子どもの世界と遊び
鉄棒の足掛け周りでなく、「ぱーぶち(めんこ)」で、より風を集中させるため、「ぱー」の横に脚を添えることをいう。あらかじめ「足掛け無し」の約束をした。半纏(はんてん)の袖で風力を強めることもルールで禁止であった。地面に掌を叩き付ける「手打ち」は許容範囲であったので、右手の指の指紋がなくなってしまった。
あしかけ(めんこ)
足掛け
子どもの世界と遊び
「足跡」の転訛。わら草履やゴムでできた万年草履では足が汚れてしまう。足を洗わずに上がると、板の間に指型まではっきりとした足跡が残った。これが「あしっと」である。いつも叱られた。今は靴に靴下、家ではスリッパ、足の指を使うことも少なくなった。もちろん「あしっと」などは付くことはない。
あしっと
足っと
子どもの世界と遊び
頭髪を刈ることで、「端切る」は先端を切ることである。村にも床屋があったが、中学生までは家で父親に「端切って」もらっていた。晴れた日に庭先で椅子に座り、大きなふるしき(風呂敷)を首に巻いてバリカンで切ってもらったが、時々刃の間に毛が食い込んでてしまうと、引っ張って外すことになる。痛いのなんのって。その都度バリカンを分解し、刷毛でブラッシングして、ミシン油を塗って再開。中学生になると5厘のピカピカ頭は恥ずかしくて、アタッチメントを使って1分の長さにしてもらった。床屋の同級生のヒロちゃんは裾を少し刈り上げて、いつもきれいにしていた。耳の所に長いのを何本か残したままの田舎の子どもたちとは違っていた。
あだまはぎる
頭端切る
子どもの世界と遊び
昆虫ではない。遊び仲間の中で、年齢が小さいとか、能力に問題があり、遊びの仲間に加えながらも、配慮する存在がいる。配慮が善意であることもあるが、煩わしいので仲間はずれにしてしまうこともあった。大人にもあぶら虫が居て、全っとうな仕事に就けない人のことである。
あぶらむし
子どもの世界と遊び
髪の「お下げ」のこと。3つ編みにして1本にまとめたので「編み下げ」と言った。昭和30年代になると「花王シャンプー」が普及し出した。髪への関心が高まる年頃の中学生は、「おかっぱ」から、長い髪の「編み下げ」にしても、清潔に保てるようになった。「お下げ」が大変はやった。
あみさげ
編み下げ
子どもの世界と遊び
グローブの中綿。プロ野球の川上や大下などの野球スターに憧れ、子どもたちも野球に熱中した。ブロマイドが出回っていた。同じ校庭を使う中学生が、新しく赴任してきた先生の指導で、地区大会を勝ち上がり県大会に出ることになった。揃いのユニホームと真新しいグローブが眩しかった。小学生も熱中したが道具は揃っていなかったので、グローブのあんこがはみ出したものや、あんこなくなってしまっているものを使った。中学校に入学したら頑張ろうとしていたが、先生が転出して、野球部もいつの間にか消滅してしまった。
あんこ
子どもの世界と遊び
魚の漁獲法で一番シンプルなものである。石の陰にいる魚を気絶させるため、手頃な石を上から叩き付ける。ざこの類は直ぐに浮き上がってくるが、カジカやナマズなどは浮き上がってこない。浮き上がってきたものをいち早く捕まえて腰に下げた「はけご」に入れる。浮き上がった魚も、時間が経つと息を吹き返し逃げて行ってしまう。改修前の川は蛇行していて瀞場(とろば)も多く、魚影も濃く、どの石にも魚がいて空打ち(からぶち)になることはなかった。最も原始的で、しかも確率の良い漁法であった。
いしぶち
石打ち
子どもの世界と遊び
一般に清音が濁音化する中で、反対に清音化している。先生から指示された当番が、「いちちかんめとさんちかんめが交代だと(1時間目と3時間目が交代だと)」という。自分が学校に勤めるようになってからも「いちちかん」と言っていた。漢字本来の字音とは違うが、清音の方がよい響きである。
いちちかん
1時間
子どもの世界と遊び
食い意地が汚い子どもを言った。「ぼ」は「食いしん坊」などの坊が変化したもので、蔑みの意味を持つ。戦後の窮乏期は、山間の農村では食糧事情は単調で、食うことに異常に関心があり、食い意地が張って、食える時には「腹十二分」食わないと気が済まなかった。決して人格的に「卑しい」のではない。時代がそうさせた。その結果、大人になってもゆったりと上品に食事をすることが出来ない。
いやしんぼ
卑しん坊
子どもの世界と遊び
家の中は「いんなか」である。標準語では「内弁慶」のことである。学芸会で、家での練習はしっかり出来るのに、本番では上がってしまってを実力が発揮できないと、「おらちの子どもはいんなかべんけいで」と、親が、家では出来ているんだと弁解していた。外では大人しいのに、家庭では威張っていることにも使った。今も本番に弱く、「いんなかべんけい」の性格は直っていない。
いんなかべんけい
家中弁慶
子どもの世界と遊び
「三番叟」が「さんばしょう」と転訛。本番で上がって実力を発揮できない時にいう。方言の中のさらに「地域語」かも知れない。かつて我が集落には薩摩系統の人形芝居があった。義太夫節に合わせての人形浄瑠璃であった。家の爺さんは笛の名手であったと良く聞かされた。大正年間に学校竣工の花火による大火で焼失してしまったという。それでも、三番叟という能や歌舞伎からの難解な言葉がこの地に古くから伝わっていたのであろう。学芸会ではいつものことで、上がってしまって実力を発揮できなかった。家の前だけで上手に出来た三番叟である。
えーのめーのさんばしょう
家の前の三番叟
子どもの世界と遊び
つかむ、捕らえること。小鳥を捕まえると、「籠持ってくるまで、よぐおさまえておげ(籠を持ってくるまで、よくつかまえておけ)」という。中学校の数学の年輩の先生は「この公式が大事だがら、よぐおさまえておけ(この公式が大事だから、よく把握しておけ)」と言っていた。「とらまえる」とも使っていた。
おさまえる(おさめる)
子どもの世界と遊び
教えてもらうこと。本来の「教える」に受け身の「る」が付いたと思われる。「誰先生におさってんだ」と聞かれた。普通に使われていたが、いまは「誰先生に教えてもらってんだ」となっている。「おさる」の方がより古い使い方であろう。
おさる
教さる
子どもの世界と遊び
向こう側に無理やり押すことであるが、人事の左遷にも使う。4月になると「あの先生は町からこごの学校におっこくられて来たんだと」と話題になる。通勤が出来ない時代であったから、町から僻地に赴任して、教員住宅に住むことになったので、「おっこくられた」という感情は強かったであろう。ただ、「おっこくられ」て来た先生は、町の雰囲気をたくさん持ち込み、村への文化の伝道者でもあった。また、親とともに転校してきた子どもは、勉強はもちろん、身支度や言葉遣いも地域の子どもたちの憧れであった。
おっこくる
押っこくる
子どもの世界と遊び
買い物時のお釣りではない。便所の跳ねっ返りである。学校の便所は自宅のものと違い、小便が多いうえに、高度差もあったから、大便をする時には跳ねっ返りがあった。「おつり」である。尻ばかりか、顔にまで掛ることがあった。落とす直前に尻を振って大便が斜めや横に着水すれば跳ね返りが少ない、ということを先生が教えてくれた。早速実行したら、効果が抜群であった。ボッチャントイレがなくなって、「おつり」もない。
おつり
お釣り
子どもの世界と遊び
「おはじき」のこと。一円玉ほどの大きさの扁平な丸いガラスを指で弾いて他の「おはちこ」を当てて遊ぶ女の子の遊びで、遊びに加わったことはない。ガラスの表面には何本かの筋があり、中には色が施されているのは魅力であったろう。
おはちこ
子どもの世界と遊び
お手玉のこと。小豆を入れて、端切れを縫い合わせて掌で握れるほどの大きさに作った玉。上手になると玉を増やし、片手で2つ、両手で3つを、代わる代わる頭の高さぐらいに投げ上げて落とさないようにしていた。根気強さがなかったから、すぐに諦めてしまうので、少しも上手にならなかった。女の子の遊びで良かった。
おひとつ
子どもの世界と遊び
怒られること。先生や年寄りの言うことを聞かずに「おんちゃれる」ることも多かった、だんだん「おんちゃれ」慣れると、少しぐらいでは効き目がなくなった。それでも「おんちゃれる」ことで、少しずつ成長した。今は「おんちゃる」大人が少なくなり、我慢することの不得意な子供が多くなっている。
おんちゃ(つぁ)れる
子どもの世界と遊び
方言ではない。学校帰りなどにお店によってお菓子などを食べること。学校の近くに文房具や雑貨とともに駄菓子を売る店があったが、「買い食い」をすることは厳しく禁じられていたから、一度もしたことがなかった。そのせいか、今でも買い食いをすることはないし、一人で飲食店に入ることはない。子どもの頃から買い食いは悪いことだという教えが身に付いて、コンビニに寄ることもなく、まっすぐ帰る。
かいぐい
買い食い
子どもの世界と遊び
「かくれんぼ」のこと。ただ隠れている相手を探すのでなく、「缶蹴り」との組み合わせであった。庭の真ん中に空き缶を置いて、鬼が目をつぶっている間に、缶を蹴って、みんなが一斉に隠れる。見つけると「めっけた」といって戻って来て缶を踏む。探している間に他のメンバーが隙を見て缶を蹴れば捕まっていた仲間も隠れられる。隠れる場所はいくらでもあったので、鬼になったものの中には、なかなか見つからず半べそをかく子もいた。いつまで経っても終わらないのである。「かぐれっこ」にも、無意識の集団いじめの芽生えはあった。
かぐれっこ(かんけり)
隠れっこ
子どもの世界と遊び
徒競走のこと。運動会の華である。工作や音楽では全く自己発揮ができないでいたので、運動会が一番の見せ場であった。村の収穫祭を兼ねたような運動会で多くの人の前でテープを切るのは誇らしかった。リレーを含め、賞品の帳面を何冊ももらえた。中学生になり、地区の代表で県の総合グラウンドに行って走ったら予選落ち。周囲の選手たちはパンツに赤い線が入ったり、サポーターというものを履いていることも分かり、すっかり気圧(けお)されてしまった。大会の帰りに先生が東武駅近くの運動具屋で、「DM」のサポーターを買ってくれた。その後成長とともに、村一番もそれ程才能があるとは思えない機会に多く遭遇した。大人になって、指導する立場にとして、補欠に気遣いができるようになったのはこんな経験があったからであろう。
かけっこ
駆けっこ
子どもの世界と遊び
捻(ひね)るは広く使われ、捻挫は手足などを捻ることで、スイッチ やガスの栓も捻る。ただ「かっちねる」は皮膚を強く指で摘んで捻る時に使う。「顔かっちねられっちゃった」などという。遊びで「かちねっこ」もあった。ただ捻るのでは遊びにならないから、相手が困るほど皮膚をつねるのである。
かっちねる
かっ捻る
子どもの世界と遊び
搔き裂くの転訛。爪が伸びていて、何かの拍子に自分の顔を「かっつぁく」ことでがあった。こども同士で喧嘩すれば「か っつぁかれっちゃった」と泣いて訴えるのである。こども園では「ひっかかれた」と言っている。都市部では「かっつぁかれた」とは言わないようだ。意味明瞭で、きわめて良い言葉なのに、すでに死語となっている。
かっつぁく
掻っ裂く
子どもの世界と遊び
人のせいにすること。本来は「被く」ことから来ていて頭に乗せる意味であるが、やがて嫌がることを人に押しつける、責任転嫁の意味とな った。当地方では多くの言葉が濁音化する中で、反対に濁音が清音になった例である。「かっつける」と促音化したことにより濁音が清音になった。級友と喧嘩して先生に呼びつけられた時、友達どうしで責任を「かっつけっこ」し、ますます怒られることとなった。
かっつける
被ける
子どもの世界と遊び
壁のように固まった垢(あか)や泥の汚れ。綿入れ半天の袖は洟(はな)で「かべっかす」だ らけでペカペカであった。鼻紙などを持っている子はいなかったから、手鼻の上手でない子は袖で拭くことになる。風呂も毎日でない同級生もいて、肌に「かべっかす」が付いていた。ここ半世紀の日本は、何事にも過剰に潔癖になっているのではないか。神経質すぎる。
かべっかす
壁っ滓
子どもの世界と遊び
空き缶のこと。「かんかん」とも言った。今は危険物として毎週ゴミに出しているが、当 時は缶詰を食う機会が少なかったから、空き缶も重要な遊び道具であった。缶蹴りはなぜ缶でなくてはならなかったのか。他にも同じ機能を果たすものはあったはずだが、自然素材でなく、「買ったもの」の一部であることに意味があったからであろう。同じ大きさの缶を左右に紐で結ぶ「ぽっくり」も作った。
かんから(かんかん)
子どもの世界と遊び
川幅も狭く水量も 多くない川は、子どもたちに取って格好の遊び場であった。所々にトロ場もあり魚影も濃かった。子どもたちが協力しあって「土木工事」をして流路を替え、川を干上げて魚を捕ることもあった。流れに負けない大きな石を中央にして積み上げ、水漏れのないよう砂利で間をふさいだ。いわばロックヒルダムである。だんだん水が減っていく時のわくわく感はたまらなかった。子どもたちの協調性が育つ場面であった。一番捕れたのは雑魚であったが、後に正式な名前がウグイであることを知った。
かーぼし
川干し
子どもの世界と遊び
餓鬼道に落ちた人のことから、さらに子どものことを罵って言う言葉で、「この糞餓鬼」と怒鳴られることがある。しかし、罵り言葉でなく親愛の意味を含めて子ども全般を指すこともあり、爺ちゃんは「餓鬼(がぎ)めらの分も取っとけ」と孫たちにに対して配慮をしてくれた。「がき」には親愛の情を込めている印象があり、ついついこども園で「餓鬼めらの分も取っておいて」などと言ってしまうことがある。お母さん方が聞き及んだら、親愛さを感じ取ってもらうどころか、差別言葉にとられてしまう。
がぎめ
餓鬼め
子どもの世界と遊び
「かばん」の濁音化。子供の頃から耳慣れていたので 勤めてからも「がばん」の発音が出て、「がばん持って帰れ」と八溝語が出てしまった。子供の頃に「画板」は使ったことがないから言葉もなかった。昭和25年入学、親戚が買ってくれたのか、数少ないランドセル通学であった。
がばん
鞄(かばん)
子 どもの世界と遊び
シーソーのこと。擬音語か擬態語か、いずれにしても校庭の遊具の名前は「ぎーっこんばったん」であった。シーソーは英語であり、シーソーゲームなどと使い、行ったり来たりすることの意味である。今ではすっかりシーソーになり、古い日本語は忘れられてしまっている。ブランコの「どーらんぼ」とともに遊具の定番である。
ぎーっこんばったん
子どもの世界と遊び
5寸釘を地面に打ち付けることで相手の釘を倒す遊び。中心の点から交互に釘を打ち付けたところに蜘蛛の巣状に直線に引き、相手の進路を邪魔するものもあったし、単に相手の釘を倒すものもあった。危険な遊びと言うことから、学校から禁止されて下火になった。それでも、シンプルであっただけに興奮する遊びであったので、密かに遊びを続けた。
くぎぶち
釘打ち
子どもの世 界と遊び
靴紐を結ぶ時に蝶々結びができず、解きにくい輪のない「糞結び」になってしまい、さらには、葬式と同じように「縦結び」になってしまうこともしばしばであった。後々、紐の結び方は知能指数に関係するのではないかと思うことがあった。本格的な登山をするようになってザイルワークが重要になったが、いつもパートナーをイライラさせた。なぜかよその人に比べてキンク(ねじれ)も多かった。
くそむすび
糞結び
子どもの世界と遊び
おしゃべりのこと。体が「まめ」であれば勤勉で褒められたことになるが、「くちまめ」は褒められない。「あそごの息子はこまっちゃぐれ(生意気)で口まめなんだがら」と言われていたに違いない。家では口数が少ないのに、他所に行くと口数が多くなるのはどうしてか。今も同じである。
くちまめ
子どもの世界と遊 び
首つりのこと。子どもの頃、首つり自殺した話は聞いたことがなかった。死ぬほどでないが、遊んでいる間に、藤の蔦、蜘蛛の巣などが絡まると「くびっかかり」することになる。乱暴な遊びが多かったから、しばしば「くびっかかり」をすることになって、首ったまににミミズ腫れを作ることもあった。
くびっかかり
首掛り
子どもの世界と遊び
仲間はずれのこと。今でこそいじめの問題が取り上げられ、人権教育もしているが、当時は「くみぬかし」のいじめも多かったように思う。自分も仲間はずれにされないように、誰かを標的にして仲間はずれにするという心理が働いたからである。
くみぬがし
組抜かし
子どもの世界と遊び
片足跳び。「けんけんとび」とも。女の子たちは「けんけんぱっ」と言って地面に丸を書いて遊んでいたが、どんな遊びであったか思い出せない。男の子はやっていないのであろう。
けんけん
子どもの世界と遊び
下駄にスケートの金具を取り付けたもの。北斜面の田んぼに水を張って天然のスケートリンクを作った。すべて子どもたちの管理であった。星空を見上げながら、箒できれいに掃いて、製氷作業をした。作業に参加したものだけがリンクを利用できた。学校が終わると足袋をはいて、紐で縛って滑る下駄スケートに熱中した。カーブを曲がる時のステップ「ちどり」も出来るようになり、バックもできた。
げたすけーと