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農家を支える日々のなりわい

時間の途切れた間のこと。方言ではない。「あいま見てせーふる(据え風呂)ふっ炊けろ」と言われた。子どもは子どもで遊びに熱中し「あいま」がない。つい忘れてばあちゃんに怒られた。合間を見つけて勉強をすればよかったのに、学校の勉強より大事なものが周囲にはたくさんあった。

あいま

合間
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「あさって」は明後日だが、明明後日は「やなさって」、その次は「しやさって」。「しやさって」は「四あさって」のことであろう。「さーさって」もあったが、今もって順序に自信がない。これでは3日後のことは約束できない。今でも混乱している。子どもの頃には「しあさって」は使っていなかったように思う。

あさって:やなさって

明後日
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「あそこ」の転訛。「あすくら辺」とも言った。ただ余所の家を指す際は「あそこんち」と言っていた。八溝方言としての全体的な特徴として、口唇をあまり活動させない傾向からの転訛であろうか。

あすく

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「の」の母音オと朝のアが母音(アイウエオのこと)であるから、連母音(母音が重なる)になり、その結果一字が欠落する。「あすのあさ」が「あすのさ」となるのは音韻上の法則である。日常では言いやすいこと第一であり、八溝では出来るだけ口を開ける「あ」の音は使わない傾向にある。

あすのさ

明日の朝
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人の後ろを追いかけるようにくっついていること。さらに、次々と連続することにも使った。自主性がなく「あどしりいつもくっついているんだから」と、人の後ばかりくっついていている子もいた。連続する意味では、「あどしり3人目が生まれた」とも使い、年子のように3人連続して誕生したことになる。

あどしり

後尻
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後ずさりの意。「しゃる」は敏速に動く感じはないから、ゆっくりと後ろ向きのままに下がる。「座ったまま後ろにずって行くことになる。学校での映画鑑賞の時に、前にばかり凝(こご)ると、「もう少しあどちゃりして広がるように」と指示された。「しゃる」は前後左右にいざること。

あどっちゃり

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後継者の後継ぎではない。一つの布団に互いに反対向いて寝ることをいう。孫と寝ると温かいので、爺ちゃんと「あとっつぎ」で寝ていた。寝相が悪かったので、爺ちゃんの股間に蹴りを入れることもあったようで、翌朝盛んに世迷言をしていた。夜中に尿瓶(しびん)の音がする。朝になって外便所に捨てに行くのは孫の役目であった。

あどっつぎ

後次ぎ
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歩いての転訛。「バスまで間があっから、あるって帰えっぺ」という。イ段が発音しにくいことからウ段のまま促音化した。イ段はどうしても子どもの頃から聞き慣れないし、発音し慣れていないので、唇を横に開いて舌を曲げるよりも、ウは唇を動かさず、舌もそのままなので発音しやすい。今も変わらない。

あるって

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いい加減の意味であるが、加減が良いという意味では使わない。「何やってもいいからかなんだがら」と、きちんとしていないことを指摘された。県内ばかりか、広く関東一円で使われている。

いいからかん

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数を聞く時の「いくつ」が転訛した。「いぐっつになったんだ」と、年齢を聞かれることもあるし、「いぐっつ欲しいんだ」と個数を聞かれることもある。「いくつ」よりも、八溝の言葉の「いぐっつ」の促音便の方が響きがいい。

いぐっつ

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人数を数えることでなく、一人分という意味である。「今日は昼過ぎ雨だけど、手間は一人だ」と言って、午後はお茶でも飲みながら程良い時間に帰っていく。半日(はんぴ)しか働かなくても、手間は「一人」である。音読みをすることから、他所から入って来た言葉が残っていたものであろう。

いちにん

一人
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何時(いつ)と、日は二日(ふつか)など「か」と読むことから、「何日」が「いっか」と転訛した。時間的には過去にも未来にも使う。「こないだ来たのはいっ日前だったけ」(この前来たのは何日前だっけ)」と質問する。さらに「いっかも待たすんじゃね」(何日も待たすんじゃない)とも言われた。

いっか

いっ日
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載せることや高い所に乗ること。「自転車(じでんしゃ)で土手にいっかちゃった」は、運転を誤って土手に乗り上げたこと。一方「いっける」を他動詞で使うと、「リヤカーに荷物をいっける」という。「いっかる」と「乗っかる」はどう区別したのか判然としない。

いっかる

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凍上すること。八溝地区は中生層の地質であったから、黒のっぽ地域の県央や県北に比べて霜柱が立つことが無く、地面が凍上することは少なかった。それでも、「いであがった」場所が「霜どけ」の時間になるとぬかるので、藁を敷いたり、あらぬかを撒いて、歩きやすくしていた。

いであがる

凍で上がる
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直近の今すぐから、かなり遠い将来まで時間的に幅が広い使い方をする。「いまに見でろ」となれば、近々にでも反撃したい気持ちを表す。親に物をねだった時「いまーに買ってやっから」と言われると、口約束で、半ば諦めることになる。それぞれ自分の都合に合わせて時間を伸縮させた。

いまに

今に
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「うろ」の転訛。樹木の空洞や、浸食によって出来た川の崖の穴も「いろっこ」である。木の「いろっこ」には「ほろすけ(フクロウ)」がいたし、川の「いろっこ」には魚がいた。「いろっこ」に、ミミズを付けた釣り針を入れて根気よく待つと、思わぬことにウナギが掛ったこともあった。中が見えない分、子どもたちを惹きつけた。

いろっこ

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「犬の糞」が転訛したもの。「日の中」が「ひんなか」になるのと同じ。犬を放し飼いにしていたので、どこにでも「いんのくそ(犬の糞)」があった。役立たないものの代表であった。「いんのくそのようだ」と言われれば、本当につまらない人のことである。ただ、どこにもあったから汚いという感じはしなかった。

いんのくそ

犬の糞
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山間では少しでも耕地を確保するため、庭先から直ぐに畑地となっていた。当時の庭は収穫などの「作業場」であって、植木などを植える場所ではなかった。兼業農家であったからだろうか、我が家には、庭と畑の間に「うえきば」があった。樹木だけでなく福寿草などのも植栽されていた。今も観る人もいない庭に季節になると黄色い花を着ける。ただ、鍋磨きなどに必要で植えていた木賊(トクサ)が、植木場いっぱいに繁茂している。

うえきば

植木場
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歌謡曲の歌詞集。特に雑誌『平凡』や『明星』の付録に付いていた小型の冊子。春日八郎がマドロス姿で表紙になったものが今も手元になる。『平凡』も『明星』も廃刊になって久しい。それに伴って歌本も死語になってしまった。

うたぼん

歌本
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裏表の「裏」でなく、先端部分をいう。「先っぺ」ともいう。キュウリの末成(うらな)りは最後のころに先端部分の小さなものをいう。「うら」には先端の意味があり、竹ん棒の先端も「うらっぺ」と言った。「うら」は「家の裏」のように表裏とともに、前後の意味になり、さらに先端にもなった。広い範囲を示す言葉である。

うらっぺ

末っ辺
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上の方。「か」は場所を示す接尾語で、「下っか」、「もごっか」(向こう側)、「こっちか」などに使う。表面という意味で、皮の意味でも使い、饅頭の「餡こ(あんこ)ばかし食って、「うわっか」を捨てることもあった。

うわっか

上っ処
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カートやリヤカーではない。自転車の中でも重い荷物を付けるため、荷台がしっかりしていて、スタンドが頑丈にできているものを言った。魚の行商をする赤松さんの運搬車にはいつも大きな木箱が載っていて、塩水が垂れていたので、赤さびができていた。自転車がどうして「運搬車」と呼ばれたか。自転車が大事な移動手段であったことから、運搬車という名前が山間に入って来たのであろう。

うんぱんしゃ

運搬車
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八溝地区の山村を相手にする谷口町の馬頭は、江戸時代から煙草を中心とする農村の生産物の集積と、農具、荒物、肥料、呉服などを農村に供給する在郷町として栄えた。農村が活気のある時期はそれに応じて商店街も活況を呈し、農産物の収穫期やお盆の行事に合わせて大売り出しをして、山村の購買意欲を掻き立てた。特に煙草収納期に合わせての12月の大売り出しが一番盛大だった。国鉄バスも夜まで臨時バスを運行した。景品は自転車や演芸大会への招待券、食料品などであった。夏の中元大売り出しでは海水浴招待もあった。しかし、農村が疲弊し始まった40年代になると、町には外部資本のスーパーが進出し、自動車の普及により地元商店街の空洞化が一気に進み、地域の協調失われ、大売り出しの商工祭も規模が小さくなり、一気に過疎化に拍車を掛けた。

おおうりだし

大売り出し
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起きて直ぐにという時間帯である。「むくる」は剥ぎ取ることでだが、「起きむぐれ」とどう繋がったのか。子どもの頃から「おきむぐれ」でも、ぼやぼやしていられなかった。それぞれに役割があって、雑巾掛け、水汲みも小学生の中学年になれば当たり前であった。この習慣は大人になって様々な場面で役立った。中でも、長期の登山などでは、寝起きがいいことがどんなに役立ったか、子どもの頃の習慣である。

おきむぐれ

起きむくれ
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本来、護符は神社やお寺からいただいたお札のことである。神仏に対する敬意から「お」を付けたもので、「お札」よりも遙かに格調の高い言葉である。今は使わない言葉となってしまった。御護符は梁に縄で巻き付け、囲炉裏や風呂の煙で燻して虫に食われないよう保存していた。子どもたちにとっての「おごふ」はお札でなく、祭礼の時に神様に上げた餅のお下がりを指していた。お札から食べ物になっていた。

おごふ

御護符
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夏の乾燥の時期の程良い雨は干天の慈雨であった。畑作地帯では干ばつがあり、作物の立ち枯れも珍しくない。神様をお祀りして、嵐除けを祈願して、程良い夕立を期待した。天候だけでなく、町会議員の選挙になると「お湿り」が必要となり、銀行の支店に500円札がなくなってしまうこともあったと聞いていた。「お湿り」のタイミングが難しく、早すぎても遅すぎても効果がない。これは作物の「お湿り」と同じである。

おしめり

お湿り
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今に言う「おしゃれ」とはニュアンスが違う。きちんとした上品なお洒落(しゃれ)ではなく、周囲とはややマッチしないほど着飾ること。「ずいぶんおしゃらぐして。町(まじ)に行く(いぐ)のがな」という時は、「ちょっと派手すぎるんじゃねの」と言う気持ちが込められている。「おしゃらぐばしで、ろぐにはだらがねんだがら」(お洒落ばかりして、ろくに働かないんだから)と羨望の一方で、非難がましい田舎独特の気持ちがある。婚姻色のタナゴは「おしゃらくぶな」と言われていた。

おしゃらぐ

お洒落
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正座すること。共通語や漢字に当てる字はないが、ちゃんとと同じ「しゃんと」が語源で、丁寧な意を表す「お」が語頭について「おしゃんこら」になったのであろう。正座ということから、かしこまった雰囲気を与えることになる。他所に行って「おしゃんこら」していると、「どうぞ平にしとごんなんしょ」と、足を崩すことを勧められる。子どものころから「おしゃんこら」が苦手で、じゃんぼ(葬式)の時などは、すぐにもじもじして長くは座っていられなかった。

おしゃんこら

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潰すの転訛の「ちゃぶす」に接頭語「おっ」が付いたもので、強く力が作用したことを指す。完全に潰すことで、自動詞では「おっちゃぶれる」と使う。騎馬戦で馬が「おっちゃぶれ」れば負け。相手の強力な圧力によって押しつぶされたのである。

おっちゃぶす

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押し折るか。「ぶっちょる」とも言った。薪などを膝をテコにして半分にするのは文字どおり「おっちょる」ことだが、鉛筆の芯も「おっちょれ」てしまうことが多かった。今は標準語の「おれる」と言っているのが、ずいぶんニュアンスが違う。

おっちょる

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行き止まりのこと。集落が終わりになり、道が切れる所が「おっとまり」である。車が普及していなかったから、「おっとまり」の道が多かった。当地区は周囲を山に囲まれていたから、「おっとまり」の道が多く、他所の地区へ「つん抜ける」道は少なかった。そのことが独特の地域風土を醸成したのであろう。

おっとまり

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接頭語「お」が付いたので、意味が強まる。集落のなかで一番最後の家のある場所を指した。大体は、川の崖や山際の場所であった。さらに、外れるということの意味で、自転車のチェーンが「おっぱずれる」と使った。勢いよく外れる状態である。手から物が外れて落とすときも「おっぱずれ」たという。

おっぱずれ

おっ外れ
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「放り出す」に接頭語「お」をつけたので「おっぽりだす」となった。勢いよく外に投げ出すこと。「いづまでも騒いでっと、おっぽりだすぞ(いつまでも騒いでいると、外に放り出すぞ)」と、先生に叱られる。家でも何度か「おっぽり出され」たが、なんちゃない(いっこうに構わない)。逆に家族が探す羽目になったこともある。

おっぽりだす

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子守りのこと。畑作は、時期を外せば「節っ外れ」となり収穫にも大きく影響する。一家総出の農作業となり、子供の数も多かったので、小学生の上級学年ともなれば、弟や妹の「おともり」は当たり前であった。自分自身が遊びたい盛りなのに弟妹を負んぶしていては自由に遊べないし、勉強どころではなかった。今思えばそんな同級生たちへの配慮がなかったように思う。

おどもり

乙守
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高度経済成長が始まる前の、昭和30年代半ばまでは、タバコやコンニャクを中心とする農業も盛んで、女性の中には中学を卒業してそのまま家に残り、家業の手伝いをし、年頃になると農家に嫁ぐ人も多かった。その女性たちが冬の農閑期になると、村の和裁の上手な人の所に通って嫁入りの準備にをした。この女性に敬称を付けて「おはりっこさん」と言っていた。普段と違ってこぎれいにして通う嫁入り前の女性は、子供たちにとってもまぶしく感じられた。しかし、高度成長とともに都市部に就職する人たちが増え、進学率も高くなり、洋裁学校や高校の家庭科に進学するようになり、それとともに「おはりっこさん」の姿は消えた。

おはりっこ

お針っ子
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稲妻のこと。接頭語を付けることで敬意を表している。畑作地帯では夏の夕立は欠かせないものであった。中でも、稲妻は豊作をもたらすもので「稲荷」として信仰の対象にもなった。雷鳴がなり、稲妻が走ると、土煙を立てて乾いた地面を叩き付ける雷雨がやってくる。土と草が混じった甘い匂いがした。雨宿りをしながら稲光(いなびか)りを見ているのが好きで、それは今も変わらない。

おひかり

お光り
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お手玉のこと。小豆を詰めた布の玉を2つ、さらには3つを投げ上げて右左に持ち変える女の子遊びであった。今で言うジャグリングで、野球ではジャッグルすると「お手玉」という。2つ3つ使うのになぜ「おひとつ」と言うのであろうか。

おひとつ

農家を支える日々のなりわい

新聞を取っている世帯は少なかったから、村には新聞販売店がなかった。新聞は昼近い時間に郵便と一緒に配達された。新聞は封筒の大きさに折られ、真ん中に茶色の帯封が巻かれていた。我が家は村で数少ない帯封で配達される中央紙購読者であった。石川達三の連載小説『人間の壁』の主人公が父親と同じ仕事であったからであろうか、夜になるといつも暗い表情で読んでいた。中学生であった私は、父親が帰宅する前に読んで、父親の気持ちが少しは分かった。親と同じ仕事に就いて、父親の苦悩が現実となった。

おびふう

帯封
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背負うことだが、荷物には使わないで、ゆつこび(負んぶ紐)で子どもを背負う時にだけに使う。今の若いお母さんは抱っこ紐を使っているが、両手を使って仕事をする人たちにとって、どうしても背負うことが必要であった。小学校の4年生くらいになると、奉公先の子どもを背負って登校する同級生もいた。戦後の八溝の山間地には「五木の子守歌」の世界と通じるものがあった。

おぶー

負ぶう
農家を支える日々のなりわい

自然に対する畏敬から、「お天道様」「お月様」などとともに、星も「おほっしゃま」と敬意を持って呼ばれる。地区によっては星宮(ほしのみや)神社をお祀りしている所もある。「おほしさま」が転訛して「おほっさま」となり、さらに「おほっしゃま」となった。豊かな夜空の星に恵まれ過ぎて、当たり前と思っていたので、星座や星の名前を覚えることがなかった。教えてくれる人もいなかった。

おほっしゃま

お星様
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仕事などを終わりにすること、さらには体や道具を壊してしまったりすることにも使う。「はやぐおやすべ(早く終わりにしよう)」と仕事をせかせる。「仕事しすぎて体おやしちゃった」となれば、体を壊したことになり、「エンジンおやしちゃった」となれば、エンジンをだめにすることである。もっと深刻なのは「遊んでばがしで(ばかりで)身上(しんしょう)おやしちゃった」と言うことは、賭け事などで財産をなくしてしまったことになる。「終わりにする」ことの幅は広い。便利な言葉であった。

おやす

農家を支える日々のなりわい

終わりにする。終わるは自動詞で、自然に終わりになることだが、「おわす」は他動詞で目的語が入る。「終わりにする」よりも、「終わす」の方が言葉が単純で、「早ぐ仕事おわすべ」と急かされると本気になる。

おわす

農家を支える日々のなりわい

力を入れて外に出すこと。蒲団を押し入れから「おん出し」たり、納屋に込んであった穀物も時には「おん出し」て乾燥した。家畜や穀物ならばいいが、人に使う時には穏やかでない。「嫁おん出しちゃった」となれば、嫁を離縁して実家に返すことで、夫婦の意志というよりも、働きが悪いとか親とそりが合わないため、無理に離縁させたということでになる。

おんだす

押し出す
農家を支える日々のなりわい

街道のこと。中でも集落を貫通する県道を「おーがん」と呼んでいた。意味は分からなかったが、家の前を通る道とは違って、バスも通る幹線道路であることは理解できた。砂利と言うよりも玉石が敷かれていて、自転車の時は良い場所を選びながらの通行であった。昭和40年代になって学校前だけ100mほど舗装され、横断歩道のゼブラのマーク引かれた。町場に行って困らないように、交通指導をするためのものだったという。「おうがん」と言っている時代は、まだまだ交通量の少ない時代だった。その内県道と言うようになった。

おーがん

往還
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大雨で川や沢が氾濫し、いつもと違った流路を流れ、堤防乗り越えると「おうかんまーし」になる。「回わす」は向きを変えることに使から、川筋が変わることを指すのであろう。水が引くと、水溜まりに取り残され魚を手掴みすることが出来た。堤防が不十分な時期には竹の蛇籠がぶっ切れて「おーがんまーし」が起きた。今は、ブロックによる護岸工事で、「おうかんまーし」はなくなったが、川は堀割りのようになり直線化し、魚も住めなくなり、情緒がなくなってしまった。川遊びをする子どもの姿もなくなった。

おーがんまーし

大川回し
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カギを掛けることで、方言ではないが、今は使われない言葉になった。錠前を掛けることも含むが、多くは支え(つっかえ)棒をして戸が開かないようにすることに使った。「ヤギ小屋のとんぼ(戸)にカギ支って来」と言われれば、ヤギが逃げ出さないように戸に横棒を渡す。厳重にカギを掛ける時には「固める」で「倉固めて来や」言われた。

かう

支う
農家を支える日々のなりわい

「今日は風っ吹きで寒みねー」と挨拶する。冬場は那須颪(おろし)が谷筋に吹き込んでくるから、川風の寒さは格別であった。藁屋根の一部が「ふんむける(吹き剥ける:かぜでめくれる)」こともあった。生け虎落(もがり)だけでは風を防げなかったので、冬場は家の北側に軒の高さまで藁の囲いの風除けを作った。子どもの経験から、さまざまな自然現象の中で少しのことでは驚かないのに、「風っ吹き」には敏感に反応するようになってしまった。

かぜっぷき

風っ吹き
農家を支える日々のなりわい

片付けること。「かたす」には移動するの意味があるから、動かして片付けることの意味になったと思われる。特に使った道具などの後片付けにの時に使った言葉である。衣服などの整理には言わなかった。「かたす」ことは全く得意でなく、使いっぱなしで人に迷惑ををかける習慣が今もそのままである。

かたす

農家を支える日々のなりわい

片側のこと。「片」は促音化され、片一方が「かでっぽ」となると同じである。アンバランスな状態を指す。背負梯子(しょいばしご)は真ん中に積まないと「かだっつら」が重くなって因果みる(辛い思い)ことになる。

かたっつら

片っ面
農家を支える日々のなりわい

二つの中で片一方のこと。何事にもきちんとしていなかったから、手袋の「かでっぽ」をどこかにしてしまうのは日常的であった。「なんだ今日もが」と叱られる。育ちのせいで、今も靴下の「かでっぽ」がどこかに行ってしまうことが多い。

かでっぽ

片一方
農家を支える日々のなりわい

『広辞苑』には、福島や茨城でも使われている言葉として、「物忌みの日。部落が共同で農作業を休む日」とある。農村では、横並びの意識が強く、1軒だけ農事を休むのは気が引ける。集落全体で農事を休む日を決めておけば気が引けず休むことが出来る。神社からもらう神宮暦には忌日がたくさん記されている。また、集落独自の祭日もあり、時には「雨っ降り神事」もあった。神様のせいにすれば、抜け駆けは出来ない。今は他人お休みには関心がない。

かみごと

神事
農家を支える日々のなりわい

無一文のことで、標準語である。「空」は何もないことで、「からっつね(空脛)」などの接頭語として使われる。「けつ」にはビリの意味があり、さらに「けつの穴が小さい」となれば小心でけちなことを指す。しかし、「何もない尻」が無一文の意味になるのはどうしてか。子どものころは誰もが「からっけつ」だったが、お金を使う場所もなかった。みんな平等に貧乏な時代は、かえって良かったのかも知れない。

からっけつ

空っけつ
農家を支える日々のなりわい

雨が降らない雷のこと。県内の平野部ほどではないが、「八溝雷」の発雷が多かった。煙草農家などは空を見ながらの農作業であった。雷雨は時として乾燥していた畑地を潤す慈雨でもあった。ただ、「空雷様」は、お湿りにもならず、「空雷様は落っこちるから」と恐れら、金属の農具を持つ作業などは早めに切り上げた。

かららいさま

空雷様
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代金を払ったりでなく、数を数えること使う。「いぐっつあるがかんじょうしとげ(いくつあるかかぞえておけ)」と言われる。勘定という江戸言葉が、金銭出納の勘定の意味でなく、数を数えるという面だけに使われるのはどうしであろう。日常的に金の出し入れをしない村の生活からであろうか。買い物も年に1回の煙草の納付払いにしていた。ずいぶん割高な買い物をしていたのである。利子などを「勘定」していなかったのである。

かんじょ

勘定
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人の皮膚、果物の皮などを含む。語源は「皮」に、場所を指す「辺」が付いたもので、表面のこと。怪我して膝の「かーべ」が剥けてしまうこともあるし、夜なべをして、干し柿を作るため、蜂屋柿の「かーべ」剥きもした。和紙の原料となる楮(こうぞ)の皮は「表皮(ひょうひ)取り」と言っていた。業界用語であったろう。

かーべ

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ポンプの操作音からの通称で、正式名は「○○式手押しポンプ」というのであろう。30年代には村内にも、鍛冶屋から転業したポンプ屋が出来た。新生活運動により、婦人会を中心にしてポンプの導入が進められ、一気に普及した。ポンプは時々弁が故障して空気が漏れ、上から薬缶(やかん)で水を入れ、バルブを湿らせ何度か小刻みに上下させて復活させた。その後直ぐに高性能のポンプが出現し、さらにモーターのポンプに代り、「がっちゃんポンプ」は姿を消した。町の水道が布設されてからは井戸は顧みられず、我が家には動かなくなったモーターとがっちゃんポンプが放置されている。

がっちゃんぽんぷ

がっちゃんポンプ
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「がところ」の転訛。助詞「が」は数を表す言葉に付いて分量を表し、さらに値段の範囲を示す。「100円がとおごれ」と、難しい漢字の「寶」と書いてある焼酎の量り売りを買ってくる。店では量り売りや個包装されていないばら売りが多かったから、「がと」を使うことが多かった。

がと

農家を支える日々のなりわい

バスの車庫。婆ちゃんは国鉄バスを「しょうゆバス」と言っていた。鉄道省のバスの名残がまだ戦後も使われていた。馬頭の町まで行く時に、終点の「がれじ」で降りた。小学生で、「がれじ」が英語であることは全く意識していなかったが、婆ちゃん世代もバスの終点が「がれじ」であって、英語だとは思っていなかった。バスという新しい交通手段と新しい言葉が一般に普及したのであろう。その後、何でも英語表現にする風潮の中で、停留所は「馬頭車庫前」になったのはどうしてだろうか。

がれじ

ガレージ
農家を支える日々のなりわい

岩盤ば露出しているところ。また露出している岩盤。我が家は、浸食された段丘上にあったから、地面を掘ると直ぐ「岩」に突き当たった。杭を打つのも一苦労で、鉄ん棒で穴を掘ってから打ち込んだ。大人たちが話していた「がん」という響きが今も残っている。

がん

農家を支える日々のなりわい

標準語である。煙管(きせる)の頭の形が雁の首に似ていることからの命名。爺ちゃんが刻み煙草「みのり」を吸っていたので、雁首の火皿に詰めて囲炉裏の燠(おき)を火箸に挟んで火を着ける。吸い終わると囲炉裏の炉縁(ろぶち:お茶道具ではない)に雁首を叩き付け、灰を落とす。時々煙管に溜まった脂(やに)を取るのが孫の仕事であった。細い藁を吸い口から雁首に通して擦り取る。煙草を吸う爺ちゃんを見ていて、大人になっても煙草は吸わないようにしようと思って、ずっと吸わないで済んだ。

がんくび

雁首
農家を支える日々のなりわい

「きのう」の転訛。本来八溝の言葉では「や・ゆ・よ」の拗音が発音しないことが多いのに、この語は反対に拗音が付いて発音される。子どもの頃にも、すでに年寄りが使っていた言葉であった。

きぎょう

昨日
農家を支える日々のなりわい

標準語で、広辞苑には、着物を着たまま仮寝することとある。農繁期の初夏を迎えると、農作業の時間も長くなり、重労働も増える。そんな時期に、大人たちは食後に、NHKの「昼の憩い」を聞きながら、小半時(30分ほど)「きどころね」をする。機械化される前の農業は重労働であった。子どもも、遊びすぎて、晩ご飯までに囲炉裏の近くで「きどころね」をしてしまう。

きどころね

農家を支える日々のなりわい

カ行変活活用の未然形「こない」が「きない」となり、「きね(−)」となった。最近でこそは「来たげ(きたかな)」と聞かれて「来(こ)ねー」という言い方が多くなった。ただ、大人の多くは「まだきねー」と言っている。その内、八溝の言葉も標準語ふうに統一され「こない」となるか、一方で、一語しかないカ行変格活用が八溝地域のような活用に変化していく先駆けなのか。

きねー

来ない
農家を支える日々のなりわい

黄色の転。黄色が「kiiro」と母音が続くことから、音韻変化がおきやすく、「きゅうろ」になった。中学生までの母国語が八溝語であったため、高校生入学後に改めて「日本語」を聞くことになったが、もはや手遅れで、無理をして意識的に話そうとすると混乱が起きた。今になると、豊かな自然体験に裏打ちされた言葉を獲得したことは、学力などには代え難い財産となった。

きゅうろ

農家を支える日々のなりわい

方言ではない。今でも和菓子を包むものとして用いられている。桧を薄く削り、紙状にしたもの。もとは紙の代わりにお経を書いたことからの名前である。材料が杉材であったことから安く出来たこともあって、包装紙の代わりになっていた。紙が手に入らない時代、赤飯などを近所に分ける時に普通に使っていた。今は高級和菓子の包みになっている。

きょうぎ

経木
農家を支える日々のなりわい

「きょうび」は、「今日」に日を重ねたもので、広辞苑にもある。今日そのものよりも「近頃」の意で、より長いスパンになる。年寄りは、「きょうびの若いてい(者)は夜遊びばし(ばかり)して」と言って、夜なべ仕事をしないことに対して世迷い言をしていた。いつの時代でも年配者の「きょうび」の若者への世迷い言は同じである。

きょうび

今日日
農家を支える日々のなりわい

しゃべることに強意の接頭語が付いたもので、饒舌であることへの非難が込められた言葉である。「いつまでもくっちゃべってねーで、ごっごと仕事やれ(いつまでもしゃべってないで、さっさと仕事やれ)」と急かされた。広く使われていたが、世代が代わって使われなくなった言葉である。

くっちゃべる

農家を支える日々のなりわい

「与えること」の意味広く使われた。池に鯉がいたので、「餌呉れ」たし、馬にも餌を呉れた。また、「肥料くれっか」と言って追肥をした。さらに「じでんし ゃ(自転車)のチェーンに油くれっか」と、発動機か ら抜いた廃油を「くれ」てやった。

くれる

農家を支える日々のなりわい

泥濘(ぬかるみ)のこと。「ぐじゃぐじゃ」なという状態に、小さいという意味の接尾語「こ」が付いたもの。舗装が全く無かった時代には雨が降れば、至る所に水溜まりができた。学校帰りにはゴム草履でわざわざぐじゃこ入った。八溝の地質が砂礫であったので、ぬかるみに足を取られるようなことはなかったし、家に上がるときは、汚れた足を反対側のズボンの裾で拭けばそれで済んだ。

ぐじゃっこ

農家を支える日々のなりわい

「ぐるっと」の転訛であろう。遊びの際、地面に円を「ぐりっと」と一周書くことになる。順番も「ぐりっと」一回りして戻ってくる。稻藁を縄で縛るのも「ぐりっと」し一回りして縛ることになる。

ぐりっと

農家を支える日々のなりわい

「煮凝り」のように凝固することであるが、八溝では、凝固する程でなく、1か所に集まっていることにも使う。「ふかんぼにざごめ(深みに雑魚)がこごっているぞ(あつまっているぞ)」と言って石をぶん投げて浅瀬に追い立てる。体育の時に、先生に「ほら、そごんとここごっていねで(そこのところ固まっていないで)」と声が掛った。普通に使っていた言葉である。

こごる

凝る
農家を支える日々のなりわい

「拵える」の転訛。工作物だけでなく広汎な意味で作り上げることに使われる。料理も「こしゃう」し、借金も「こしゃう」という。子どもたちも、日常の遊びの中で様々なものを「こしゃえた」。そのことが大人になって大いに役立った。

こしゃえる(こしゃう)

農家を支える日々のなりわい

粉砕したり潰(つぶ)したりすることすること。ニワトリの餌に貝殻を「こじゃし」て混ぜて、固い殻の卵を産ませた。煮た小豆を「こじゃし」てあんこを作った。最近の「こじゃれた」とう語と基本的に通じているのではないかと思う。固いところがなく、年齢不相応に気の付くことやお洒落をしていることで、時にはマイナスの評価にもなる。

こじゃす

農家を支える日々のなりわい

「おおさむこさむ(大寒:小寒)」と歌われる童謡の歌詞にある「小寒」はどういう意味か。冬の早朝の寒さは「こっつぁむい」とは言わない。本格的に寒いから「さみー」である。日中になっても日が照らず寒い時には「こっつぁむい」のである。接頭語「こ」には、「それとなく」という意味があり、「おおさみー」に対して「こっつぁみー」があるのであろう。

こっつぁむい

こっ寒い
農家を支える日々のなりわい

「こよみ」が「こゆみ」と転訛した。銀行からもらうカレンダーは1枚に12か月分印刷されているものであり、お店からもらう暦(こゆみ)は1か月1枚のもので、旧暦はもちろん六曜の仏滅などの他に、農事についての諸行事も記載されているものである。この他に神宮暦やお寺からの冊子もあった。商店名の入った「こゆみ」は、来客から見える鴨居に並べて吊した。暦の数はお付き合いしているお店の数であり、社会的なステータスとも言えたから、来客に見えるところに掛けた。

こゆみ

農家を支える日々のなりわい

単に転ぶことでなく、予期せぬ時に転んだり、自然に転げている時に使う。「ころばす」は他動詞で、丸太を転ばすなどという標準語である。「じでんしゃ(自転車)で転ばちゃった」は「転んじゃった」よりも偶発性が高く、ひどく転んだ感じがする。

ころばる

農家を支える日々のなりわい

今度の転。「こんだ、まだしたら勘弁しねがら」と叱られる。「この次」の意味である。また、「こんだ来た先生は、東京の学校出だんだと」と、村中が話題にするのは「このたび」の意味である。「こんだ」にも、時間の差がある。

こんだ

今度
農家を支える日々のなりわい

「ここのところ」の意味。「切り」は「これっきり」などのように限定する感覚はなく、長い時間のスパーンである。「こんどっきり具合(ぐわぇー)悪(わ)りんだよ」と、ここしばらく体調が良くないことを表現している。比較的緩やかな時間である。

こんどっきり

今度切り
農家を支える日々のなりわい

銭の単位は株の取引情報で聞くことがある。20年代の小学校低学年の時には楠木正成が馬に乗っていた5銭紙幣が通用していた。爺ちゃんに、稲穂が印刷された紙袋に入った刻み煙草の「みのり」を買ってくるように言われて、1キロほど離れた店(たな)まで行くのが日課であった。時には、駄賃として森永のキャラメルを買うことが出来た。「みのり」は5銭札が使われたのだから、それ程高くはなかったであろう。小学校卒業とともに五銭札が通用しなくなってしまった。

ごせん

五銭
農家を支える日々のなりわい

つららのこと。雪解けの翌日の軒には「さがんぼ」が軒いっぱいぶら下がっていた。雨樋(あまどい)がない上に、藁屋根は水を含み易く、少しずつ流れ落ちるから「さがんぼ」のできる条件が揃っていた。今よりも気温が低かったこともあり、「さがんぼ」を目にする機会があった。

さがんぼ

下ん棒
農家を支える日々のなりわい

棒などの先端部。「ぺ」は辺の転訛したものか。鉛筆の芯の先端も「先っぺおっかけっちゃった(鉛筆の先端が折れてしまった)」と言って、肥後守(ひごのかみ)という小刀で削り直す。「尻っぺじ」の反対。「さぎっちょ」、あるいは「さぎっぽ」ともいう。

さきっぺ

先っ辺
農家を支える日々のなりわい

「いや今朝はさみねー」と冬の登校時の挨拶となっている。息を吐きかけて温めたが、後でかえって冷たさが増した。手袋はなかったから、ズボンの「隠し」(ポケット)に手を入れるか、半纏の中に入れて寒さをしのいだ。部屋の暖房や着衣の違いで、今は「さみー」という場面も少なくなったに違いない。

さみー

寒みー
農家を支える日々のなりわい

4日後かと思われが自信がない。「やなさって」があり、「しやさって」もあり、「さーさって」はどこに落ち着くのか。「あした」の次が「あさって」で、その次が「やなさって」か。それとも逆に「しやさって」の次が「やなさって」か。「あさって」までは明確だが、その次が曖昧である。「あさっての方を向いている」と言えば、見当違いな方向を向いていることを指したが、「やなさって」までになるとどこを向いているのかさえ不明である。

さーさって

農家を支える日々のなりわい

強く引き締めること。縄で杭(くい)を強く締め付けたりするようにすること。それとともに、人の心を引き締めることにも使う。「生意気だがらしっちめどぐべ」といって、相手に気合いを入れて、緊張感を与える。「納付までまだだがら、しっちめとがなくちゃ(煙草の納付までまだ期間があるから、支出を引き締めなくては)」と家計を引き締めることもある。幅の広いことばであった。

しっちめる

農家を支える日々のなりわい

「かっ散らかす」と同意。「しっ」は強意の接頭語。「ぶっちらかす」とも。収拾のつかないほどの散らかしようで、衣服の脱ぎっぱなしの状態などをいう。我が家は女手が多かったので、誰かが片付けてくれたので、片付ける習慣がなく、「しっちらかした」ままで育ったから、それが習い性となってしまった。

しっちらかす

農家を支える日々のなりわい

高さがなく、地面がふくれあがった程度の山。八溝の山は、標高こそ高くなかったが、幾重にも重なり、頂上に登っても、平野部は見渡せなかった。バスに乗って那珂川を越えると「じぶくれやま」になり、遠くには雪を頂いた日光や高原連山がよく見えた。子どもながらに、「開けている」という実感を持った。中学生まで、八溝の山間で過ごし、さまざまな場面で都市部の子どもたちとは大きな差があったが、一方で自然の豊かな営みの中で過ごせたことは大きな財産であった。

じぶくれやま

地脹れ山
農家を支える日々のなりわい

「地べた」に座るなど、地面という意味で広い地域で使われているが、八溝では「土地」という意味で使われていた。「木(材木)うんのに(売るのに)、じべたごし(土地ごと)売るんだ」という話がよ良くあった。30年代は材木の需要が多く、さらに薪炭が全盛であったから、「地べた」ごとよく売れた時代だった。今は一山いくらで値も付かない。

じべた

農家を支える日々のなりわい

「じょしゅ」の拗音が脱落して「じょし」になった。今も乗用車でも、手助けをしなくても運転席の隣を助手席という。戦後材木特需があり、八溝杉が大量に都市部に運ばれた。道路が改良され、丸太の集積場の土場まで「いすゞトラック」が入るようになった。運転手と運転見習の助手が、鳶口を使ってうず高く丸太を積載し、製材所に運んだ。その内、助手席に座っていた助手が運転手になって大型トラックを運転して土場にやってきた。教習所がない時代どうして大型車の免許が取れたのか。ハンドルが重かったから、運転手は腰を上げながら力を入れてハンドルを切っていた。子どもたちにとってトラックの運転手は憧れの存在であった。

じょし

助手
農家を支える日々のなりわい

隅の訛りとして「すま」という語が古典にも出てくる。さらに当地方では、語尾に場所を表す「こ」が付いて「すまっこ」となった。学校の席替えの時は「すまっこ」になればいいと期待していたが、落ち着かない子供たちは先生の目の届く教卓の前に座らせられた。「すまっこ」は古語の味わいを持った語である。

すまっこ

隅っ処
農家を支える日々のなりわい

ずるずると引きずること。太い孟宗竹を伐って庭まで「するびって」来て、枝払いをし、必要な長さに切莉分ける。また、買ったままのズボンの裾を上げてもらえず、学校の廊下を「するびって」歩くこともある。引き摺るとは言わず、生活の中で日常的に使っていた言葉である。

するびく

擦り引く
農家を支える日々のなりわい

「ずっと」が「ずーっと」となり、さらに「ずーって」となった。時間的にも空間的にも連続していること。「ずーって雨ばーし降ってんだがら(ずっと雨ばかりふっているんだから)」と使った。

ずーって

農家を支える日々のなりわい

季節外れのこと。「節っ外れ」になると、作物の収量に大きな影響がある。適時適作が原則である。農業以外でも、節句の祝いが遅れたりすれば「せずっぱずれ」になる。近所付き合いでもタイミングを逃してしまうと、「せずっぱずれ」で不義理になる。親しいがゆえに気配りは欠かせない。

せずっぱずれ

節っ外れ
農家を支える日々のなりわい

古典での学習では「せばし」と習う。八溝には古語の状態で残ってきたのであろう。普段は「せまい」が使われていたが、「せばい」も並行して使われていた。

せばい

狭い
農家を支える日々のなりわい

冬の冷たい水を使って、棒石けんを擦り付け、横線が彫り込まれている洗濯板を使いながら、家族十人分を手で洗っていた。農家の主婦にとって重労働で、母ちゃんの手は、いつも「めなし」だらけであった。すり減った洗濯板が今も残っているが、井戸端で洗濯していた母の姿と重なる。我が家では、昭和30年頃、地域では一番先に「手回し洗濯機」が導入された。画期的なことであったが、やがて手回しの脱水ローラーがついた「電気洗濯機」が普及して、すぐに廃れてしまった。洗濯板は何百年と続いたものであろうが、この後の10年で全く別な世界に変化した。

せんたくいた

洗濯板
農家を支える日々のなりわい

時間的に過去のことをいう。「せんに」が「せんぎ」となった。「せんぎ借りたやつ返すかんね」(さきごろ借りたものを返すよ)という。「先」は「先日」と同じように、音読みにしてることから、八溝以外の言葉が移入されたものであろう。古い用法が残っていたが、いまは標準語の語「先頃」になった。

せんに(せんぎ)

先に
農家を支える日々のなりわい

先ごろと同じ。「先の頃は済まなかったね(先頃はありがとうございました)」と、お礼を言う。今は「先頃」が当然のようになってしまっているが、「せんのころ」方が上品な感じがする。江戸言葉が残っていたものであろう。そろそろ使う人がいなくなってしまう言葉だが、良い言葉である。

せんのころ

先の頃
農家を支える日々のなりわい

毎朝婆ちゃんは、井戸の際で、洗面器に水を入れて洗顔を終えると東の空に向かって手を合わせていた。洗面器は一つしかないので、交代に使うことになるが、婆ちゃんが一番先であった。爺ちゃんはどうしていたのか記憶にない。子どもたちは洗顔を済まさないと朝飯を食わせてもらえない。井戸端から湯気の出ているほどの寒い中でも戸外で洗顔は、目やにを取るくらいで済ませてしまった。今でも洗面器が残っている。

せんめんき

洗面器
農家を支える日々のなりわい

「据える」の転訛。きちんと片付ける、収納すること。「お膳戸棚にせーどけ(お膳を戸棚にしまっておけ)」と言われる。まだ箱膳で、1回ずつ流しで食器を洗うことがなかったので、各自が食器ごとお膳は戸棚に入れた。家族全員分が収納できるようにするのには、きちんと「せーる」必要があった。

せーる

据える
農家を支える日々のなりわい

霜柱のこと。八溝の地質は火山性のノッポと違って、硬質の砂岩であったり頁岩であることから霜柱が立ちにくい。それでも、それでも日陰の山道などには霜柱が立つ。早朝にメジロ捕りに山の鳥屋(とや:頂上)に向かう時には音を立てながら「たちごーり」を踏んで登っていく。

たちごおり

立ち氷
農家を支える日々のなりわい

朝に霧が立つと晴天、反対に霧が降りてくると天候が悪化するという観天望気。雲や風の状況から、経験値に基づいて天気を判断し、農作業のスケジュールを決めなくてはならない。そのため、言い伝えられている観天望気は重要な知識である。川筋の集落であったから、しばしば川霧が立った。朝に霧が立てば、上空が冷えているので晴れの予報で、反対に山稜から霧が降りてくる時は雨であると判断したのであろう。今はピンポイントの天気予報があるから、空を見ての天気予報は必要なくなった。自然観察よりも新聞やテレビの情報が優先される。登山での「観天望気」は子どもの頃の経験が大いに役立った。

たっきりふっきり

立つ霧降っ霧
農家を支える日々のなりわい

南東からの風。一般には台風のこと。冬の北風には備えがあり、農作物も収穫が終わっているから、麦わら屋根の角が痛むこと位で少々の強風にも困らない。ところが、秋口の南東からの風は農家で一番警戒される。収穫を控えた作物はもちろん、防風対策のない建物にも被害が起きやすい。天気予報などの情報も少なかった頃、雨戸が音を立て、いつ外れてしまうのかと耳をふさぎながら夜明けを待った。

たつみかぜ

辰巳風
農家を支える日々のなりわい

キャベツのことを、結球することから「玉菜」と言っていた。野菜は、伝統的な根菜や白菜など自家消費のものを、収穫しやすい屋敷周辺で栽培していたが、洋食が普及しなかったからかキャベツを食べた記憶がない。農薬がないので虫害を受けやすいうえ、下肥を使ったことから回虫などの寄生虫を一緒に摂取してしまうことの危惧からであろうか、生のキャベツを食べたのは町場に行ってからである。時代とともに作る野菜も変わっていく。

たまな

玉菜
農家を支える日々のなりわい

溜め池のこと。我が地域は山が深く、季節によって川の水量もほとんど変わらなので、渇水の心配はなかった。同じ村内でも別な地域には水量が少ないため、「ためっこ」があった。小さいわけでないのに「ためっこ」と言ったのはどうしてか。冬にはスケート場になり、はるばる出掛けていった。

ためっこ

溜っこ
農家を支える日々のなりわい

長雨。雨続きのこと。間もなく雨が上がるという意味とは違う。「近上がりで困りやんすね」と長雨で煙草の収穫が遅れることを心配する。近上がりがなぜ長雨になったのか、反対のような意味だが、しばしば使っていたから間違いない。

ちかあがり

近上がり
農家を支える日々のなりわい

「ちゃぶれる」と自動詞にも使う。「家がちゃぶれた」は建物が壊れたことと、破産したことにも使う。さらに、「卵なさなくなったがら、ちゃぶして食うべ」といって、ニワトリを殺して食べる。一番問題は「顔をちゃぶされる」ことで、面目を失ってしまう。さらに接頭語「ぶっ」をつけて「ぶっちゃぶす」となると、大きな力が加わったことになる。

ちゃぶす

農家を支える日々のなりわい

広辞苑にも出ていることから、かつては普通に使われていた言葉であろう。良くないものをよく見せるためには言葉の読み方も改めることが必要となる。車社会とともに、「古い」というイメージを払拭するために「ちゅうこ」という新しい言葉が生まれる。さらに「Used Car」となり、新古車ということばも生まれた。中身は変わらないのに言葉が変われば人の意識が変わる例である。「ちゅうぶる」は死語となった。

ちゅうぶる

中古
農家を支える日々のなりわい

中間だが、もう少し広い範囲を示し、バランスが良く取れている辺り。良い点での中間で、中途半端という意味では使わない。「勉強ちゅうかんべまで進んだがな」と、程良いところまで進捗していることになる。音読みの「中間」であることから、もともとの八溝の言葉ではないだろう。

ちゅーかんべ

中間辺
農家を支える日々のなりわい

「つける」は幅の広い意味を持つ言葉だ、その中で、「印形(いんぎょう:印鑑のこと)つける」と、押印限定で使った。「判子を押す」よりも改まった時に使い、常会の後の決まり事を了解したした証拠には 「印形付ける」と言っていたから、より古い言い方で あったと思われる。

つける

付ける
農家を支える日々のなりわい

通り越すことで、接頭語「突き」が付くので、ただ越すのではなく、障害物などを意識的に越すこと。「この土手つっこしていぐべ」と、言って近道をする。また、交差点も向こう側に「つっこし」ていくことになる。意味を強める「つっ」がさまざまな場面で使われる。

つっこす

突き越す
農家を支える日々のなりわい

「つるつる」の転。雪の朝など道路が凍っていると「道がつるんつるんだがら、きょーつげでいげや(道がつるつるしているから、気をつけていきなさい)」と注意される。さらに、肌がつるつるすることにも使う。

つるんつるん

農家を支える日々のなりわい

貫通すること。「この道はおっとまりがな(この道は行き止まりかな)」と聞かれたら、「もこう(向こう)の部落までつんぬげでるよ」と答える。竹の節などを無くせば「つんぬける」ことになる。もやもやした心が晴れれば、ようやく気持ちが「つん抜けた」ことになる。

つんぬげる

突き抜ける
農家を支える日々のなりわい

平のこと。地区では開けた畑地が広がる場所である。「平」が付く地名が全国にあるが、それだけ平地が少ないから、「平」は貴重であったからであろう。「てーら」にあった我が家の畑は耕作放棄地となり、茅場のようになっている。

てーら

たいら
農家を支える日々のなりわい

泥のこと。「道がぬかっていたので、ズボンにでろが着いちゃった」と言う。「どろどろ」になるのでなく、「でろでろ」になってしまうのである。遊びの空間でも「でろ」に接する機会が多く、ぬるぬるの感触を十分味わった。今の子どもたちは、田植えの時に田んぼに入ることにも抵抗感を持っている。

でろ

農家を支える日々のなりわい

投げ倒すこと。物を放り投げることは「かっぽる」とか「すっぽる」であって、「でんなげるは」相撲などで相手を勢いよくたおすこと。自動詞は「でんながる」で、自転車(じでんしゃ)で勢いよく転ぶと、「でんながっちゃった」という。

でんなげる

農家を支える日々のなりわい

地域の中で高台のこと。我が家の本宅は「上の台(うえんでー)である。「dai」は母音が続くので音韻が変化する。前が「めー」となったり、川端が「かーばた」になったりと、地形が屋号になっている家が多い。

でー

農家を支える日々のなりわい

唐箕は標準語である。今まで箕(み)で手作業の選別から、唐箕の導入で一気に作業効率が上がった。手回しの翼を回転させ、重い物は手前の一番樋に、間(あい)などは反対側の二番樋に、藁屑などは穴から吹き出される。回転と籾を落とす量の加減は熟練を要す。唐箕の穴は勢いよく風が吹き出すところで、冬の空っ風が狭い谷間を吹き上がってくる我が集落は、唐箕の穴と言われ、特に寒かった。

とうみのけつ

唐箕の穴
農家を支える日々のなりわい

畳が蒸けて腐ること。農家で畳の部屋は奥の二間で、その他は板の間であったから、畳替えをするということは滅多にない。縁の下も風が吹き通るようになっていたから湿気は少なかった。ただ、爺ちゃんが中気になって長く伏せっていると、下(しも)のお漏らしなどで畳が「とこげって」しまうことになる。葬式は自宅でやったから、畳屋が入ったなどと噂されれば、葬式が近くなったことを知ることになる。

とごげる

農家を支える日々のなりわい

「とっけし取る」と使うことで、物や金銭ばかりでなく、心理面を含めて、損していたものを元に戻す意味になる。「いつも威張られてっから、今日はとっけし取ってやった」と日ごろ我慢していた鬱憤を晴らすこともある。

とっけし

取り返し
農家を支える日々のなりわい

追い越すことの意味でも使い、通り過ぎることにも使う。背比べをして「俺の方が背伸びて、とっこしたぞ(俺の方が背が伸びて、追い越したぞ)」という。さらに、「しんねうじに、信号とっこしっちゃ(知らない内に、信号を通り過ぎてしまった)」と、今でも使っている。

とっこす

農家を支える日々のなりわい

「とや」はもともと鳥を飼う小屋で鳥屋」のことである。それが、野鳥を捕獲する小屋となり、その場所から山の頂上とか尾根を指す言葉となった。山頂には群れをなして渡りをする小鳥を捕獲するための鳥屋を造った。冬の谷間の夕暮れは早く、学校が終わる時間には夕日が「とやっぺ(鳥屋っ辺)」ペだけを照らし、早々に沈んでしまう。子ども心に寂しさが募った。山の上の方にある家の屋号は「とや」であった。

とやっぺ

鳥屋っぺ
農家を支える日々のなりわい

標準語の「眠くなる」などとは違い、溶けてぐじゃぐじゃになること。人よりも早くやろうとして、ナス苗などを植えたところ、遅霜で溶けたように茶色くなるなってしまうことがある。「霜でとろんじゃった」という。

とろむ

農家を支える日々のなりわい

大きな声を出して怒ることで、共通語の「怒鳴る」よりも怒気の程度がはなはだしい状態である。単に大きな声を出すことであれば「じなる」と言うが、「じなる」に意味を強める「ど」が付いてものかも知れない。集中力がなく、頼まれた仕事も直ぐに飽きてしまって「どしなられ」たこともあった。

どしなる

農家を支える日々のなりわい

土足のまま囲炉裏に入ること。囲炉裏は家によって造りが違い、板の間から炉を切って、炉縁を四角に回したものだと「どだっぱいり」が出来ず、長靴や草履を脱がなくてはならない。木尻(横座の正面)がなく、長靴などそのままで囲炉裏に当たれるようにしたものがあった。土足のまま踏ん込むことを「どだっぱいり」と言った。正面の横座はじいちゃんがあぐらをかいて、煙いのを我慢しながら座っていた。

どだっぱいり

どだっ入り
農家を支える日々のなりわい

どぶの匂いがすること。どぶを「どべ」と言っていた。下水もしっかりしていなくて、すべて垂れ流しであったから、梅雨の時期になると「どべくさく」なる。田んぼも湿田であったから、水の流れが悪いところは、「どべ」の匂いがした。

どべくせー

泥臭い
農家を支える日々のなりわい

大半、あるいは半分という意味。「ながら終わりそだな(あと少しで終わりそうだな)」とも言う。一方で「ながら終わったがな(半分ぐらいはおわったかな)」と、ぐっと割合が少なくなる表現もする。半分以上であれば「なから」で済んだのであろう。

なから

半ら
農家を支える日々のなりわい

自転車の荷台に限定して使っていた。魚の行商をする赤松さんの荷掛は特別大きいもので、魚箱が3段くらいは載っていた。魚箱から塩水でしみ出ていたので赤く錆びていた。まだ、車社会の前であったから、「荷掛」は自転車にしか付いていなかったので、自転車のものに限定して使った。

にかけ

荷掛
農家を支える日々のなりわい

新盆(にゅうぼん)を迎えた家で、仏様が間違えずに戻ってくるようにとの目印のため高い灯籠を立てる。杉の丸太の上に青竹を継ぎ、そこに 新盆の転訛、「あらぼん」ともいう。中学生になって英語を習って、新しいがNewであることを知り、新盆がなぜ「にゅうぼん」なのか真剣に考えたことがある。特別の盆飾りを造り、親戚から送られた座敷一杯の提灯が並べた。

にゅうぼん

新盆
農家を支える日々のなりわい

ぬるいと違って、「ややぬるい」感じ。接尾語の「こい」は、「厚っこい」「やっこい」などと同じく、何となくそれらしい状態のこと。「温まっこいから、ちょっとくべてくれや(やや温度が足りないないので薪をくべてくれ)」と頼む。

ぬるまっこい

温っこい
農家を支える日々のなりわい

アイロンが普及していないので、囲炉裏の熾(おき)を使った炭火アイロンが主流であった。普段、ズボンは寝押であった。畳みの目がズボンに付いているのは、家庭のしつけが行き届いていると見られた。電気アイロンが登場するまでは「寝押し」が中心であった。

ねおし

寝押し
農家を支える日々のなりわい

粘りつくことからの命名。八溝の地質では粘土が出る場所は多くない。集落の中で1箇所、河岸段丘の急崖から「ねばつち」が採れた。シャンプーが普及する前は、女性たちはシャンプーの代わりに粘土を使った。どんなふうに使ったかは分からない。男の子たちは短髪であるからシャンプーは不要であった。最近は粘土を素材とするシャンプーが利用されているという。自然回帰であろう。

ねばつち

粘土
農家を支える日々のなりわい

寝ないで泣いている子供を、無理にでも寝せつけるようにする時に使う。伏せるは、「大根を伏せる」というように、土の中に横にするすることも言う。語源は共通するのであろう。親が子供を寝伏せるだけでなく、夫婦間でも父ちゃんが母ちゃんに「早くしろ」と言って寝床に呼んで「寝伏せる」のである。無理に寝せつけたかどうかは知らない。

ねぷせる

寝伏せる
農家を支える日々のなりわい

今の若者は立ちしょんが出来ない。道徳的なことかどうか、した経験がないからだろうか。時に道のよせ(端)で用を足そうとすると軽蔑をされる。違法行為であるから当然だが、昭和30年ごろまでは小便用の便所がなかった。朝起きれば屋敷の端のケヤキの根方で放尿するのが決まりであった。年寄り婆さんも腰巻きをまくって中腰で用を足した。男女を会わせていうので、立ちしょんべんと言わずに「野しょんべん」と言った。

のしょんべん

野小便
農家を支える日々のなりわい

車に乗り込むのではないし、人の家に押し込んでいくことでもない。悪い意味で夢中になることをいう。当時盛んになりつつあったパチンコが山村にも進出し、何人もの人が入り浸っていた。メタルを入れると球が出て、手で弾くとチュウリップが咲いたりした。子ども心にもワクワクした。パチンコに「のっこんで」代々続いた身上(しんしょう:財産)を失ってしまった人がいた。

のっこむ

乗っ込む
農家を支える日々のなりわい

埋まること。自分の意志でなく埋まってしまうことに多く使う。「ぶんのまる」と強調する。「ぐじゃっこにぶんのまっちゃた(ぬかるみに入ってしまった)」と、意図しないのに泥の中に入ってしまうことになる。タイヤが雪の中に「ぶんのまって」しまうこともある。

のまる

埋まる
農家を支える日々のなりわい

標準語は「はえちょう」。棚付きの箱に網を張って開き戸を付けた本格的な物、さらには折りたたみ式のパラソル型の物もあった。日中は活動が活発であったから、蠅叩きを手にしながらの昼食であった。まだ冷蔵庫がないころは、通気性の良い場所に食べ物を置かなくてはならなかったから、四面がネットの蝿帳はなくてはならないものであった。学校から帰ってきてまず蝿帳を開けると蒸かしたジャガイモが入っていた。

はいちょう

蠅帳
農家を支える日々のなりわい

シート式の蠅取り紙で、粘着物がなく、皿の上に水を含ませて置けば、蝿がなめて死んだ。皿の上にたくさん死骸があったが、どのような成分であったかは分からない。「はい捕りリボン」より先に用いられていたが、見た目も汚いので、蝿捕りリボンに取って代わられた。

はいとりがみ

蝿取り紙
農家を支える日々のなりわい

ガラス製のハイトリ器。ガラスと言わず「ギヤマン」と言っていた。ガラスの中に飯粒を入れておびき寄せ、出られない蝿の習性を利用したもので、どの家にもあった。それだけハイが多かったが、30年代後半には馬を飼うことがなくなって、ハイの数が急激に減った。それにしても、対症療法的に物事に対処する知恵は発達していたのに、原因を除去するという考えを持たなかったのはなぜであろうか。現状を追認する農村の風土であろうか。

はいとりびん

蝿取り瓶
農家を支える日々のなりわい

「はえ」でなく「はい」と印刷されている。岡山県産であるから、「え」と「い」が区別出来なかったことはない。古語では「はへ」であるが、「はい」と表記されている例もある。「はい捕りリボン」は天井から提げておくこともあり、リボンが付いていたことか汚い感じがしなかった。蝿ばかりでなく蛾なども掛って、まだ動いていることもあった。今でも牛舎などで「はい捕りりぼん」が現役で活躍している。

はいとりりぼん

蝿取りリボン
農家を支える日々のなりわい

植え込みや頭髪など、伸びて不必要なっものを切ること。剪定鋏で植え込みの徒長枝を切って整枝する。髪の毛が伸びると、日曜の天気の良い日に軒の下に臨時の散髪所を開設する。風呂敷を首に掛けてはバリカンで「あだまはぎり」をする。時々バリカンに食われ(切れずに髪が挟まる)て、泣くように痛かった。中学卒業までは父親に頭を「はぎって」もらっていた。

はぎる

農家を支える日々のなりわい

お金の「はしっぱ」。お釣りなどで細かい端金(はしたがね)のこと。これは今でも使う言葉で、飲み会の会計で端数が出ると「端っぱは俺が出すから、集めんともいいよ(端数は俺が出すから、集めなくてもいいよ)」という。

はしっぱ

農家を支える日々のなりわい

「斜交い」の転訛、斜めのこと。「ぶっくりがえんねように、はすっけにつっかい(支え)棒しろ(ひっくり返らないように斜めに支え棒をしろ)」と使う。今は「斜め」という標準語が使われ、「はすっけ」は死語となってしまった。

はすっけ

斜交い
農家を支える日々のなりわい

時機、折りの意味。当時でも爺ちゃん婆ちゃん世代が使っていた言葉であった。ただ孫にとっては忘れられない言葉である。ものを頼んでも「次のはりには買ってやっから」と言われれば、「やがて(そのうち)」とともに、諦めざるをえない言葉であった。

はり

農家を支える日々のなりわい

標準語にない、仕事に精を出すという意味があり、「朝っからずいぶん張りごんでんね」という。反対に標準語にある「散財する」という意味でも使う。「パチンコにはりごんちゃったんだと(はまり込んじゃた)」と言うこともしばしば聞いた。プラスでもマイナスにも使う言葉であった。

はりごむ

張り込む
農家を支える日々のなりわい

「固くなる」ことで「ぱっかた」とも言う。冬になって、バケツに汲んで置いた水は「ぱっかちか」に凍っている。濡れ雑巾も「ぱっかた」であった。半纏(はんてん)の袖も、棒鼻を拭いたので「ぱっかちか」になっていた。今、これに代わる言葉は何というか。これ以外の言葉では十分表現できない。

ぱっかちか

農家を支える日々のなりわい

蒲団は「ひく」であった。標準語の「しく」とならず、転訛して「すく」になったり、さらに耳慣れた「引く」という動詞に転訛したのであろうか。蒲団は「ひく」ものだと思っていた。「しく」という動詞は、どういう動作にも使うことがない単語である。

ひく

引く
農家を支える日々のなりわい

「へして」と発音する。「日一日」のことで、一日中の意味。夜は「よっぴてー」である。夏になると、農家では朝草刈りから始まって、日の長い夕方まで、「ひして」働き通しであった。一方で子どもたちは「ひして遊んでばっかりで、勉強しねんだがら」と、一日中遊んでいるとよめごと(世迷い言)される。「ひして」遊んでいて、勉強はしなかったから、町場の人子たちとの学力差は大きかった。それでも豊かな感受性を身に付けることが出来た。

ひして

農家を支える日々のなりわい

標準語には浸すの意味はないが「おひたし」は汁などに浸した料理であることから、「ひたす」が「ひやす」に転訛したとも考えられる。「御飯茶碗水にひやしとけ(浸しておけ)」と言われ、流しのボールに入れておいた。普段に使っていた。

ひたす

農家を支える日々のなりわい

「ひっつぁぐ」とも。「ひき裂く」、あるいは「引き破る」こと。帳面の間違いをゴム消し(消しゴム)で消している時に紙が破けると「ひっつぁぶけっちゃった」という。雑誌をページごと「ひっつぁぶいて」、良く揉んで便所紙にした。子どもの頃は普通に使っていたが、今は全く使わない。

ひっつぁぶく

農家を支える日々のなりわい

『広辞苑』に「片食」は1日2度の食事のうち1回の食事、さらに食事の度数を数える語とあい、いずれも江戸時代の例を掲載している。現在はほとんど死語になっている。八溝では「かたげ」と濁音化している。「今夜はうどんにすっから、朝はひとかたげだけ炊ぐべ」という。婆ちゃんは「今日は二食(にじき)でいいや」と言っていたので、食を「じき」という言い方がまだ残っていた。「二かたげ」とは言わなかったので、二食の内の「ひとかたげ」が問題であったのであろう。

ひとかたぎ

一片食
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「ひとしきり」が「ひとっきり」と促音化されたもので、「しばらくの間」という意味で使うが、その期間の程度はきわめて曖昧である。「ひとっきりは、ずいぶん息ぶいがよがったよ(ひと頃はずいぶん勢いがあったよ)」と、年をまたいでの期間を指す。また、隣の婆ちゃんが「ひっときり」お茶のみ話をして帰るのは、長くても3時間程度である。

ひとっきり

一頻り
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冷たいこと。味噌汁が冷えてしまうと「ひゃっけな」というが、氷に触れば「ちみでー」と言い、「ひゃっけー」とは言わない。風が吹いて気温が下がれば「さみー(寒い)」で、やはり「ひゃっけ」とは言わない。「ひゃけー」と「ちみてー」では、「ちみでー」の方が温度が低い感覚がする。どう使い分けしていたのだろうか。「冷や奴」よりも「かき氷」の方が「ちみでー」感じがする。

ひゃっけ(ひゃっこい)

冷やっけ
農家を支える日々のなりわい

接頭語「ひん」を付けることで、太い針金など、曲げにくい物を力を強く加えて曲げること。竹や木の枝なども、その性質を良く理解して、使い勝手が良いように「ひん曲げる」のは遊びの原点である。一方で、本来曲がっては困るものものが曲がってしまうと、「ひん曲がちゃった」と自動詞として使う。人も環境によってはひんまがった性格になってしまうことがある。

ひんまげる

ひん曲げる
農家を支える日々のなりわい

「ひん」は「引く」の転訛で、意味を強める。今までの方向とは違った方向に向かせる。荷車を方向転換させるには、力を入れて「ひんまーす」ことが必要であった。トラックが村に入り始めた頃は、Uターンを「ひんまーる」と言っていた。荷物を積載すると、ハンドルが重く腰を浮かせながら全身で回していたから「ひんまーす」という言葉がふさわしかった。

ひんまーす

ひん回す
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「むくる」は、はがすの意味であるが、語頭に「ひん」が付けば意味が強くなる。「いつまでも寝でっと布団をひんむぐうちゃぞ」と、起きることを急かされる。人為でなく怪我で皮膚が「ひんむける」こともあるし、風で麦わら屋根が「ふんむける」こともある。「ひん」や「ふん」がさまざまな言葉について用いられた。

ひんむくる

農家を支える日々のなりわい

左右がちぐはぐで、揃っていないこと。広辞苑に「びっこ」は不揃いの意味とある。靴下を左右で色の違うものを取り違えて履けば「びっこたっこ」になる。気がついても1度履いてしまえば、めんど(面倒)くさくて取り替えないのは今も同じで、「ひっくりがえっちょ」や「びっこたっこ」のまま履いていることも珍しくない。

びっこたっこ

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潰れて変形するの意味。広辞苑にも「ひしゃげる」が古い標準語として掲載。接頭語を付けて「おっぴしゃげる」とも言い、より力が加わったことになる。「つぶれる」の転訛した「ちゃぶれる」と同じような意味で使っていたが、家は「ちゃぶれる」ことはあってもが、「ぴしゃげる」とは言わない。壊れる対象が違うのであろうか。

ぴしゃげる

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八溝地方では冬になると那須颪(おろし)に乗って雪が舞うことがる。「ふっかけが来た」という。1月から2月にかけては、「今日もふっかけが来た」といって寒さの厳しさを実感することが多かった。ふっかけが風で舞うばかりでなく、日陰などでは積雪となってしばらく消えないこともあった。2月も末になって木の葉さらいをしていると、南斜面はジジババ(春蘭)が咲いているのに、北斜面は凍てついて吹っ掛けが溜まっていることもあった。

ふっかけ

吹っ掛け
農家を支える日々のなりわい

人や物などを踏みつけること。集会などで「足ふんのぼられっちゃた」と喧嘩になることもある。丸太を切る時に、「動がねよに良ぐふん上っておげ(動かないようによく踏みつけておけ)」と、しっかり動かないように踏みつけておくことにも使った。

ふんのぼる

踏み上る
農家を支える日々のなりわい

「はだかる」は広辞苑にも載り、手足を広げて立つ、前を塞ぐようにして立つなどが記されている。八溝では、接頭語「ふん」が付き、力を入れて立つことの意味である。前を塞ぐという意味は含まれない。力を入れて物を持ち上げたりする時には、足を「ふんばだかる」必要がある。

ふんばだがる

踏みはだかる
農家を支える日々のなりわい

「ふん」は意味を強める接頭語。「むく」は「剥く」の漢字で、表面をはぎ取ること。屋根の麦わらが強風によってはぎ取られてしまったことがある。風が吹くと学校にいても落ち着かず、今でも風には異常に反応するようになってしまった。子どもの頃の「ふんむかれ」た記憶がトラウマになっている。換気口のひゅうという音を聞くだけで、過去が思い出される。

ふんむく

ふん剥く
農家を支える日々のなりわい

どっかりと腰を下ろして座ること。正座の「おしゃんこら」はきちんと座っているから「ぶちかる」と言わない。おしゃんこらすると、「お楽(らぐ)にしとごれ(してください)」と言われる。隣の婆ちゃんが来ると、「ぶちかってお茶(おぢゃ)飲んどこれや」と、小縁(こえん:土間と座敷の間の幅の狭い縁側)に腰掛けてお茶のみをする。二人して若い人たちの讒訴(ざんぞ:かげぐち)を言う。

ぶちかる

農家を支える日々のなりわい

「ぶち込む」ことで、無理に入れたり、投げ入れること。悪さをすると「牢屋にぶっこまれつぉ」と脅された。魚を追い込むために、川に石をぶっ込むこともあった。大人たちには一番の問題は借金のことである。「今年ゃぶっこみになっちゃた」という会話があった。コンニャクの値が悪くて肥料代の元が取れずに、借金になってしまったことの世迷い言である。コンニャク仲買人に、言い値で買われれてしまうことも珍しくなかった。

ぶっこみ

打っ込み
農家を支える日々のなりわい

標準語の、斜めに交差させるという意味ではない。上下や左右を1つずつ交互に入れ替えること。爺ちゃんと寝る時には、頭をそれぞれ反対向きにした。「ぶっちげー」で寝たのである。稲藁なども一掴みずつ株と穂先を「ぶっちがい」にして使い、均等になるようにして、苗床の乾燥を防いだ。

ぶっちげー

打ち違い
農家を支える日々のなりわい

打ち壊すという意味の「ちゃぶす」に接頭語「うち」が付いたもので、力を入れて壊すこと。「鳥めにやるかいこぶっちゃす(ニワトリにやる貝殻を潰す)」ため、石で細かく砕いて餌に混ぜて与えた。丈夫な殻の卵を産む。クルミの堅い殻を割るなど、日常の中で「ぶっちゃす」ことが多かった。

ぶっちゃす

打ち潰す
農家を支える日々のなりわい

破裂させるたり、裂くこと。「スイカ落としてぶっつぁいちゃった」とも言い、「風船膨らがせ過ぎてぶっつぁいちゃった」と使う。さらに、「ころんだはり(機会)に障子ぶっつぁいちゃった」と破くことにも使うが、いずれも勢いよく割れたり破れたりする時に使う。

ぶっつぁぐ

打ち裂く
農家を支える日々のなりわい

「とおす」に接頭語「ぶつ」が付いたもの。様々な場面で使ったが、靴底を「ぶっとーし」て篠の切り株での足裏を怪我したこと、合羽を「ぶっとーし」て冷たい雨がしみ込んでくる時などは特に辛かったからすぐに思い出せる。時間的に「ぶっとーし」やり続けるという時も使ったろうが、頑張ってやっていないので、印象に残っていない。

ぶっとーす

打ち通す
農家を支える日々のなりわい

勢いよく水を抜いたり、穴を開けて突き抜いたりすること。ただ自動詞「ぶん抜ける」は、桶の底が抜けたり堤防や堰が崩壊したりすることになる。人間性に問題があって「ぶんぬけてる」となれば、甚だしく劣っていることになる。反対に「つんぬける」は優れていることである。

ぶんぬく(ぶんぬげる)

打ち抜く
農家を支える日々のなりわい

行商のこと。

ぼてふり

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急須の蓋の持ち手の突起のようなものを「ぼんちゃま」という。葱坊主は「ネギのぼんちゃま」である。いずれも形状が似ていることから、坊主頭からの「坊様」の転訛か。「ぼっちん」とも言っていたが、「藁ぼっち」やうどんのの「ぼっち」と同様、丸く一塊になっているものの形状と同じことからの名前であろう。

ぼんちゃま

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髪を短髪にするように、きれいに刈り取った状態。茶の株を剪定する際も思い切って「ぼんぼうず」にするし、杉を皆伐されると「山がぼんぼーずになった」いう。「ぼん」は盆で丸いこと、さらに「ぼーず」は坊主頭からのイメージか。

ぼんぼーず

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単1の電池を直列にした懐中電燈のこと。棒状の縦長であったから「棒電気」であったろう。懐中電気(電灯)は、提灯や松明と違って、懐に入れられからの命名である。今までは真っ暗な中を「夜目」を利かせ田舎道を歩いていたので、「棒電気」の登場は画期的であった。しかし乾電池の液漏れが多く、気づくと錆が出て、スイッチの接続が悪く、よく故障した。電池が高価だったこともあって、もったいないから慣れた道の近所までの用足しには使わなかった。

ぼーでんき

棒電気
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容器の中の水や穀物などを空にすること。接頭語「ぶん」を付けて「ぶんまける」と、意味を強める。「バケツの雑巾水ぶんまけろ」と言われて、勢いよく庭に捨てる。広辞苑には、讃岐地方の方言として水が溢れることとある。基本的には共通するが、八溝では「溢れる」という意味では使わない。

まける

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30年代、馬頭の町に、今で言うスパーマーケットのような店が進出してきた。「みなかい」である。誰もが買うので「みなかい」という店の名前かと思っていたが、後で近江商人の三中井であることが分かった。江戸時代から、那珂川流域にも醸造業を中心に近江商人が進出していたが、なぜ他町に先駆けて馬頭に出店したのであろうか。この頃から町の商店街にも変化が起き始めていた。谷筋の村落の人口が減り始め、購買力が落ち始めたのである。今の衰退の予兆がすでに見られた。

みなかい

三中井
農家を支える日々のなりわい

八溝の小学4年生にとって「宮」に行くことは特別なことだった。馬頭の町まで国鉄バスで出て、東野バスに乗り換え、氏家から汽車に乗った。鬼怒川の鉄橋を渡る時には、海はもっと広いのかなと川と比較し、雪を被る男体山を遠望して、富士山が見えた、と感動した。澤姫会館で美味しいカレーをたべ、都会の味に驚き、デパートの上野さんの便所に入ったら便器に穴がないので、山にしたまま残して来てしまった。水洗便所を知らなかったのである。エレベータで降りるときは頭に血がすべて集中するようであった。母親は上野さんでは買わず、近くの鈴木呉服店で買い物をした。学校に行って1週間ほど自慢話になった。

みや

農家を支える日々のなりわい

「見つける」の転訛。探して見つけること。かくれっこ(かくれんぼ)でも、誰かを見つけると「めっけ」という。意図的に見つけるのでなく、思わぬ発見も「めっけもん」である。若い世代では使わないが、まだまだ現役である。

めっける

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標準語では「目処が付く」とか「目処が立つ」といって先の見通しが立ったことをいう。また、別の言葉として「針孔」の字を当てて「針穴」としている。子供のころ、老眼になった婆ちゃんの針仕事の「針めど」通しは孫の役目であった。しかし、標準語でいう針の穴だけでなく、鼻孔も「鼻めど」で、気管は「息めど」あって、必ずしも、先が見通せるように貫通しているものを指すとは限らないので、「目処が立つ」ということは、先が見通せるとは限らない。

めど

目処
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「もぎる」は標準語である。柿は、単につまんで取るのでなく、ひねりを加える。劇場のチケットもねじ切るようにするので「もぎる」という。晩秋の蜂屋柿「もぎり」は青い空にダイダイ色に染まった柿を、竹の先の溝に差し込んで落とさないよう、しかも縄に下げるだけの果柄(実と枝を繋ぐもの)を付けて丁寧に「もぎる」。首が痛くなるほど天井面(てんじょっつら)しなくてはならないが、季節を肌で感じられるのは山里に育ったものの特権である。「もぎった」蜂屋柿は皮を剥いて縄に挟み、軒の下に下げた。干し柿の多さはその家のステータスでもあった。

もぎる

農家を支える日々のなりわい

紙などを揉んでぐしゃぐしゃにすること。もじゃもじゃの擬態語と語源は共通している。便所紙は新聞紙を「もじゃぐって」柔らかくして使った。糸がこんがらかってほどけなくなった状態は「もじゃくれる」と言い、語源は同じであろうか。

もじゃくる

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盛り切りの音便で、広辞苑には「器に盛っただけで追加のないこと」とある。御飯も「もっきりいっぱい(盛り切り一杯)」と言えば、お代わり無しである。ただ酒の場合は、「父ちゃん今日はもっきり一杯だよ」と、母ちゃんに言われても、父ちゃんは決まって「もう一杯」という。「もっきり」が盛り切りで、これで終わりという意味から、器いっぱいに注ぎ、目一杯という意味になり、結果として量が増加した。父ちゃんには都合の良い変化である。

もっきり

もりきり
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『広辞苑』には、東日本の言葉として、「やち」は低湿地とある。「ぬがりっ田」とも言った。谷筋の狭い場所に「やぢった」が連なっていた。水が冷たい上に、日照時間も少ないことから収穫量は著しく劣っていたが、それでも米を作りたいという山間の農家の努力によって耕作が継続されてきた。耕作放棄地となって久しく、水田跡とは思えないような藪になっている。

やじった

谷地田
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古語の「避(よ)く」に使役の助動詞を付け、邪魔な所にある物を移動することの意味になった。それがやがて「片付ける」ことの意味に変化した。今でも子ども園では若い先生が、行事で使ったステージの道具類を片付ける時に「よかし」ましょうと声を掛けている。

よかす

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「よこだんぼ」ともいう。立っているものが倒れて横向きになる、人が寝ることもにも使い、「横になる」と同意である。「梯子(はしご)たたで(立て)ておぐ(置く)と危(あぶね)ねがら、横だにしとげ」と他動詞としても使う。「そだに座って居眠りしてねで、蒲団によごだになったらよかんべ(そんない座って居眠りしていないで、蒲団に横になったらいいんじゃない)」と勧められる。

よごだ

横だ
農家を支える日々のなりわい

家などの建物が傾いて、倒壊すること。稲を干すハッテが傾いたり倒れたりすることも「よじゃぶれ」ることである。さらには、重い物を乗せると、下の箱が潰れて傾くのも「よじゃぶれる」である。学校での組み体操もうまくいかないと「よじゃぶれ」てしまう。

よじゃぶれる

農家を支える日々のなりわい

標準語にある、不良のような行動を取ることでない。ふらつくこと、よたよたすること。与太者が体を左右にして歩くことが語源か。八溝では「急に立ったらよたっちゃった(急に立ったらふらついちゃった)」と立ちくらみの時などに使う。地域には不良と言われる「よたっている人」はいなかった。

よたる

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古くは「よひとよ」(夜一夜)といい、やがて「よっぴとい」から「よっぴてー」になり、今は方言のようになって残っている。農家では、煙草の納付の日が決められていたので、なんでかんで朝までには「おやさ」なくてはならなかった。文字どおり「よっぴてー」の仕事となった。親世代の仕事ぶりを見ていたのに、「よっぴてー」根気よく仕事をすることがないままになってしまった。なお、一日中は「ひして」である

よっぴてー

夜っぴてー
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他のものや人のこと。「余の人にわがんねよにしろ(他の人に分からないようにしろ)」と言って、こっそり小遣いをもらうことがあった。「余の食べ物食ってから御飯が食えねんだぞ(別な物食ってるから御飯が食えないのだぞ)」とも使われた。30年頃には普通に使われていた言葉だが、今耳にすると新鮮に聞こえる。

よの

余の
農家を支える日々のなりわい

カミナリのことだが、敬称を付けて「らいさま」という。夏の日照り続きの時に、畑作地にとって夕立が来て、程良く雨を降らせてくれるのは、文字どおり「干天の慈雨」であった。中でも陸稲(おかぶ:標準語は「おかぼ」)は日照りが続くと収穫が期待できないので、手桶に水を入れて一畝ずつ水を掛けた。川がすぐ近くにありながら、段丘面の上にある集落は水が使えなかった。「らいさま」は恐ろしいよりも、歓迎すべきものであった。

らいさま

雷様
農家を支える日々のなりわい

割ること。意図的に割ることは「わっかく」で、間違えて割れると「わっかける」である。「おっかく」ともいう。「御飯茶碗割っかけっちゃった」と使うが、実は自然に割れることがないから、不注意で「割っかく」ことになる。魚捕り用のガラス箱のガラスを「わっかく」と、町のガラス屋まで行かないと直らなかった。割れ目に蝋を塗り込んで修理したが、見にくいうえに、水圧が上がると、再び「わっかけ」てしまった。

わっかく

割っ欠く
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