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子どもの世界と遊び

鉄棒の足掛け周りでなく、「ぱーぶち(めんこ)」で、より風を集中させるため、「ぱー」の横に脚を添えることをいう。あらかじめ「足掛け無し」の約束をした。半纏(はんてん)の袖で風力を強めることもルールで禁止であった。地面に掌を叩き付ける「手打ち」は許容範囲であったので、右手の指の指紋がなくなってしまった。

あしかけ(めんこ)

足掛け
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「足跡」の転訛。わら草履やゴムでできた万年草履では足が汚れてしまう。足を洗わずに上がると、板の間に指型まではっきりとした足跡が残った。これが「あしっと」である。いつも叱られた。今は靴に靴下、家ではスリッパ、足の指を使うことも少なくなった。もちろん「あしっと」などは付くことはない。

あしっと

足っと
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頭髪を刈ることで、「端切る」は先端を切ることである。村にも床屋があったが、中学生までは家で父親に「端切って」もらっていた。晴れた日に庭先で椅子に座り、大きなふるしき(風呂敷)を首に巻いてバリカンで切ってもらったが、時々刃の間に毛が食い込んでてしまうと、引っ張って外すことになる。痛いのなんのって。その都度バリカンを分解し、刷毛でブラッシングして、ミシン油を塗って再開。中学生になると5厘のピカピカ頭は恥ずかしくて、アタッチメントを使って1分の長さにしてもらった。床屋の同級生のヒロちゃんは裾を少し刈り上げて、いつもきれいにしていた。耳の所に長いのを何本か残したままの田舎の子どもたちとは違っていた。

あだまはぎる

頭端切る
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昆虫ではない。遊び仲間の中で、年齢が小さいとか、能力に問題があり、遊びの仲間に加えながらも、配慮する存在がいる。配慮が善意であることもあるが、煩わしいので仲間はずれにしてしまうこともあった。大人にもあぶら虫が居て、全っとうな仕事に就けない人のことである。

あぶらむし

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髪の「お下げ」のこと。3つ編みにして1本にまとめたので「編み下げ」と言った。昭和30年代になると「花王シャンプー」が普及し出した。髪への関心が高まる年頃の中学生は、「おかっぱ」から、長い髪の「編み下げ」にしても、清潔に保てるようになった。「お下げ」が大変はやった。

あみさげ

編み下げ
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グローブの中綿。プロ野球の川上や大下などの野球スターに憧れ、子どもたちも野球に熱中した。ブロマイドが出回っていた。同じ校庭を使う中学生が、新しく赴任してきた先生の指導で、地区大会を勝ち上がり県大会に出ることになった。揃いのユニホームと真新しいグローブが眩しかった。小学生も熱中したが道具は揃っていなかったので、グローブのあんこがはみ出したものや、あんこなくなってしまっているものを使った。中学校に入学したら頑張ろうとしていたが、先生が転出して、野球部もいつの間にか消滅してしまった。

あんこ

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魚の漁獲法で一番シンプルなものである。石の陰にいる魚を気絶させるため、手頃な石を上から叩き付ける。ざこの類は直ぐに浮き上がってくるが、カジカやナマズなどは浮き上がってこない。浮き上がってきたものをいち早く捕まえて腰に下げた「はけご」に入れる。浮き上がった魚も、時間が経つと息を吹き返し逃げて行ってしまう。改修前の川は蛇行していて瀞場(とろば)も多く、魚影も濃く、どの石にも魚がいて空打ち(からぶち)になることはなかった。最も原始的で、しかも確率の良い漁法であった。

いしぶち

石打ち
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一般に清音が濁音化する中で、反対に清音化している。先生から指示された当番が、「いちちかんめとさんちかんめが交代だと(1時間目と3時間目が交代だと)」という。自分が学校に勤めるようになってからも「いちちかん」と言っていた。漢字本来の字音とは違うが、清音の方がよい響きである。

いちちかん

1時間
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食い意地が汚い子どもを言った。「ぼ」は「食いしん坊」などの坊が変化したもので、蔑みの意味を持つ。戦後の窮乏期は、山間の農村では食糧事情は単調で、食うことに異常に関心があり、食い意地が張って、食える時には「腹十二分」食わないと気が済まなかった。決して人格的に「卑しい」のではない。時代がそうさせた。その結果、大人になってもゆったりと上品に食事をすることが出来ない。

いやしんぼ

卑しん坊
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家の中は「いんなか」である。標準語では「内弁慶」のことである。学芸会で、家での練習はしっかり出来るのに、本番では上がってしまってを実力が発揮できないと、「おらちの子どもはいんなかべんけいで」と、親が、家では出来ているんだと弁解していた。外では大人しいのに、家庭では威張っていることにも使った。今も本番に弱く、「いんなかべんけい」の性格は直っていない。

いんなかべんけい

家中弁慶
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「三番叟」が「さんばしょう」と転訛。本番で上がって実力を発揮できない時にいう。方言の中のさらに「地域語」かも知れない。かつて我が集落には薩摩系統の人形芝居があった。義太夫節に合わせての人形浄瑠璃であった。家の爺さんは笛の名手であったと良く聞かされた。大正年間に学校竣工の花火による大火で焼失してしまったという。それでも、三番叟という能や歌舞伎からの難解な言葉がこの地に古くから伝わっていたのであろう。学芸会ではいつものことで、上がってしまって実力を発揮できなかった。家の前だけで上手に出来た三番叟である。

えーのめーのさんばしょう

家の前の三番叟
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つかむ、捕らえること。小鳥を捕まえると、「籠持ってくるまで、よぐおさまえておげ(籠を持ってくるまで、よくつかまえておけ)」という。中学校の数学の年輩の先生は「この公式が大事だがら、よぐおさまえておけ(この公式が大事だから、よく把握しておけ)」と言っていた。「とらまえる」とも使っていた。

おさまえる(おさめる)

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教えてもらうこと。本来の「教える」に受け身の「る」が付いたと思われる。「誰先生におさってんだ」と聞かれた。普通に使われていたが、いまは「誰先生に教えてもらってんだ」となっている。「おさる」の方がより古い使い方であろう。

おさる

教さる
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向こう側に無理やり押すことであるが、人事の左遷にも使う。4月になると「あの先生は町からこごの学校におっこくられて来たんだと」と話題になる。通勤が出来ない時代であったから、町から僻地に赴任して、教員住宅に住むことになったので、「おっこくられた」という感情は強かったであろう。ただ、「おっこくられ」て来た先生は、町の雰囲気をたくさん持ち込み、村への文化の伝道者でもあった。また、親とともに転校してきた子どもは、勉強はもちろん、身支度や言葉遣いも地域の子どもたちの憧れであった。

おっこくる

押っこくる
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買い物時のお釣りではない。便所の跳ねっ返りである。学校の便所は自宅のものと違い、小便が多いうえに、高度差もあったから、大便をする時には跳ねっ返りがあった。「おつり」である。尻ばかりか、顔にまで掛ることがあった。落とす直前に尻を振って大便が斜めや横に着水すれば跳ね返りが少ない、ということを先生が教えてくれた。早速実行したら、効果が抜群であった。ボッチャントイレがなくなって、「おつり」もない。

おつり

お釣り
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「おはじき」のこと。一円玉ほどの大きさの扁平な丸いガラスを指で弾いて他の「おはちこ」を当てて遊ぶ女の子の遊びで、遊びに加わったことはない。ガラスの表面には何本かの筋があり、中には色が施されているのは魅力であったろう。

おはちこ

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お手玉のこと。小豆を入れて、端切れを縫い合わせて掌で握れるほどの大きさに作った玉。上手になると玉を増やし、片手で2つ、両手で3つを、代わる代わる頭の高さぐらいに投げ上げて落とさないようにしていた。根気強さがなかったから、すぐに諦めてしまうので、少しも上手にならなかった。女の子の遊びで良かった。

おひとつ

子どもの世界と遊び

怒られること。先生や年寄りの言うことを聞かずに「おんちゃれる」ることも多かった、だんだん「おんちゃれ」慣れると、少しぐらいでは効き目がなくなった。それでも「おんちゃれる」ことで、少しずつ成長した。今は「おんちゃる」大人が少なくなり、我慢することの不得意な子供が多くなっている。

おんちゃ(つぁ)れる

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方言ではない。学校帰りなどにお店によってお菓子などを食べること。学校の近くに文房具や雑貨とともに駄菓子を売る店があったが、「買い食い」をすることは厳しく禁じられていたから、一度もしたことがなかった。そのせいか、今でも買い食いをすることはないし、一人で飲食店に入ることはない。子どもの頃から買い食いは悪いことだという教えが身に付いて、コンビニに寄ることもなく、まっすぐ帰る。

かいぐい

買い食い
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「かくれんぼ」のこと。ただ隠れている相手を探すのでなく、「缶蹴り」との組み合わせであった。庭の真ん中に空き缶を置いて、鬼が目をつぶっている間に、缶を蹴って、みんなが一斉に隠れる。見つけると「めっけた」といって戻って来て缶を踏む。探している間に他のメンバーが隙を見て缶を蹴れば捕まっていた仲間も隠れられる。隠れる場所はいくらでもあったので、鬼になったものの中には、なかなか見つからず半べそをかく子もいた。いつまで経っても終わらないのである。「かぐれっこ」にも、無意識の集団いじめの芽生えはあった。

かぐれっこ(かんけり)

隠れっこ
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徒競走のこと。運動会の華である。工作や音楽では全く自己発揮ができないでいたので、運動会が一番の見せ場であった。村の収穫祭を兼ねたような運動会で多くの人の前でテープを切るのは誇らしかった。リレーを含め、賞品の帳面を何冊ももらえた。中学生になり、地区の代表で県の総合グラウンドに行って走ったら予選落ち。周囲の選手たちはパンツに赤い線が入ったり、サポーターというものを履いていることも分かり、すっかり気圧(けお)されてしまった。大会の帰りに先生が東武駅近くの運動具屋で、「DM」のサポーターを買ってくれた。その後成長とともに、村一番もそれ程才能があるとは思えない機会に多く遭遇した。大人になって、指導する立場にとして、補欠に気遣いができるようになったのはこんな経験があったからであろう。

かけっこ

駆けっこ
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捻(ひね)るは広く使われ、捻挫は手足などを捻ることで、スイッチやガスの栓も捻る。ただ「かっちねる」は皮膚を強く指で摘んで捻る時に使う。「顔かっちねられっちゃった」などという。遊びで「かちねっこ」もあった。ただ捻るのでは遊びにならないから、相手が困るほど皮膚をつねるのである。

かっちねる

かっ捻る
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搔き裂くの転訛。爪が伸びていて、何かの拍子に自分の顔を「かっつぁく」ことでがあった。こども同士で喧嘩すれば「かっつぁかれっちゃった」と泣いて訴えるのである。こども園では「ひっかかれた」と言っている。都市部では「かっつぁかれた」とは言わないようだ。意味明瞭で、きわめて良い言葉なのに、すでに死語となっている。

かっつぁく

掻っ裂く
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人のせいにすること。本来は「被く」ことから来ていて頭に乗せる意味であるが、やがて嫌がることを人に押しつける、責任転嫁の意味となった。当地方では多くの言葉が濁音化する中で、反対に濁音が清音になった例である。「かっつける」と促音化したことにより濁音が清音になった。級友と喧嘩して先生に呼びつけられた時、友達どうしで責任を「かっつけっこ」し、ますます怒られることとなった。

かっつける

被ける
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壁のように固まった垢(あか)や泥の汚れ。綿入れ半天の袖は洟(はな)で「かべっかす」だらけでペカペカであった。鼻紙などを持っている子はいなかったから、手鼻の上手でない子は袖で拭くことになる。風呂も毎日でない同級生もいて、肌に「かべっかす」が付いていた。ここ半世紀の日本は、何事にも過剰に潔癖になっているのではないか。神経質すぎる。

かべっかす

壁っ滓
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空き缶のこと。「かんかん」とも言った。今は危険物として毎週ゴミに出しているが、当時は缶詰を食う機会が少なかったから、空き缶も重要な遊び道具であった。缶蹴りはなぜ缶でなくてはならなかったのか。他にも同じ機能を果たすものはあったはずだが、自然素材でなく、「買ったもの」の一部であることに意味があったからであろう。同じ大きさの缶を左右に紐で結ぶ「ぽっくり」も作った。

かんから(かんかん)

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川幅も狭く水量も多くない川は、子どもたちに取って格好の遊び場であった。所々にトロ場もあり魚影も濃かった。子どもたちが協力しあって「土木工事」をして流路を替え、川を干上げて魚を捕ることもあった。流れに負けない大きな石を中央にして積み上げ、水漏れのないよう砂利で間をふさいだ。いわばロックヒルダムである。だんだん水が減っていく時のわくわく感はたまらなかった。子どもたちの協調性が育つ場面であった。一番捕れたのは雑魚であったが、後に正式な名前がウグイであることを知った。

かーぼし

川干し
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餓鬼道に落ちた人のことから、さらに子どものことを罵って言う言葉で、「この糞餓鬼」と怒鳴られることがある。しかし、罵り言葉でなく親愛の意味を含めて子ども全般を指すこともあり、爺ちゃんは「餓鬼(がぎ)めらの分も取っとけ」と孫たちにに対して配慮をしてくれた。「がき」には親愛の情を込めている印象があり、ついついこども園で「餓鬼めらの分も取っておいて」などと言ってしまうことがある。お母さん方が聞き及んだら、親愛さを感じ取ってもらうどころか、差別言葉にとられてしまう。

がぎめ

餓鬼め
子どもの世界と遊び

「かばん」の濁音化。子供の頃から耳慣れていたので 勤めてからも「がばん」の発音が出て、「がばん持って帰れ」と八溝語が出てしまった。子供の頃に「画板」は使ったことがないから言葉もなかった。昭和25年入学、親戚が買ってくれたのか、数少ないランドセル通学であった。

がばん

鞄(かばん)
子どもの世界と遊び

シーソーのこと。擬音語か擬態語か、いずれにしても校庭の遊具の名前は「ぎーっこんばったん」であった。シーソーは英語であり、シーソーゲームなどと使い、行ったり来たりすることの意味である。今ではすっかりシーソーになり、古い日本語は忘れられてしまっている。ブランコの「どーらんぼ」とともに遊具の定番である。

ぎーっこんばったん

子どもの世界と遊び

5寸釘を地面に打ち付けることで相手の釘を倒す遊び。中心の点から交互に釘を打ち付けたところに蜘蛛の巣状に直線に引き、相手の進路を邪魔するものもあったし、単に相手の釘を倒すものもあった。危険な遊びと言うことから、学校から禁止されて下火になった。それでも、シンプルであっただけに興奮する遊びであったので、密かに遊びを続けた。

くぎぶち

釘打ち
子どもの世界と遊び

靴紐を結ぶ時に蝶々結びができず、解きにくい輪のない「糞結び」になってしまい、さらには、葬式と同じように「縦結び」になってしまうこともしばしばであった。後々、紐の結び方は知能指数に関係するのではないかと思うことがあった。本格的な登山をするようになってザイルワークが重要になったが、いつもパートナーをイライラさせた。なぜかよその人に比べてキンク(ねじれ)も多かった。

くそむすび

糞結び
子どもの世界と遊び

おしゃべりのこと。体が「まめ」であれば勤勉で褒められたことになるが、「くちまめ」は褒められない。「あそごの息子はこまっちゃぐれ(生意気)で口まめなんだがら」と言われていたに違いない。家では口数が少ないのに、他所に行くと口数が多くなるのはどうしてか。今も同じである。

くちまめ

子どもの世界と遊び

首つりのこと。子どもの頃、首つり自殺した話は聞いたことがなかった。死ぬほどでないが、遊んでいる間に、藤の蔦、蜘蛛の巣などが絡まると「くびっかかり」することになる。乱暴な遊びが多かったから、しばしば「くびっかかり」をすることになって、首ったまににミミズ腫れを作ることもあった。

くびっかかり

首掛り
子どもの世界と遊び

仲間はずれのこと。今でこそいじめの問題が取り上げられ、人権教育もしているが、当時は「くみぬかし」のいじめも多かったように思う。自分も仲間はずれにされないように、誰かを標的にして仲間はずれにするという心理が働いたからである。

くみぬがし

組抜かし
子どもの世界と遊び

片足跳び。「けんけんとび」とも。女の子たちは「けんけんぱっ」と言って地面に丸を書いて遊んでいたが、どんな遊びであったか思い出せない。男の子はやっていないのであろう。

けんけん

子どもの世界と遊び

下駄にスケートの金具を取り付けたもの。北斜面の田んぼに水を張って天然のスケートリンクを作った。すべて子どもたちの管理であった。星空を見上げながら、箒できれいに掃いて、製氷作業をした。作業に参加したものだけがリンクを利用できた。学校が終わると足袋をはいて、紐で縛って滑る下駄スケートに熱中した。カーブを曲がる時のステップ「ちどり」も出来るようになり、バックもできた。

げたすけーと

下駄スケート
子どもの世界と遊び

「こまっしゃくれる」が標準語。年齢よりも大人びたこと行動をすることの意。子どもの頃から、何かとちょべちょべ(必要以上におしゃべりで、周囲に取り入ったりする)していたから、大人から見たら「こまったくれて」いたに違いない。その分、着実な努力を怠ったから大成しなかった。

こまっちゃぐれ

子どもの世界と遊び

消しゴムでなく「ゴム消し」である。質の悪いゴムはなかなか消えないばかりか、汚れがべったりと広がってしまうこともある。「ゴム糞」が多く出て、勢いよく吹き飛ばすと前の女の子の背中にべったりとくっついた。紙も粗雑な物であったから、字を消している時によく破けた。今は「消しゴム」という。

ごむけし

ゴム消し
子どもの世界と遊び

女の子たちは学校でも帰宅後の集落でも盛んにゴム跳びの遊びをしていた。高さを変えながら、次第に難易度が高まり、片足で引っかけて跳んだり、頭よりも足を高く上げて跳んだりと多彩な技があった。スカートの裾をパンツのゴムに挟んでいた。女の聖域で、男の子たちは加わることはなかった。

ごむとび

ゴム跳び
子どもの世界と遊び

玉糸に大きな針を結び、50cmほどの篠竹に結び付けた下げ針を10本くらい用意した。ゴミ置き場に行って「ドバミミズ」の太いのを取ってきて、下げ針に掛ける。子どもながらに、川にはテリトリーがあり、下げ針を掛ける場所が決まっていた。夜に活動するウナギが目当てであった。翌朝、川に行って下げ針を上げると、場所を忘れて本数が足りないこともあった。大きなウナギが糸にグルグル巻きに絡まっていることがあった。錐(きり)をウナギの目玉に刺して板に打ち付け、肥後の守で白い腹を割いて、串に刺して囲炉裏で焼いた。学校に行けば何倍もの大きさに誇張して自慢した。まだ子どもでも獲れるほど天然のウナギがいた時代であった。

さげばり

下げ針
子どもの世界と遊び

沢に接尾語が付いたもの。本流に対して横に入り込む小さな沢のこと。川に劣らず子どもの遊び場として重要な場所であった。それぞれテリトリーが決まっていて「自分のもの」という場所を持っていたた。流れが小さいから、子どもでも水路を変えることが可能で、竹の導水管で落差を付けてミニチュアの水車も回した。段丘面の下を流れる本流は生活と離れていたが、沢沿いには洗い場もあり、田んぼの水利としても欠かせない生活の場であった。今は草に覆われ、遊ぶ子もいない。集落には20代以下は一人もいない。

さーっこ

沢っこ
子どもの世界と遊び

共通語では「しりっぱね」といい、『広辞苑』では「後ろについた泥のはね」とある。都市部はもちろん山間部でもこの語は死語となりつつある。草鞋を履き、泥道を歩く時代には「しりっぱね」は付きものだが、履き物が靴に代わり、道路が舗装されてからは尻っぱねの心配は要らなくなった。
八溝の少年たちは、昭和20年代までは足半(あしなか)か草履を履いていたが、30年代になってゴムの「万年草履」が普及してきた。亀の子草履とも言った。万年草履は藁草履よりも跳ね返りが大きかったので、「しっぱね」は背中にまで及んだ。

しっぱね

尻っぱね
子どもの世界と遊び

警察に捕まること。大人が子どもを叱る時の言葉は、「そだに悪さしてっと、警察に縛られるぞ」が決まり文句であった。警察署がどこにあるのかは分からなかったが、なぜか強制力のある言葉であった。さすがに中学生になると「縛られる」は通じなくなった。

しばられる

子どもの世界と遊び

女性に肌着のこと。子どものころからこの言葉は知っていたのは、女の子たちが水浴びする時に水着として身に付けていたからである。昨年の夏まではパンツだけだったのに、一夏過ぎるとシミズを着けて川に入るようになった。時々乳首を気にして肌に張り付かないようにはがしている。その後シミズを意識したのは、中学校の若い先生が板書するたびに、白いフリルの付いた下着がスカートの裾からみえた時だった。授業よりもそちらに関心が向き、仲間の話から「シミーズ」ということが分かり、女の子の水泳の「しみず」と一致した。

しみず

シミーズ
子どもの世界と遊び

「じゃんけんぽん」の代わりが「じゃっかっき」である。同じ3拍子である点は、仲間との呼吸を合わせるのに丁度よい。「じゃんけんし」とも言った。高校生になって、ジャンケンの指の形が違ったことに気づいた。「ぐー」と「ぱー」は同じだが、「ちょき」のハサミは親指と人差し指でやっていたのである。ぐーは石、ぱーは紙、ちょきは鋏と言った。挟むのには、親指と人差し指が一番合理的であると思えるが、見栄えは人差し指と中指であったのだろう。今でもふとした時に親指の「はさみ」が出てしまう。

じゃっかっき

子どもの世界と遊び

もともと疱瘡の後遺症で頭にぶつぶつが出来ていた状態のことを言ったが、さらに虎刈りの状態のことも言う。床屋に行くようになったのは高校生になってからである。それまでは親などにバリカンで頭髪を刈ってもらった。バリカンには時々髪を噛んでしまうから、我慢ができないほどの痛みがある。さらに、丁寧さに欠けると虎刈りになる。虎刈りを「じゃんか」といった。みんなが「じゃんか」だったから、特に恥ずかしいこともなかった。耳の所に長い毛が残ったままだった。首筋を剃ると言うこともなかった。

じゃんか

子どもの世界と遊び

多くの人が通り、踏み跡がいっぱいであるという時に使った。キノコ採りに行ったら「もうじんだらで、ひとっつもないよ(ひとつもない)」ということが珍しくない。元は「地蹈鞴(じたたら)」のことであろう。蹈鞴は製鉄の際に風を送る器具で、同じところを何度も踏むことを「蹈鞴を踏む」という言葉も生まれた。そこから人が多く足跡を付けることにつながったかとも思われる。季節になると町場の人が屋敷まで入り込み、その後はジンダラになってしまっている。

じんだら

子どもの世界と遊び

収穫が終え、農閑期になると保護者が学校に集まってストーブの薪作りをして、教室の窓の下に並べて乾燥させた。真冬には、上級生がストーブ当番となり、杉の葉と粗朶(そだ)を束ねた「焚き付け」を持参した。いつもより早く登校し、職員室からマッチをもらって、自分のお部屋ばかりでなく、下級生の部屋の達磨ストーブを「ふったけ(吹き炊け)」て教室を暖める。マッチを擦って、風邪で消えてしまわないように手の平で包むようにして焚き付けの杉っ葉に火を移す。30年代までは小学生も火を扱うのは当然であったし、上級生の誇りでもあった。今の若い先生方はマッチの使い方が出来ない。火を移す前に消えてしまう。

すと−ぶとうばん

ストーブ当番
子どもの世界と遊び

我が家は河岸段丘の崖面の上にあったから、川は屋敷の一部であった。川幅が狭いので、岸から竿を垂らす釣りはしない。水の中に入って短い竿に、川虫を付けた糸を流し上下に動かし、魚の注意を引く「ずーこんづり」が多かった。雑魚(ざこ:はや)ばかりであったが、良く釣れた。「よーぐし」(魚串)に刺して囲炉裏で焼いて晩のおかずにした。現在は交流人口の増加を目指し「ヤマメの里」として誘客を図っているので、値段の高い竿をもって大挙押し寄せてくる。ただ、地元の人は川に関心なくなってしまった。地元の人で、自分の川で金を払って釣りをしたいと思う人はいない。

ずうこんづり

子どもの世界と遊び

ただ黙るのでなく、反抗心を込めて黙るのである。「ずん黙る」ともいう。悪さをして叱られても反省の様子がなく、ふて腐っていると「何でそだにず黙ってんだ(どうしてそんなに黙ってんだ)」と、叱られた。すみませんと言えなかった。何事につけ素直でなかったのである。

ずだまる

ず黙る
子どもの世界と遊び

「ず」は接頭語で、「ず(ん)だまる(黙る)」などと同じように、意味を強める働きを持つ。いい気になっていることの「のぼせる」が強調されている。「おめー、ちょっとずのぼせてんっじゃねが(お前、少し思い上がってるんじゃないか)」と、相手に向かって言う。しかし、自分で「ずのぼせている」ことには気がつかないことが多い。

ずのぼせてる

ず上せる
子どもの世界と遊び

列の途中から割り込むこと。単に「ずるした」ともいう。こども園に勤めて初めて「横入り」という言葉を知った。子どもたちが普通に使っていた。転勤者の子女が多い園であったから、他県からの転入者から伝えられる言葉も多く、在来の栃木の言葉が駆逐されていく例も多い。子どもの頃の「ずるはいり」よりも「横はいり」の方が優しい表現ではある。

ずるはいり

子どもの世界と遊び

「くぐる」は水中に潜ることだが、「ずんぶん」は、潜る時の擬音語か、潜る様子の擬態語か。小さい川にも潜水するにふさわしい場所があり、石を抱えてどれぐらい潜っていられたかを競うこともあった。魚を獲るために潜って橋のピンヤ(橋脚)に掴まって息を凝らした。河川改修で掘り割りのようになった川には「ずんぶんくぐり」をする場所もなくなってしまった。

ずんぶんくぐり

子どもの世界と遊び

標準語では「せびる」。無理にせがんで要求すること。「孫に小遣いせびられて」と、爺ちゃんはうれしそうに言う。悪意で「せぶる」のでなく、断れない爺ちゃんの心理を巧みに捉えて「せぶる」のである。

せぶる

子どもの世界と遊び

広辞苑には、『枕草子』などの用例を引き、「ふざける、甘える」とあり、「動物がじゃれる」ともある。当地方では、子供がいつまでも乳離れしないとか、親の後を追っているような時に「そばえてる」という。「いつまでもそばえてんじゃね(いつまでも甘えてるんじゃない)」と突き放される。農事に多忙な母親にはいつまでもそばえていられなかった。その分、兄弟が助け合い、子供同士で集団を作り、早くに社会性を身に付けることが出来た。「そばえる」は「そべーる」と使われ、標準語とは少し意味が違いながら古語としての雰囲気を残している。

そばえる

戯える
子どもの世界と遊び

自転車のリムを真っ直ぐな棒で押して回す「りゅーむまーし」とは違った。細い針金を撚り合わせた桶のたがを、ざくまたの棒の先で操りながら倒れないように推し進めていく。「りゅーむまーし」より難易度は高かった。「箍(たが)回し」と言っていたが、竹製のものは使わなかった。

たがまわし

箍回し
子どもの世界と遊び

ビー玉のこと。遊ぶためには、小石の多い庭を手の平で撫でつけ、きれいに整地することから始まる。単純な「目落とし」もあったが、穴に入れるものや、親指と人差し指で強く弾いて相手の玉をはじき飛ばす遊びが中心であった。上着のかくし(ポケット)いっぱいに、獲得した玉っこを入れておくことが子どものステータスであった。勉強よりも遊びの巧拙が子どもたちの序列を決めていたから、遊びも真剣であった。

たまっこ

玉っこ
子どもの世界と遊び

方言ではない。直近まで勤めていた子ども園でも、週2回のお弁当の日には暖飯器が使われていた。こども園のものはクラスごとの小型のもので、電熱を利用していたから温度設定が出来た。小学校の暖飯器は全校生が使う大きさで、幾段にもなっていて、朝の内に当番がクラスごとに籠に入れて集めた。温源は炭であるから、置く場所で温度差が極端であった。おかずの沢庵は暖まると匂いが強くなり、教室中に匂った。今は小中学校では完全給食で、センターから配送車が温かいまま運んでくる。暖飯器を知らない先生がほとんどであろう。

だんぱんき

暖飯器
子どもの世界と遊び

シーソーのこと。「ぎーちこばったん」、「ぎーこんばったん」とも。いずれもシーソーの上下する様子や音から生まれた言葉であろう。近代教育の中に遊具が外国から導入された時に、和訳が進んだのに、なぜシーソーは適語がなかったのか。また、遊動円木など、強いて難しい名前を付けたと思われる遊具もある中で、「ちんかんぱんかん」は30年代まで残っていた。物事がうまくいかず、ちぐはぐなことにも「ちんかんぱんかん」という。

ちんかんぱんかん

子どもの世界と遊び

「ちんけ」は小さいことで、広く使われている「器量が小さい」という意味ではない。兄弟が多かったから、三男以下が兄を呼ぶときに、長兄を「でかあんちゃん」といい、次兄を「ちんけあんちゃん」と呼んで区別した。私は長男であるから、「でがあんちゃん」である。

ちんけあんちゃん

子どもの世界と遊び

「ほんこ」の反対。「うそっこ」とも。遊びで、勝ち負けの際に所有権が移ることことに対して、遊びが終われば、取ったものを敗者に戻すという遊び方。自ずと真剣みが違う。年齢による技量差が著しい時には「ちんこ」が行われた。

ちんこ

子どもの世界と遊び

「捕まえることができる」という可能の動詞ではない。捕まえることそのものである。「がっこ(学校)帰ったらさがな(魚)つかめにいぐべ」と魚捕りの約束をする。五段活用と違って、エ段だけに活用する下一段活用になっている。魚ばかりでなく、周囲には昆虫や小鳥などがたくさんいたので、それぞれの習性を熟知し、「つかめる」ことは自然と上手になった。

つかめる

捕まえる
子どもの世界と遊び

物を受け取らないというのではなく、言葉を「つっかえす」のである。素直に忠告を聞かずに言い訳ばかりしていると「なんせかんのせ(あれこれ)つっかえしばかし言って、すじょう(素直)じゃねんだから」と親や年寄りに叱られた。「へんかを返す」とも言ったが、古典的表現で、相手の歌に対して返答する「返歌」という貴族の言葉が狭い意味となって今日まで残っている言葉である。

つっか(けー)えし

突っ返し
子どもの世界と遊び

交通事故ではない。ぶっ込みとも言う。金をつぎ込んで元が取れない状態。国の政策で、農協から金を借りて畜産を始めたが、飼料の値上がりと、大規模農家との競争に負け、借金だけが残り、担保の田畑をなくした人もいる。「つっこんでしまった」のである。小さな村落にも浮沈があり「びーだれ(没落)」てしまうこともある。

つっこみ

突っ込み
子どもの世界と遊び

魚を魚串に刺すこともあるし、足を切り株で「つっつぁす」こともある。子どもの世界でも、小刀や錐(きり)などを使っていたので、手を「つっつぁす」こともしばしばだった。いつもどこかを怪我していたような気がする。

つっつぁす

突き刺す
子どもの世界と遊び

「突き入る」が変化したもの。勢いよく水溜まりや川に中に入ってしまうこと。ひどい時には「便所場(べんじょうば)にも「つっぱいる」こともある。また、「1回起きたげんと、さみんでまだ蒲団につっぺちゃった(1度起きたが、寒いのでまた蒲団に入っちゃた)」ともいう。

つっぺる

子どもの世界と遊び

下着を着けていない状態を言う。語源は不明である。子供のころはツボッコで寝ることもあったし、パンツなしでズボンはいてツボッコで学校に行ったこともあった。ツボッコという言葉が日常生活に生きていた。小学生までは「ふるちん」で川遊びをしていたが、その時にはツボッコとは言わずゴロと言っていた。ちなみに、登山でかんじきを履かず登山靴で直接雪の中を歩くことをツボアシと言っている。語源は同じであろう。

つぼ(っこ)

子どもの世界と遊び

「つよどし」とも聞こえた。早生まれのことで、1月1日から4月1日までをいう。「つゆ年生まれ」という言い方をしたことから、その期間を言うのかも知れない。私は1月生まれだから、「つゆどし生まれだがら、晩生(おく)なのはしゃね(しかたない)よ」とよく言われた。ただ、この「つゆどし」ということばが学制の出来た明治以降の言葉であるかどうか。もともと「つゆの間(わずかな間)」などのの意味があり、後に期間のようになったか。損な生まれ月とされるが、国際的には1月1日生まれを基準にするので、これからは「つゆどし」の時代になるかも知れない。

つゆどし

子どもの世界と遊び

拍手をすること。方言でなく、広辞苑にも載っている。学校でも「お客さんを手叩きで迎えましょう」と言っていた。今は「拍手」でお迎えするので、「手叩き」は方言のように残っている。中年以上は「手叩き」で通じる。「手を叩きましょ」の童謡もある。

てばたき

手叩き
子どもの世界と遊び

手打ちうどんの「手打ち」でなく、「ぱーぶち」(めんこ)の際に、風を強く起こすために手で地面を強く叩くこと。かなり効果がある。手の指先は指紋がなくなるほどピカピカ光っていた。やる前に「てぶちなし」の約束をするが、ついついエキサイトして、手打ちぎりぎりのところまでやって、相手から非難される。

てぶち

手打ち
子どもの世界と遊び

「わすら」は、もてあそぶこと。人の話もそこそこに、手で物をもてあそんでいると、「手わすらやめで、先生の話を聞きなさい」と注意を受ける。子どもの時から目の前の物に関心が移り、集中力に欠けていた。子ども園では、集団で「手遊び」をして開会を待ったりして、集中力を高めるが、どうも言葉の響きが「手わすら」と近似しているので、気持ちが引けてしまうことがある。

てわすら

子どもの世界と遊び

上を向いて人の話を聞かないで無視する様子。「いづもてんじょっつらして威張ってんだがら(いつも人を無視して威張ってんだから)」と、相手の人柄を非難する。

てんじょつら

天井面
子どもの世界と遊び

てまりの転訛。小学生時代の「てんまる」はボールのことで、伝統的な手鞠のことではない。ただゴムボールが手に入らなかったから、ボール投げの遊びは普及しなかった。やがて同じグランドで練習していた中学生の野球部が郡大会を勝ち抜き県大会に出場することになり、一気に野球熱が高まり、小学生も「球拾い」の手伝いをした。もう「てんまる」とは言わなくなった。狭いグラウンドを越えて煙草畑に飛び込んだ玉を拾うのが大変だった。

てんまる

手鞠
子どもの世界と遊び

地面から離れるようにして、思い切り倒れること。自分で転ぶこともあるし、人に転ばされることもある。「じでんしゃ(自転車)乗ってででしながっちゃた」と言う時には、少しばかりの転倒でなく、思い切り転んだことになる。「すっ転がる」が語感として似ている。

でしながる

子どもの世界と遊び

「肩車」のことで、広く群馬県などでも使うという。子どもにとって、大人の肩の上から見る世界は格別である。特に不安定であることが程良い緊張感を伴い、いっそう心地よさを増す。「手車」より「天車」がふさわしいように思う。

でんぐるま

天車:手車
子どもの世界と遊び

お漏らしをすること。「むぐる」は「潜る」ではない。大小便を我慢できずに漏らすこと。「むぐる」に接頭語が付いたもので、どうしても我慢しきれずに漏らしてしまったことをいう。朝の排便が習慣化していなかったので、何度も「でんむぐって」しまった。これから加齢とともに「でんむぐる」ことを覚悟しなければならない。

でんむぐる

子どもの世界と遊び

奪い合い。お互いに取り返えそうとすること。広辞苑に、「こ」は「かくれっこ(かくれんぼ)」などと同じで、接尾語として「お互い」にというような意味とある。兄弟が「とっけしっこ」することの原因は食べ物のことが多かった。

とっけしっこ

取り返しっこ
子どもの世界と遊び

お互いの物を取り替えあうこと。「とりかえっこ」は標準語であるが、転訛して「とっけっこ」になった。同じ絵のぱー(めんこ)がある時は、友だちと融通しあって別な絵のものと等価交換をする。上級生から無理に「とっけっこ」させられたが、これは本来の「とっけっこ」ではない。

とっけっこ

取り替えっこ
子どもの世界と遊び

ニワトリ小屋のことではない。小正月の鳥追い行事に建てる小屋のこと。今の鳥追い行事はどんど焼きで燃やすことだけの目的で作られるが、もともとは子どもたちが集まって甘酒や豚汁などを沸かして各戸に配り、お金をもらうための小屋であった。田んぼが少ない畑地であったから、田所で行われた「ぼーじぼ」はやらなかった。

とりごや

鳥小屋
子どもの世界と遊び

小鳥、特にメジロを捕るための物。標準語である。町で飼うことは出来たが、小麦で自家製の鳥もちを作った。小麦が熟する出来秋の梅雨時に、小麦の穂をしごいて手の平で芒(「のげ」といった)を揉み落として、ガムのようにかんで粘りを出した。この間にどのような工程があったかは覚えていない。鳥もちは、母親の使ったマダムジュジュという瓶には油があって貼り付かないので好適であった。

とりもち

鳥もち
子どもの世界と遊び

魚を獲るために、イゴ(正しくはエゴ)の実やサンショウの実を煮出した汁を、川に流すこと。藁に入れて脚で揉んだので「毒揉み」になった。必ずしも効果的な漁法ではなかった。

どくもみ

毒揉み
子どもの世界と遊び

冬になると泥鰌が水尻(みなじり)の泥の中でじっとしている。サブロ(スコップ)で掘り返えし、棒のようになっているドジョウを引き出す。まだ農薬を使う前であったし、乾田に改良する前であったから、バケツいっぱい獲れた。太くて骨っぽいものもいたが、温かい泥鰌汁は自然からの贈り物であった。

どじょっぽり

泥鰌掘り
子どもの世界と遊び

ブランコのこと。ブランコの語源は諸説あって不明である。今はすっかりブランコになったが、子どものころはもっぱら「どうらんぼ」であった。ぎっこんばったんは、遊具として英語のシーソーになったのに、ブランコはsingにならず、ブランコのままである。「どうらんぼ」を知っている世代は間もなくいなくなる。

どーらんぼ

子どもの世界と遊び

泣くことを「なーぐ」と長音化した。どの場面でも長音化するとは限らない。「そだごどなぐんじゃね(そんなことで泣くんじゃない)」という時は、語気を強めて長音化しない。「この餓鬼(がぎ)めはなーぐんでやんなっちゃうよ(この子どもや泣くんで嫌になってしまう)」と婆ちゃんが孫の乙守をしている。餓鬼は子どものことで、親愛を込めていることもあり、蔑称とは限らない。

なーぐ

泣く
子どもの世界と遊び

「ねこだま」はリュウノヒゲの実こと。庭先にたくさんあり、秋になると青紫の丸い実がなる。猫玉の由来は分からない。鉄砲は篠竹で水鉄砲のようなものであった。鉄砲はどのくらい飛んだかは覚えていない。また、杉の実を潰して詰めて飛ばす「杉の実鉄砲」も作った。何でも手作りであった。おもちゃは買わなくても、先人の教えの財産があった。

ねこだまてっぽう

猫玉鉄砲
子どもの世界と遊び

寝起きの悪い人の蔑称。農家では、朝飯前に家畜の世話や温床(おんどこ:苗床)の水やりなどさまざまな仕事がある。「ねんごんぼ」は一番嫌がられる。みんな早起きであったから学校に遅れるという子はいなかった。後年登山をするようになって、寝起きの良さがどんなに役立ったか。子どもの頃の習慣が身に付いていたものである。

ねごんぼ

寝ごんぼ
子どもの世界と遊び

農繁休業。かつての学校教育法施行規則に、年間10日以内で農繁期に休業とすることが出来るとあった。それだけ子どもの労働力を当てにしなくてはならないほど、春の田植期間と秋の稲刈りに期間は多忙であったのである。中学生になれば一人前であり、小学生の中学年以上は弟妹の世話をした。我が家は兼業農家であったので、農繁休業で手伝いをするほどでなかったから、近所の手伝いをした。お昼や晩ご飯をお呼ばれするのがうれしかった。「農休み」は「脳休み」とも言っていたが、脳が疲れるほど勉強はしなかった。いつからか農繁休業がなくなった。田植機と、稲刈りのバインダーが普及し、人手を要しなくなったことと、兼業農家が増えて来たこともあろう。

のうやすみ

農休み
子どもの世界と遊び

覗き見をすること。どの家も開放的であったから、わざわざ覗き見をしなくても家の中までよく見えてしまった。子どもたちは放課後になると窓枠に手を掛け、板壁に足を乗せて職員室を「のぞっくび」した。先生たちの仕事の様子を見ることが好きだった。先生方も笑顔で視線を送ってくれた。「のぞっくび」をした後で、先生の噂をするのが楽しかった。

のぞっくび

覗き首
子どもの世界と遊び

怠け者、努力しない横着者という他に、外でやたら御飯を呼ばれたりしている者の蔑称でもあった。「のらぼみでにうすうすしてんじゃねよ(野良坊みたいにうろうろしてんではないよ)と言われた。いつもあちこちと遊んでいたから「浮浪児」とも言われた。戦後、都市部にはまだ浮浪児がいた時代であったのだろう。子どものころから他所でお呼ばれするのが上手で、「のらぼ」そのものであった。

のらぼ(う)

野良坊
子どもの世界と遊び

丁度でなく、半端なこと。遊びの仲間の組み合わせで、対になるべきのに一人余ってしまうこと。数の関係で意図せずに余ってしまうこともあるが、わざわざ「はぐ」にしてしまうこともある。いつも「はぐ」になる子への気遣いもせずに仲間はずれにした。子どもの頃の思い出は良いことばかりではない。仲間への配慮が足りなかったことを今でも後悔している。

はぐ

子どもの世界と遊び

上部の口は大きく、途中を細くして紐を付け、下部を膨らませた腰に下げる竹であんだ容器。実用的な容器ではあったが、編み方に工夫があり、美的にも優れた物があった。捕獲した魚が跳ね上がって逃げないため川には必需品だった。また、山のキノコやクリ拾いにも、急斜面で少し体勢不安定になっても収穫物は落ちずにすんだ。また、竹製容器はキノコの胞子が落ちるので資源の保持にも役だった。

はけご

子どもの世界と遊び

バットと棒が合わさった。「バット」という言葉はなく、「バット」も「バッター」も一緒であった。「バッター」が持っている棒が「バッタ棒」になった。小学生は野球でなくソフトボールであったが、使うのは、劣化してかちかちなボールと「バッタ棒」だけである。もちろんグラブはない。ソフトボールでグラブを使うようになったのは30年以降であろう。冬場のソフトボールは手が痛かった。

ばったぼう

バット
子どもの世界と遊び

ヤマガラを捕るための籠。メジロは鳥餅でもおとなしくしているので羽を痛めたりしないが、ヤマガラは暴れて羽が鳥餅について、みすぼらしい姿となり「飼い物」にならない。そのためバッタン籠というトラップを使う。おとりに誘われて籠に入ると自重で蓋が落ちるようになっている。メジロを捕った時よりもはるかにうれしい。ヤマガラは縦長の「ヤマガラ籠」で飼うと回転する芸も覚え、良く馴れる。夏に干しておいたエゴの実を与えると、足に挟んで上手に割る。学校での自慢話になった。

ばったんかご

子どもの世界と遊び

遊び道具は季節によって変わる。パチンコは小鳥が集団で渡る冬季に多く使われた。ゴムが貴重品で、手に入らないので、自転車のチューブの古くなったものを平ゴム状に切って、ミズキのざくまたに縛り付けて作った。かなり威力があり、庭先の雀を射当てたこともある。やがて丸い管状のゴムが出回り、弾力性も格段に増してた。小学生にとって興奮する遊びであった。

ぱちんこ

子どもの世界と遊び

メンコのことである。プロ野球の川上選手や大下選手が印刷されたもの、あるいは源義経などもあった。紙が粗雑であったことから、買った時から反り反り、すぐにでもひっくり返されそうなものもある。周囲に蝋を塗り対策をした。「ほんこ」は負ければ相手に取られてしまうが、「うそっこ」は終われば自分のものは手元に戻る。その分緊張感に欠けるが、年上が年下に対する思いやりでもあった。手を地面にたたきつけて風圧を上げる「てぶち」や袖を使って風を起こす「袖打ち」など様々な工夫をした。

ぱーぶち

子どもの世界と遊び

方言ではない。小刀を作るメーカーの商品名である。携帯用の小刀で鞘が付いていたので、学校にも携行した。鉛筆削りはもちろん、いたずらで机の天板に切り込みをして、ひどく叱られたこともあった。竹籤(たけひご)を作り、あるいはパチンコの木の枝を細工するなど、子どもたちの間では不可欠な道具であった。ポケットに入れて持ち歩いても咎(とが)められることはなかった。男の子たちにとって必需品であった。今も同じ名前で、ホームセンターなどで売られている。

ひごのかみ

肥後守り
子どもの世界と遊び

広辞苑には、押しつぶす、勢いを止めるとある。「ひしぎ」は、夏の闇夜に、川の縁の草に隠れている魚を手で強く潰すようにして捕まえること。手をしばらく川に浸し、水温と手の温度を同じくすると、魚は人の手と感じないので、少しずつ両手の間に誘導して一気に押しつぶす。草むらにはホタルが光を点滅させ、時には蛇が慌てて川を泳いで逃げって行った。魚はあまり上手には獲れなかった。

ひしぎ

子どもの世界と遊び

裏表が反対であること。ひっくり返っている状態。身体検査の日に、パンツを「ひっくりがえっちょ」のまま履いていって恥をかいたことがある。今でも脱ぎっぱなしにして、下着が「ひっくりがえっちょ」になっていることは日常である。年を取って、さらに面倒臭くなり、構わずにそのまま着ることもある。「ひっくりがえっちょ」に着ていると、婆ちゃんに「死んだ人と同じだ」と言われたが、間もなく「ひっくりがえっちょ」に着せられることになる。

ひっくりがえっちょ

子どもの世界と遊び

人見知りをすること。本来「まめ」は、誠実であったり勤勉であることで「まめに働ぐね」使われる。しかし、「ひとまめ」は、初対面の人に対して強く人見知りすることである。初めての人が来ると泣き出す孫に「この子どもはひとまめしてしょうがねんだよ(この子は人見知りしてしょうがないんだよ)」という。普通に使っていたが、若い人たちには通じない言葉となった。

ひとまめ

人まめ
子どもの世界と遊び

小便などが勢いよくはじけ出ること。立ち小便の時は、足許を汚さないようにして腰を思い切って前に出して「ひょごら」せなければならない。ポンプから勢いよく水が出てくることも「ひょうごる」で、ごく普通に使っていた言葉だが、今は聞かなくなった。

ひょごる

子どもの世界と遊び

「びれ」だけでも一番最後なのに、さらに「けつ」が付くことから、最下位のことを強調する言い方。駆け足で最後の時は「びりっけつ」、遊びなどで技術が下手なのは「びりっかす」である。好んで「びれっけつ」になるなる人はいないのに、心ない言葉を投げつけたことをひどく反省している。

びれっけつ  びれっかす

子どもの世界と遊び

夏になると毎日のようにガラス箱とヤスを持って川に降りていった。橋の「ぴんや」は流木が引っかかっていたりして魚の溜まり場でもあったから狙い場所であった。「ぴんや」が橋脚であることは分かっていたが、英語の「pier」であることは知らなかった。子どもたちの生活の中にもすっかり溶け込んでいた言葉である。なぜ建築用語が子どもの世界にまで定着していたのか。

ぴんや

pier(英)
子どもの世界と遊び

笛、ホイッスルのこと。体育の授業や運動会などでは不可欠のものだが、先生は「笛が鳴ったら動くように」と言っていた。しかし、子どもたちの間では「ぴーぴ」であった。その音色からそのまま「ぴーぴ」になったものであろうが、「ぴーぴー」より音程が低くなり、子どもの頃に耳に馴染んだ音とは違うような気がする。今は小学校でもホィッスルというのであろうが、やっぱり「ぴーぴ」とはイメージが違う。

ぴーぴ

ピーピ
子どもの世界と遊び

川の深み。小さな川でも飛び込みが出来るくらいの「ふかんぼ」があった。ヤスを持ってずんぶんくぐり(潜水)をして魚を狙った。子どもがヤスで突けるほどのんびりした魚はいなかったが、「ふかんぼ」は子どもたちの魅力の遊び場であった。

ふかんぼ

深んぼ
子どもの世界と遊び

広辞苑には「気が狂う」とあり、同じような使い方もしたが、精神に変調を来したかのように、収まりが付かないように暴れることで、特に子どもに対して使った。ひどくわけも分からず大泣きしていると、「気でもふれだんか」と言われる。

ふれる

狂れる
子どもの世界と遊び

戦後の混乱期に、身寄りのない子を浮浪児と呼んでいたが、夜遅くまで遊んでいて帰りが遅いと、「浮浪児みでだ(みたいだ)」と叱られた。戦後の窮乏期でも、取り敢えず食べ物と住居があった山間の農村は恵まれたと言うべきであろう。他所の家でお呼ばれが出来る雰囲気があり、子どもたちの豊かな心を育んだ。今は地域に小学生が一人もいないから「浮浪児」もいない。

ふろーじ

浮浪児
子どもの世界と遊び

不器用なこと。手先の器用さが求められる図工の時間が嫌いであった。「ぶぎっちょ」であることよりも根気強さがないことの方に原因があったのである。もともと「ぶぎっちょ」だと思い込んで着実に努力をすることを怠っていたのであろう。

ぶぎっちょ

不器用
子どもの世界と遊び

あれこれ不満を言うこと。不満があって黙っていられず、何かと言葉に出して、聞こえるかどうかの声でブツブツ言う。中学生になると少しのことでもイライラして「ぶすくさ」文句を言うことが多い。「ぶすくさゆってねで、ちゃんとゆったらがんべ(ぐだぐだ言ってないでちゃんと言ったら良いだろう)」と言われると、さらに不満が溜まる。

ぶすくさ

子どもの世界と遊び

手などを勢いよく打ち叩くこと。手ばかりでなく、人に圧力を掛けることにも言う。八溝の子どもたちは小学生の中学年になれば家にあった道具箱から、トンカチなどを取り出して、様々な物を作った。時々「ぶっちめ」て血豆を作った。物ばかりでなく、「生意気だからあの野郎(やろ)ぶっちめておぐが」と人へ強く圧力を与える時にも使った。実際は気が弱くて「ぶっちめる」ことは口先だけだった。

ぶっちめる

打ち締める
子どもの世界と遊び

「叩く(はたく)」に接頭語「ぶつ」が付いたもので、勢いよく叩くこと。「朝っぱらがら、父ちゃんにぶっぱだがれっちゃった(朝から、父ちゃんに思い切り叩かれちゃった)」と学校で友達が話していた。我が家では「ぶっぱたかれ」たことはなかったが、周囲では、「ぶっぱだく」のは特別なことでなく、子どもたちも、自分が悪い時には当然と受け止めていた。今は自分の子どもも「ぶっぱたく」ことが許されない時代になった。

ぶっぱたく

打ち叩く
子どもの世界と遊び

小鳥が寒さや体力がなくなって、体の羽が膨らんで動かなくなること。小鳥ばかりでなく、子どもたちも寒さのため「ぶーぶぐれで」じっとしていると、「ぶーぶぐれでねでうごいだらよがんべ(じっとしてないでうごいたらいいだろう)」と体を動かすよう催促される。「つーげる」ともいう。山間の八溝の、「鳥め」たちと一緒に生活する人たちの言葉である。

ぶーぶげる

子どもの世界と遊び

「下手」に接尾語風に「かす」が付いているので、この上なく下手なこと。野球でエラーをすれば、「へだっかす」と言われる。日常的にさまざまな場面で使った。罵り言葉がストレートに使われていた時代であったから、この程度は「ドンマイ」で、受け止める方もそれほど気に留めていなかった。

へだっかす

下手っ粕
子どもの世界と遊び

剥がすに接頭語「ひっ」が付き、強引に引きはがすこと。発音は「ひ」でなく「へ」であった。川の中の重い石を引きはがす時は、「石へっぺがしたら、でかいカジカメいだよ」となる。カジカをヤスで突いたことの喜びは格別である。また、傷が治りかけてようやくかさぶたが出来た時に、我慢が出来ず「へっぺがして」しまって、また出血し、治りがますます遅くなることもあった。

へっぺがす

ひっ剥がす
子どもの世界と遊び

垢(あか)や涎(よだれ)、鼻汁などが固まって光っている状態。半纏(はんてん)の袖口は青っ洟を拭いたので「ぺかぺか」であった。ハンカチを持っていなかったから、教室のカーテンで手を拭いた。30年代になると「ハンカチ検査」があり、洟を垂らしている子も少なくなったから、「ぺかぺか」という言葉もなくなった。

ぺかぺか

子どもの世界と遊び

ぱーぶち(めんこ)や玉っこ(びーだま)をする時に、あらかじめ勝ち負けによって所有が移ることを約束してから行うことが「ほんこ」である。反対に、遊び終えると、勝ったものを返してチャラにするのは「うそっこ」である。「本こ」と「嘘っこ」では自ずと真剣さに違いが出る。「本こ」のためメンコの後ろに蝋燭(ろうそく)を垂らして重くしたりしたり、周りに隙が出来ないように工夫した。子どもながらに勝ち負けに拘り、負けた時の悔しさを抑えるのができない性格であった。

ほんこ

本こ
子どもの世界と遊び

「本式」が訛ったもの。反対の語は「ちんこ」あるいは「うそっこ」である。遊びの中でも、負ければ「玉っこ(ビー玉)」や「ぱー(めんこ)」が相手に渡ってしまうことになる。子どもにとっては真剣にならざるを得なかったし、学校の勉強に比べても、ずっと重要なものであった。「ほんしこ」が人生勉強のスタートであった。

ほんしこ

子どもの世界と遊び

揺り動かすことの他に、物を失うことにも使う。子守りをしていてなかなか泣き止まないときは背中を「ほーろって」落ち着かせる。また「財布をほーろっちゃた」といえば紛失したことになる。競輪にのめり込み、家の財産を「ほうろって」しまった人もいる。様々な場面で使った。

ほーろく

子どもの世界と遊び

青っ洟のこと。戦後の子どもたちはみんな青っ洟を垂らしていた。2本垂らしていたから、文字どおり「二本棒」である。鼻紙を持っていなかったから、片手の指で鼻を押さえて勢いよく洟を吹き出す「手鼻」で済ましたが、なかなか上手になれず、最後は袖口でぬぐうことになる。勤務していた子ども園の子どもたちに、棒洟を垂らしている子を見つけることが出来ない。

ぼーばな

棒洟
子どもの世界と遊び

体育の指導では「前へ倣え」が正しいが、「い」と「え」の区別がが付かないから、「まいならい」であったり、「まいならえ」であった。多くの先生が、師範学校へ行って地元戻って来たため、おそらく「い」と「え」の区別を意識せず、「まいならえー」であったし、子どもたちもまた、意味を考えず耳からの音をそのまま使っていた。

まいならい

前へ倣え
子どもの世界と遊び

仲間に入ること。米の中に石が混じった時使うが、子どもの世界では、仲間には入れるかどうかが大きな問題であったから、この意味での方が強く印象に残っている。「まぜろや」といっても、「はぐだがらだめだ(数が半端だからダメだ)」と言われて、アブラムシ(仲間はずれ)にされる。「まざれない」ことが何よりも辛かった。

まざる

交ざる
子どもの世界と遊び

戦後いち早く発売された化粧品の商品名。小学生の頃には鏡台の上に置いてあった。中味に関心があるのでなく、ガラス製の容器が欲しかったのである。大きさも丁度、程良い脂分があってくっつかなかったから、メジロ捕りの鳥餅入れに最適であった。仲間たちがブリキ缶だったので、蓋にもくっついて時間が掛っている時に、いち早く「のでんぼ(ヌルデ)」の枝に鳥もちを巻き、良い場所を確保できた。

まだむじゅじゅ

マダムジュジュ
子どもの世界と遊び

箱マッチでも、小箱でなく、虎印の大きな徳用マッチが使われた。小箱はそれだけ値段も高くなるから、大箱の蓋の真ん中を四角に切って、マッチを取り出して使った。それでもマッチは貴重であったから、十能で火種を移動しながら、竃(かまど)から風呂に移すなどの努力をした。検便の時に学校にはマッチ箱に入れて持って行ったが、中には徳用箱にたっぷり入れて持って来た友だちがいた。

まっちばこ

マッチ箱
子どもの世界と遊び

我慢が出来ず大便を漏らすこと。「ま」は「間」で隙間のことで、「ひる」は「体外に出す」ことが語源と思われる。大便や屁(へ)は、「ひる」と言い、小便には使わない。同じ体外に出すにしても「ひる」には限定的な意味がある。食料の保存状態も良くないうえに、衛生に関する知識にも乏しかったため、下痢をすることがしばしばであった。排便をしないで学校へ行くことが多く、腹具合が悪くなり、教室から便所まで走ったが、バンドを外す段になってどうにも我慢出来ずにズボンを汚してしまった。早退しての帰路、家まで間ペンギンのような歩き方でで帰ったこともあった。

まびれる

間放る
子どもの世界と遊び

大小便を漏らすこと。「もぐす」とも。まだ漏らす前に「むぐったくなる」とい言い方をする。「でんむぐる」は「出むぐる」の転訛で、意味が強まり、少々の量でない大便を漏らしたことになる。自分の意志ではどうにもならない。

むぐす

子どもの世界と遊び

漏ること。水が漏ることばかりでなく、大小便が漏ることも言う。「おんこむっちゃいそうだ(大便が出てしまいそうだ)」と慌てておんこば(便所)に走る。八溝の山村の生活には、様々な場面で「むる」ことが多く、それへの対応も自然に身に付いた。

むる

子どもの世界と遊び

小鳥の種類によって籠の形状が違っていた。ヤマガラは上下に飛んで回転するために細長いもの、しかも胴を膨らませるのが上手な作り方であり、技術を要した。メジロは横に飛んで往復する習性から、籠は横長であったので造り方は簡単であった。学校を終えると肥後守(ひごのかみ)という小刀で竹籤(ひご)作り、錐(きり)で竹枠に穴を開けて形を整えていくが、最後に底の板を取り付ける段になると、歪んでいて入らないことがあった。子どもの頃、きわめて真剣に取り組んだものの一つである。今はメジロを飼うことが出来ない。

めじろっかご

目白っ籠
子どもの世界と遊び

広辞苑には「めんこい」が東北地方の方言とある。八溝では「めんごい」と濁音化することが多かった。た。可愛いこと、聞き分けが良いことで、乳児が小さくて可愛いい時に使うが、幼児期になって、周囲の大人に気遣いをし、賢い振る舞いをする時にも使った。「めんげーこどもだな(お利口な子だな)」と褒められる。

めんこい

子どもの世界と遊び

「売僧(まいす)」が語源で、「めーす」に転訛したものである。世間に媚びを売る悪徳な僧侶から派生した言葉で、悪い行いという意味になったという。「売」は焼売(しゅうまい)と同じく「まい」とも読む。「めいす」は当時から年寄り言葉であった。婆ちゃんは仕事も熱心であったが、孫を叱るのも手厳しかった。怒気を含んだ「そだめいすしちゃだめだ(そんな悪さはしてはいけない)」という言葉が今でも心に残っている。世間体を重んじることからの言葉であったろう。

めーす

子どもの世界と遊び

巨人軍のマークの入った野球帽子は子どもたちの憧れであった。小学4年生の時、母の実家の奉公人に連れられて宇都宮のデパート「上野さん」に行って野球帽を買ってもらった。うれしくて、庇(ひさし:つばのこと)を少し曲げてかっこつけて、これ見よがしに学校にも被って行った。家の中でもずっと被っていた。その習慣からか、今もどこに行くにも帽子がないと安心しないし、帽子には異常に執着している。家の中でも被っていて、子どもの頃の経験を知らない家人は軽蔑の眼差しで見ている。

やきゅうぼ

野球帽子
子どもの世界と遊び

霜柱を踏みながら、囮(おとり)籠をもって鳥屋(とや:山の頂上)まで行って、のでんぼ(ヌルデ)に鳥餅(もち)を巻き付けて小鳥を待った。かかったメジロは大人しくしているが、ヤマガラは暴れて鳥餅に羽が付いてしまうので、急いで引き離さなくてはならない。良く捕れる朝は、ついつい夢中になって遅刻をしてしまった。後で事情を知った親や先生に厳しく叱られた。しかし、山学校で学んだことは、学校で学んだことより役立っている。

やまがっこう

山学校
子どもの世界と遊び

「嫌らしい」の転訛。憎らしいとは違って、憎悪の感情はない。6年生くらいになると、女の子たちが教室で着替えをしているところに入っていくと、「やーらし」と言われる。この「やーらしー」が聞きたくてわざわざ時間を見計らって入っていくこともあった。「誰ちゃんがどうだった」など、ありもしないことを吹聴するのは、子どもの頃から得意だった。

やーらしー

嫌らしー
子どもの世界と遊び

寄り道のこと。学校帰りでも、用足しに出掛けても、必ず「よっこより」して注意された。関心が移るので、家族からは「多動児」と言われていた。今も変わらず、気が向く方に行ってしまって、肝心の用件さえ忘れてしまうことがある。家人とはスーパーに行けない。すぐに関心が移り、別なところに「よっこより」してしまう。

よっこより

横っこ寄り
子どもの世界と遊び

広辞苑には、夜間に松明などを灯して漁をすること、とあり、「火振り」の字を充てている。当地方では火振りとは言わず「よぼり」と言っていた。「夜振り」の漢字を当てるのか不明。ただ、那珂川本流の方では投網や舟に乗っての漁もあったから、そちらからの言葉である可能性が高い。夜間に活動する魚もいるが、一般的には夜間は石の下や草の中でじっとしているので、ガラス箱の縁を口でくわえ、ヤスでそっと突き刺した。昼も夜も、屋敷の直ぐ下を流れる川が遊びの中心であった。

よぼり(ひぶり)

夜振り
子どもの世界と遊び

自転車の車輪で、タイヤを固定する金属の輪。誰も語源が分からないから、耳から入ってくる音を聞き、リムを「リューム」と言っていたし、英語だとは思っていなかった。タイヤとスポーク(ホークと言った)を外し、「リューム」の溝を棒で支え、コントロールしながら押していく。倒れないように上手にカーブ曲がる。20年代は自転車が貴重であったから、「リューム」の入手も容易でなかった。仲間で共有しながら使った。後年、登山で訪れた南アジアでは、ほぼ同じ遊びをしていた。

りゅーむ

rim
子どもの世界と遊び

もてあそぶ、自分の好き勝手なことをすること。「いづまでもわすらしてねで片付けろ(いつまでもいじぐっていないで片付けろ)」と言われる。先生の話を聞かず「手わすら」をしていると注意を受ける。子ども園では集会の時に集中力を高めるために、先生の指示で「手遊び」をするが、「手わすら」のイメージと重なり、しっくっりと来ない言葉である。

わすら

子どもの世界と遊び

「輪っか」とも言う。桶の箍(たが)や自転車のリューム(リム)のような輪もあるし、糸や縄で結んだ「輪っこ」もある。リューム回しに熱中したし、縄で「輪っこ」を結んでさまざまな遊びに利用した。遊びはシンプルでないと長続きしないし、次の世代にも継承されない。

わっこ

輪っこ
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