯れてすぐに燃えるようなもの。特に松の株は「ひでぼっこ」で、松の脂が灯火として使われたので、停電の日には重宝された。戦中戦後、食糧増産のため「開墾地」を開いたので、掘り起こされた杉の「ぼっこ」が軒下に干されていた。囲炉裏にくべておけば、朝から夕方まで長持ちしたが、よく燃えないので、煙も一通りでなかった。

ぼっこ

動物や植物との関わり

広くはお盆ころに咲く野の花のことを言うが、地域によって花種が違う。我が家では宿根草のオイランバナを言った。他にキキョウやオミナエシの秋の七草も含む。いずれも、手入れはしなくてもお盆の季節になると花を着けた。今は仏花は農産物直売所やスーパーでも売っているが、かつての八溝の盆花は山野草であった。毎年お盆に季節に咲くオイランバナは仏前に飾るのにふさわしい。

ぼんばな

盆花
動物や植物との関わり

松ぼっくり、あるいは松笠のこと。我が家には地域では珍しい海岸地方に多い黒松の大木があった。たくさんの松団子が庭に落ちたので、箒で掃き集めて焚き付けに使った。今は枯死して株も残っていない。「松団子」も死語で、「松ぼっくり」と呼ばれるようになった。なお、松ぼっくりは「まつふぐり」の転訛で、「松の睾丸」のことである。

まつだんご

松団子
動物や植物との関わり

なめくじのこと。「まめっくじ」とも言った。先輩諸氏の話では蝸牛(かたつむり)のことを指したというが、「でんでんむしむしかたつむり」の歌のとおり、カタツムリはカタツムリであったように記憶している。梅雨時になると、家の中にも大きな「まめくじ」が這い回り、その跡がくっきり残っていた。手では掴めなかったので、塩を振りかけると、いつの間にか溶けていなくなってしまう。

まめくじ

動物や植物との関わり

穀物や果物が実を結んで十分熟すること。さらに、人が成熟することにも言う。トウモロコシが「実が入った」かどうかは毛の色の変化を見ながら判断する。日ごろの生活の中から「実が入った」かどうかの判断力は身に付いた。今ではスーパーが判断をして店頭に並べるから、これまでの経験が生かされない時代になってしまった。また、「あの人は苦労しているがら、わがい(若い)のに実が入っているよ」と、人格の優れていることにも使う。この用法も自然から離れては意味をなさなくなった。

みがいる

実が入る
動物や植物との関わり

タヌキのこと。かつては狸(たぬき)と狢(むじな)で裁判沙汰になったということを聞いていた。狸は狩猟禁止であっても、狢は含まれないと思って捕獲して訴えられたという。狢と狸が別種であるとの認識であったので、故意でないことから無罪になったという。方言による思わぬ間違いから最高裁で係争された事件である。「同じ穴のむじな」と言っていたが、言葉だけ残って、昔話も「タヌキ」で、八溝でもムジナでなくタヌキになった。

むじな

動物や植物との関わり

小ぶりのうなぎのことで、本県以外でも使われている言葉である。夕方、下げ針に土場ミミズを引っかけて、うなぎが居そうな蛇篭の中などに何本も仕掛けた。翌朝早く見て回ると、糸にグルグル巻きになってうなぎが掛っていることがあった。錐(きり)で頭を刺して身を開いて、囲炉裏で炙り、白焼きにした。うなぎの味の原点である。時には開くのには気の毒な細い「めそっこ」が掛っていることもあった。しかし、「種の保存」などという言葉も、考えもないから、獲れたものはみんな食べてしまった。

めそっこ

動物や植物との関わり

種から芽を出す時にも使い、フキノトウの薹(とう)が地中から芽を出すことも「めめぐって」きたという。また、タラの木の芽が大きく膨らむことも「めめぐる」である。春の到来を告げる言葉で、子ども心にもうきうきした。

めめぐる

動物や植物との関わり

魚種は問わず、小さなものを総称する。メダカという固有種がいることは知らなかった。雑魚(ざこ:はや)の孵化したばかりの「めんざっこ」は流れの緩やかな岸近くに溜まっていたので、手拭いで囲って掬い取り、家の泉水に放した。何年かすると思わぬほど大きくなっていた。本当の「メダカ」という魚種は大きくはならないという。

めんざっこ

メダカ
動物や植物との関わり

モグラのこと。畑が盛り上がるから、「もぐらもち」になったのであろう。今はモグラを見る機会が無くなったが、子どもの頃はモグラが多かった。それだけ、餌のミミズが多くいたと言うことであろう。有機農法などと言わず、それしか出来なかったのである。農家にはモグラ取りの金網の籠があり、入るとバネで蓋が落ちる仕組みになっていた。地上の「もぐらもち」は何と情けない格好で、元気を無くしていた。

もぐらもち

動物や植物との関わり

ヤマカガシのこと。シマヘビはそのままシマヘビで、特別な言い方はなかった。子どもたちの度胸試しで、尻っぽを持って振り回すことをやった。「やまがち」には毒がないと思い込んでいたから、特に恐ろしいものとは思っていなかった。蛇も遊び道具の一つであった。

やまがち

動物や植物との関わり

井上靖の小説『しろばんば』のタイトルは、「ゆきっぷりむし」の伊豆地方の方言である。冬が近づくと白い綿のようなものを身に纏い、風に乗って飛んでくる雪虫のこと。冬の到来を一足先に告げることから「ゆきっぷりむし」と呼ばれた。正しくはワタアブラムシの仲間であるという。子どもの頃はずいぶん見る機会があったが、今はあまり見なくなった。

ゆきっぷりむし

雪降り虫
bottom of page