農家を支 える日々のなりわい
時間の途切れた間のこと。方言ではない。「あいま見てせーふる(据え風呂)ふっ炊けろ」と言われた。子どもは子どもで遊びに熱中し「あいま」がない。つい忘れてばあちゃんに怒られた。合間を見つけて勉強をすればよかったのに、学校の勉強より大事なものが周囲にはたくさんあった。
あいま
合間
農家を支える日々のなりわい
「あさって」は明後日だが、明明後日は「やなさって」、その次は「しやさって」。「しやさって」は「四あさって」のことであろう。「さーさって」もあったが、今もって順序に自信がない。これでは3日後のことは約束できない。今でも混乱している。子どもの頃には「しあさって」は使っていなかったように思う。
あさって:やなさって
明後日
農家を支える日々のなりわい
「あそこ」の転訛。「あすくら辺」とも言った。ただ余所の家を指す際は「あそこんち」と言っていた。八溝方言としての全体的な特徴として、口唇をあまり活動させない傾向からの転訛であろうか。
あすく
農家を支える日々のなりわい
「の」の母音オと朝のアが母音(アイウエオのこと)であるから、連母音(母音が重なる)になり、その結果一字が欠落する。「あすのあさ」が「あすのさ」となるのは音韻上の法則である。日常では言いやすいこと第一であり、八溝では出来るだけ口を開ける「あ」の音は使わない傾向にある。
あすのさ
明日の朝
農家を支える日々のなりわい
人の後ろを追いかけるようにくっついていること。さらに、次々と連続することにも使った。自主性がなく「あどしりいつもくっついているんだから」と、人の後ばかりくっついていている子もいた。連続する意味では、「あどしり3人目が生まれた」とも使い、年子のように3人連続して誕生したことになる。
あどしり
後尻
農家を支える日々のなりわい
後ずさりの意。「しゃる」は敏速に動く感じはないから、ゆっくりと後ろ向きのままに下がる。「座ったまま後ろにずって行くことになる。学校での映画鑑賞の時に、前にばかり凝(こご)ると、「もう少しあどちゃりして広がるように」と指示された。「しゃる」は前後左右にいざること。
あどっちゃり
農家を支える日々のなりわい
後継者の後継ぎではない。一つの布団に互いに反対向いて寝ることをいう。孫と寝ると温かいので、爺ちゃんと「あとっつぎ」で寝ていた。寝相が悪かったので、爺ちゃんの股間に蹴りを入れることもあったようで、翌朝盛んに世迷言をしていた。夜中に尿瓶(しびん)の音がする。朝になって外便所に捨てに行くのは孫の役目であった。
あどっつぎ
後次 ぎ
農家を支える日々のなりわい
歩いての転訛。「バスまで間があっから、あるって帰えっぺ」という。イ段が発音しにくいことからウ段のまま促音化した。イ段はどうしても子どもの頃から聞き慣れないし、発音し慣れていないので、唇を横に開いて舌を曲げるよりも、ウは唇を動かさず、舌もそのままなので発音しやすい。今も変わらない。
あるって
農家を支える日々のなりわい
いい加減の意味であるが、加減が良いという意味では使わない。「何やってもいいからかなんだがら」と、きちんとしていないことを指摘された。県内ばかりか、広く関東一円で使われている。
いいからかん
農家を支える日々のなりわい
数を聞く時の「いくつ」が転訛した。「いぐっつになったんだ」と、年齢を聞かれることもあるし、「いぐっつ欲しいんだ」と個数を聞かれることもある。「いくつ」よりも、八溝の言葉の「いぐっつ」の促音便の方が響きがいい。
いぐっつ
農家を支える日々のなりわい
人数を数えることでなく、一人分という意味である。「今日は昼過ぎ雨だけど、手間は一人だ」と言って、午後はお茶でも飲みながら程良い時間に帰っていく。半日(はんぴ)しか働かなくても、手間は「一人」である。音読みをすることから、他所から入って来た言葉が残っていたものであろう。
いちにん
一人
農家を支える日々のなりわい
何時(いつ)と、日は二日(ふつか)など「か」と読むことから、「何日」が「いっか」と転訛した。時間的には過去にも未来にも使う。「こないだ来たのはいっ日前だったけ」(この前来たのは何日前だっけ)」と質問する。さらに「いっかも待たすんじゃね」(何日も待たすんじゃない)とも言われた。
いっか
いっ日
農家を支える日々のなりわい
載せることや高い所に乗ること。「自転車(じでんしゃ)で土手にいっかちゃった」は、運転を誤って土手に乗り上げたこと。一方「いっける」を他動詞で使うと、「リヤカーに荷物をいっける」という。「いっかる」と「乗っかる」はどう区別したのか判然としない。
いっかる
農家を支える日々のなりわい
凍上すること。八溝地区は中生層の地質であったから、黒のっぽ地域の県央や県北に比べて霜柱が立つことが無く、地面が凍上することは少なかった。それでも、「いであがった」場所が「霜どけ」の時間になるとぬかるので、藁を敷いたり、あらぬかを撒いて、歩きやすくしていた。
いであがる
凍で上がる
農家を支える日々のなりわい
直近の今すぐから、かなり遠い将来まで時間的に幅が広い使い方をする。「いまに見でろ」となれば、近々にでも反撃したい気持ちを表す。親に物をねだった時「いまーに買ってやっから」と言われると、口約束で、半ば諦めることになる。それぞれ自分の都合に合わせて時間を伸縮させた。
いまに
今に
農家を支える日々のなりわい
「うろ」の転訛。樹木の空洞や、浸食によって出来た川の崖の穴も「いろっこ」である。木の「いろっこ」には「ほろすけ(フクロウ)」がいたし、川の「いろっこ」には魚がいた。「いろっこ」に、ミミズを付けた釣り針を入れて根気よく待つと、思わぬことにウナギが掛ったこともあった。中が見えない分、子どもたちを惹きつけた。
いろっこ
洞
農家を支える日々のなりわい
「犬の糞」が転訛したもの。「日の中」が「ひんなか」になるのと同じ。犬を放し飼いにしていたので、どこにでも「いんのくそ(犬の糞)」があった。役立たないものの代表であった。「いんのくそのようだ」と言われれば、本当につまらない人のことである。ただ、どこにもあったから汚いという感じはしなかった。
いんのくそ
犬の糞
農家を支える日々のなりわい
山間では少しでも耕地を確保するため、庭先から直ぐに畑地となっていた。当時の庭は収穫などの「作業場」であって、植木などを植える場所ではなかった。兼業農家であったからだろうか、我が家には、庭と畑の間に「うえきば」があった。樹木だけでなく福寿草などのも植栽されていた。今も観る人もいない庭に季節になると黄色い花を着ける。ただ、鍋磨きなどに必要で植えていた木賊(トクサ)が、植木場いっぱいに繁茂している。
うえきば
植木場
農家を支える日々のなりわい
歌謡曲の歌詞集。特に雑誌『平凡』や『明星』の付録に付いていた小型の冊子。春日八郎がマドロス姿で表紙になったものが今も手元になる。『平凡』も『明星』も廃刊になって久しい。それに伴って歌本も死語になってしまった。
うたぼん
歌本
農家を支える日々のなりわい
裏表の「裏」でなく、先端部分をいう。「先っぺ」ともいう。キュウリの末成(うらな)りは最後のころに先端部分の小さなものをいう。「うら」には先端の意味があり、竹ん棒の先端も「うらっぺ」と言った。「うら」は「家の裏」のように表裏とともに、前後の意味になり、さらに先端にもなった。広い範囲を示す言葉である。
うらっぺ
末っ辺
農家を支える日々のなりわい
上の方。「か」は場所を示す接尾語で、「下っか」、「もごっか」(向こう側)、「こっちか」などに使う。表面という意味で、皮の意味でも使い、饅頭の「餡こ(あんこ)ばかし食って、「うわっか」を捨てることもあった。
うわっか
上っ処
農家を支える日々のなりわい
カートやリヤカーではない。自転車の中でも重い荷物を付けるため、荷台がしっかりしていて、スタンドが頑丈にできているものを言った。魚の行商をする赤松さんの運搬車にはいつも大きな木箱が載っていて、塩水が垂れていたので、赤さびができていた。自転車がどうして「運搬車」と呼ばれたか。自転車が大事な移動手段であったことから、運搬車という名前が山間に入って来たのであろう。
うんぱんしゃ
運搬車
農家を支える日々のなりわい
八溝地区の山村を相手にする谷口町の馬頭は、江戸時代から煙草を中心とする農村の生産物の集積と、農具、荒物、肥料、呉服などを農村に供給する在郷町として栄えた。農村が活気のある時期はそれに応じて商店街も活況を呈し、農産物の収穫期やお盆の行事に合 わせて大売り出しをして、山村の購買意欲を掻き立てた。特に煙草収納期に合わせての12月の大売り出しが一番盛大だった。国鉄バスも夜まで臨時バスを運行した。景品は自転車や演芸大会への招待券、食料品などであった。夏の中元大売り出しでは海水浴招待もあった。しかし、農村が疲弊し始まった40年代になると、町には外部資本のスーパーが進出し、自動車の普及により地元商店街の空洞化が一気に進み、地域の協調失われ、大売り出しの商工祭も規模が小さくなり、一気に過疎化に拍車を掛けた。
おおうりだし
大売り出し
農家を支える日々のなりわい
起きて直ぐにという時間帯である。「むくる」は剥ぎ取ることでだが、「起きむぐれ」とどう繋がったのか。子どもの頃から「おきむぐれ」でも、ぼやぼやしていられなかった。それぞれに役割があって、雑巾掛け、水汲みも小学生の中学年になれば当たり前であった。この習慣は大人になって様々な場面で役立った。中でも、長期の登山などでは、寝起きがいいことがどんなに役立ったか、子どもの頃の習慣である。
おきむぐれ
起きむくれ
農家を支える日々のなりわい
本来、護符は神社やお寺からいただいたお札のことである。神仏に対する敬意から「お」を付けたもので、「お札」よりも遙かに格調の高い言葉である。今は使わない言葉となってしまった。御護符は梁に縄で巻き付け、囲炉裏や風呂の煙で燻して虫に食われないよう保存していた。子どもたちにとっての「おごふ」はお札でなく、祭礼の時に神様に上げた餅のお下がりを指していた。お札から食べ物になっていた。
おごふ
御護符
農家を支える日々のなりわい
夏の乾燥の時期の程良い雨は干天の慈雨であった。畑作地帯では干ばつがあり、作物の立ち枯れも珍しくない。神様をお祀りして、嵐除けを祈願して、程良い夕立を期待した。天候だけでなく、町会議員の選挙になると「お湿り」が必要となり、銀行の支店に500円札がなくなってしまうこともあったと聞いていた。「お湿り」のタイミングが難しく、早すぎても遅すぎても効果がない。これは作物の「お湿り」と同じである。
おしめり
お湿り
農家を支える日々のなりわい
今に言う「おしゃれ」とはニュアンスが違う。きちんとした上品なお洒落(しゃれ)ではなく、周囲とはややマッチしないほど着飾ること。「ずいぶんおしゃらぐして。町(まじ)に行く(いぐ)のがな」という時は、「ちょっと派手すぎるんじゃねの」と言う気持ちが込められている。「おしゃらぐばしで、ろぐにはだらがねんだがら」(お洒落ばかりして、ろくに働かないんだから)と羨望の一方で、非難がましい田舎独特の気持ちがある。婚姻色のタナゴは「おしゃらくぶな」と言われていた。
おしゃらぐ
お洒落
農家を支える日々のなりわい
正座すること。共通語や漢字に当てる字はないが、ちゃんとと同じ「しゃんと」が語源で、丁寧な意を表す「お」が語頭について「おしゃんこら」になったのであろう。正座ということから、かしこまった雰囲気を与えることになる。他所に行って「おしゃんこら」していると、「どうぞ平にしとごんなんしょ」と、足を崩すことを勧められる。子どものころから「おしゃんこら」が苦手で、じゃんぼ(葬式)の時などは、すぐにもじもじして長くは座っていられなかった。
おしゃんこら
農家を支える日々のなりわい
潰すの転訛の「ちゃぶす」に接頭語「おっ」が付いたもので、強く力が作用したことを指す。完全に潰すことで、自動詞では「おっちゃぶれる」と使う。騎馬戦で馬が「おっちゃぶれ」れば負け。相手の強力な圧力によって押しつぶされたのである。
おっちゃぶす
農家を支える日々のなりわい
押し折るか。「ぶっちょる」とも言った。薪などを膝をテコにして半分にするのは文字どおり「おっちょる」ことだが、鉛筆の芯も「おっちょれ」てしまうことが多かった。今は標準語の「おれる」と言っているのが、ずいぶんニュアンスが違う。
おっちょる
農家を支える日々のなりわい
行き止まりのこと。集落が終わりになり、道が切れる所が「おっとまり」である。車が普及していなかったから、「おっとまり」の道が多かった。当地区は周囲を山に囲まれていたから、「おっとまり」の道が多く、他所の地区へ「つん 抜ける」道は少なかった。そのことが独特の地域風土を醸成したのであろう。
おっとまり
農家を支える日々のなりわい
接頭語「お」が付いたので、意味が強まる。集落のなかで一番最後の家のある場所を指した。大体は、川の崖や山際の場所であった。さらに、外れるということの意味で、自転車のチェーンが「おっぱずれる」と使った。勢いよく外れる状態である。手から物が外れて落とすときも「おっぱずれ」たという。
おっぱずれ
おっ外れ
農家を支える日々のなりわい
「放り出す」に接頭語「お」をつけたので「おっぽりだす」となった。勢いよく外に投げ出すこと。 「いづまでも騒いでっと、おっぽりだすぞ(いつまでも騒いでいると、外に放り出すぞ)」と、先生に叱られる。家でも何度か「おっぽり出され」たが、なんちゃない(いっこうに構わない)。逆に家族が探す羽目になったこともある。
おっぽりだす
農家を支える日々のなりわい
子守りのこと。畑作は、時期を外せば「節っ外れ」となり収穫にも大きく影響する。一家総出の農作業となり、子供の数も多かったので、小学生の上級学年ともなれば、弟や妹の「おともり」は当たり前であった。自分自身が遊びたい盛りなのに弟妹を負んぶしていては自由に遊べないし、勉強どころではなかった。今思えばそんな同級生たちへの配慮がなかったように思う。
おどもり
乙守
農家を支える日々のなりわい
高度経済成長が始まる前の、昭和30年代半ばまでは、タバコやコンニャクを中心とする農業も盛んで、女性の中には中学を卒業してそのまま家に残り、家業の手伝いをし、年頃になると農家に嫁ぐ人も多かった。その女性たちが冬の農閑期になると、村の和裁の上手な人の所に通って嫁入りの準備にをした。この女性に敬称を付けて「おはりっこさん」と言っていた。普段と違ってこぎれいにして通う嫁入り前の女性は、子供たちにとってもまぶしく感じられた。しかし、高度成長とともに都市部に就職する人たちが増え、進学率も高くなり、洋裁学校や高校の家庭科に進学するようになり、それとともに「おはりっこさん」の姿は消えた。
おはりっこ
お針っ子
農家を支える日々のなりわい
稲妻のこと。接頭語を付けることで敬意を表している。畑作地帯では夏の夕立は欠かせないものであった。中でも、稲妻は豊作をもたらすもので「稲荷」として信仰の対象にもなった。雷鳴がなり、稲妻が走ると、土煙を立てて乾いた地面を叩き付ける雷雨がやってくる。土と草が混じった甘い匂いがした。雨宿りをしながら稲光(いなびか)りを見ているのが好きで、それは今も変わらない。
おひかり
お光り
農家を支える日々のなりわい
お手玉のこと。小豆を詰めた布の玉を2つ、さらには3つを投げ上げて右左に持ち変える女の子遊びであった。今で言うジャグリングで、野球ではジャッグルすると「お手玉」という。2つ3つ使うのになぜ「おひとつ」と言うのであろうか。
おひとつ
農家を支える日々のなりわい
新聞を取っている世帯は少なかったから、村には新聞販売店がなかった。新聞は昼近い時間に郵便と一緒に配達された。新聞は封筒の大きさに折られ、真ん中に茶色の帯封が巻かれていた。我が家は村で数少ない帯封で配達される中央紙購読者であった。石川達三の連載小説『人間の壁』の主人公が父親と同じ仕事であったからであろうか、夜になるといつも暗い表情で読んでいた。中学生であった私は、父親が帰宅する前に読んで、父親の気持ちが少しは分かった。親と同じ仕事に就いて、父親の苦悩が現実となった。
おびふう
帯封
農家を支える日々のなりわい
背負うことだが、荷物には使わないで、ゆつこび(負んぶ紐)で子どもを背負う時にだけに使う。今の若いお母さんは抱っこ紐を使っているが、両手を使って仕事をする人たちにとって、どうしても背負うことが必要であった。小学校の4年生くらいになると、奉公先の子どもを背負って登校する同級生もいた。戦後の八溝の山間地には「五木の子守歌」の世界と通じるものがあった。
おぶー
負ぶう
農家を支える日々のなりわい
自然に対する畏敬から、「お天道様」「お月様」などとともに、星も「おほっしゃま」と敬意を持って呼ばれる。地区によっては星宮(ほしのみや)神社をお祀りしている所もある。「おほしさま」が転訛して「おほっさま」となり、さらに「おほっしゃま」となった。豊かな夜空の星に恵まれ過ぎて、当たり前と思っていたので、星座や星の名前を覚えることがなかった。教えてくれる人もいなかった。
おほっしゃま
お星様
農家を支える日々のなりわい
仕事などを終わりにすること、さらには体や道具を壊してしまったりすることにも使う。「はやぐおやすべ(早く終わりにしよう)」と仕事をせかせる。「仕事しすぎて体おやしちゃった」となれば、体を壊したことになり、「エンジンおやしちゃった」となれば、エンジンをだめにすることである。もっと深刻なのは「 遊んでばがしで(ばかりで)身上(しんしょう)おやしちゃった」と言うことは、賭け事などで財産をなくしてしまったことになる。「終わりにする」ことの幅は広い。便利な言葉であった。
おやす
農家を支える日々のなりわい
終わりにする。終わるは自動詞で、自然に終わりになることだが、「おわす」は他動詞で目的語が入る。「終わりにする」よりも、「終わす」の方が言葉が単純で、「早ぐ仕事おわすべ」と急かされると本気になる。
おわす
農家を支える日々のなりわい
力を入れて外に出すこと。蒲団を押し入れから「おん出し」たり、納屋に込んであった穀物も時には「おん出し」て乾燥した。家畜や穀物ならばいいが、人に使う時には穏やかでない。「嫁おん出しちゃった」となれば、嫁を離縁して実家に返すことで、夫婦の意志というよりも、働きが悪いとか親とそりが合わないため、無理に離縁させたということでになる。
おんだす
押し出す
農家を支える日々のなりわい
街道のこと。中でも集落を貫通する県道を「おーがん」と呼んでいた。意味は分からなかったが、家の前を通る道とは違って、バスも通る幹線道路であることは理解できた。砂利と言うよりも玉石が敷かれていて、自転車の時は良い場所を選びながらの通行であった。昭和40年代になって学校前だけ100mほど舗装され、横断歩道のゼブラのマーク引かれた。町場に行って困らないように、交通指導をするためのものだったという。「おうがん」と言っている時代は、まだまだ交通量の少ない時代だった。その内県道と言うようになった。
おーがん
往還
農家を支える日々のなりわい
大雨で川や沢が氾濫し、いつもと違った流路を流れ、堤防乗り越えると「おうかんまーし」になる。「回わす」は向きを変えることに使から、川筋が変わることを指すのであろう。水が引くと、水溜まりに取り残され魚を手掴みすることが出来た。堤防が不十分な時期には竹の蛇籠がぶっ切れて「おーがんまーし」が起きた。今は、ブロックによる護岸工事で、「おうかんまーし」はなくなったが、川は堀割りのようになり直線化し、魚も住めなくなり、情緒がなくなってしまった。川遊びをする子どもの姿もなくなった。
おーがんまーし
大川回し
農家を支える日々のなりわい
カギを掛けることで、方言ではないが、今は使われない言葉になった。錠前を掛けることも含むが、多くは支え(つっかえ)棒をして戸が開かないようにすることに使った。「ヤギ小屋のとんぼ(戸)にカギ支って来」と言われれば、ヤギが逃げ出さないように戸に横棒を渡す。厳重にカギを掛ける時には「固める」で「倉固めて来や」言われた。
かう
支う
農家を支える日々のなりわい
「今日は風っ吹きで寒みねー」と挨拶する。冬場は那須颪(おろし)が谷筋に吹き込んでくるから、川風の寒さは格別であった。藁屋根の一部が「ふんむける(吹き剥ける:かぜでめくれる)」こともあった。生け虎落(もがり)だけでは風を防げなかったので、冬場は家の北側に軒の高さまで藁の囲いの風除けを作った。子どもの経験から、さまざまな自然現象の中で少しのことでは驚かないのに、「風っ吹き」には敏感に反応するようになってしまった。
かぜっぷき
風っ吹き
農家を支える日々のなりわい
片付けること。「かたす」には移動するの意味があるから、動かして片付けることの意味になったと思われる。特に使った道具などの後片付けにの時に使った言葉である。衣服などの整理には言わなかった。「かたす」ことは全く得意でなく、使いっぱなしで人に迷惑ををかける習慣が今もそのままである。
かたす
農家を支える日々のなりわい
片側のこと。「片」は促音化され、片一方が「かでっぽ」となると同じである。アンバランスな状態を指す。背負梯子(しょいばしご)は真ん中に積まないと「かだっつら」が重くなって因果みる(辛い思い)ことになる。
かたっつら
片っ面
農家を支える日々のなりわい
二つの中で片一方のこと。何事にもきちんとしていなかったから、手袋の「かでっぽ」をどこかにしてしまうのは日常的であった。「なんだ今日もが」と叱られる。育ちのせいで、今も靴下の「かでっぽ」がどこかに行ってしまうことが多い。
かでっぽ
片一方
農家を支える日々のなりわい
『広辞苑』には、福島や茨城でも使われている言葉として、「物忌みの日。部落が共同で農作業を休む日」とある。農村では、横並びの意識が強く、1軒だけ農事を休むのは気が引ける。集落全体で農事を休む日を決めておけば気が引けず休むことが出来る。神社からもらう神宮暦には忌日がたくさん記されている。また、集落独自の祭日もあり、時には「雨っ降り神事」もあった。神様のせいにすれば、抜け駆けは出来ない。今は他人お休みには関心がない。
かみごと
神事
農家を支える日々のなりわい
無一文のことで、標準語である。「空」は何もないことで、「からっつね(空脛)」などの接頭語として使われる。「けつ」にはビリの意味があり、さらに「けつの穴が小さい」となれば小心でけちなことを指す。しかし、「何もない尻」が無一文の意味になるのはどうしてか。子どものころは誰もが「からっけつ」だったが、お金を使う場所もなかった。みんな平等に貧乏な時代は、かえって良かったのかも知れない。
からっけつ
空っけつ
農家を支える日々のなりわい
雨が降らない雷のこと。県内の平野部ほどではないが、「八溝雷」の発雷が多かった。煙草農家などは空を見ながらの農作業であった。雷雨は時として乾燥していた畑地を潤す慈雨でもあった。ただ、「空雷様」は、お湿りにもならず、「 空雷様は落っこちるから」と恐れら、金属の農具を持つ作業などは早めに切り上げた。
かららいさま
空雷様
農家を支える日々のなりわい
代金を払ったりでなく、数を数えること使う。「いぐっつあるがかんじょうしとげ(いくつあるかかぞえておけ)」と言われる。勘定という江戸言葉が、金銭出納の 勘定の意味でなく、数を数えるという面だけに使われるのはどうしであろう。日常的に金の出し入れをしない村の生活からであろうか。買い物も年に1回の煙草の納付払いにしていた。ずいぶん割高な買い物をしていたのである。利子などを「勘定」していなかったのである。
かんじょ
勘定
農家を支える日々のなりわい
人の皮膚、果物の皮などを含む。語源は「皮」に、場所を指す「辺」が付いたもので、表面のこと。怪我して膝の「かーべ」が剥けてしまうこともあるし、夜なべをして、干し柿を作るため、蜂屋柿の「かーべ」剥きもした。和紙の原料となる楮(こうぞ)の皮は「表皮(ひょうひ)取り」と言っていた。業界用語であったろう。
かーべ
皮

農家を支える日々のなりわい
ポンプの操作音からの通称で、正式名は「○○式手押しポンプ」というのであろう。30年代には村内にも、鍛冶屋から転業したポンプ屋が出来た。新生活運動により、婦人会を中心にしてポンプの導入が進められ、一気に普及した。ポンプは時々弁が故障して空気が漏れ、上から薬缶(やかん)で水を入れ、バルブを湿らせ何度か小刻みに上下させて復活させた。その後直ぐに高性能のポンプが出現し、さらにモーターのポンプに代り、「がっちゃんポンプ」は姿を消した。町の水道が布設されてからは井戸は顧みられず、我が家には動かなくなったモーターとがっちゃんポンプが放置されている。
がっちゃんぽんぷ
がっちゃんポンプ

農家を支える日々のなりわい
「がところ」の転訛。助詞「が」は数を表す言葉に付いて分量を表し、さらに値段の範囲を示す。「100円がとおごれ」と、難しい漢字の「寶」と書いてある焼酎の量り売りを買ってくる。店では量り売りや個包装されていないばら売りが多かったから、「がと」を使うことが多かった。
がと
農家を支える日々のなりわい
バスの車庫。婆ちゃんは国鉄バスを「しょうゆバス」と言っていた。鉄道省のバスの名残がまだ戦後も使われていた。馬頭の町まで行く時に、終点の「がれじ」で降りた。小学生で、「がれじ」が英語であることは全く意識していなかったが、婆ちゃん世代もバスの終点が「がれじ」であって、英語だとは思っ ていなかった。バスという新しい交通手段と新しい言葉が一般に普及したのであろう。その後、何でも英語表現にする風潮の中で、停留所は「馬頭車庫前」になったのはどうしてだろうか。
がれじ
ガレージ
農家を支える日々のなりわい
岩盤ば露出しているところ。また露出している岩盤。我が家は、浸 食された段丘上にあったから、地面を掘ると直ぐ「岩」に突き当たった。杭を打つのも一苦労で、鉄ん棒で穴を掘ってから打ち込んだ。大人たちが話していた「がん」という響きが今も残っている。
がん
岩
農家を支える日々のなりわい
標準語である。煙管(きせる)の頭の形が雁の首に似ていることか らの命名。爺ちゃんが刻み煙草「みのり」を吸っていたので、雁首の火皿に詰めて囲炉裏の燠(おき)を火箸に挟んで火を着ける。吸い終わると囲炉裏の炉縁(ろぶち:お茶道具ではない)に雁首を叩き付け、灰を落とす。時々煙管に溜まった脂(やに)を取るのが孫の仕事であった。細い藁を吸い口から雁首に通して擦り取る。煙草を吸う爺ちゃんを見ていて、大人になっても煙草は吸わないようにしようと思って、ずっと吸わないで済んだ。
がんくび
雁首
農家を支える日々のなりわい
「きのう」の転訛。本来八溝の言葉では「や・ゆ・よ」の拗音が発音しないことが多いのに、この語は反対に拗音が付いて発音される。子どもの頃にも、すでに年寄りが使っていた言葉であった。
きぎょう
昨日
農家を支える日々のなりわい
標準語で、広辞苑には、着物を着たまま仮寝することとある。農繁期の初夏を迎えると、農作業の時間も長くなり、重労働も増える。そんな時期に、大人たちは食後に、NHKの「昼の憩い」を聞きながら、小半時(30分ほど)「きどころね」をする。機械化される前の農業は重労働であった。子どもも、遊びすぎて、晩ご飯までに囲炉裏の近くで「きどころね」をしてしまう。
きどころね
農家を支える日々のなりわい
カ行変活活用の未然形「こない」が「きない」となり、「きね(−)」となった。最近でこそは「来たげ(きたかな)」と聞かれて「来(こ)ねー」という言い方が多くなった。ただ、大人の多くは「まだきねー」と言っている。その内、八溝の言葉も標準語ふうに統一され「こない」となるか、一方で、一語しかないカ行変格活用が八溝地域のような活用に変化していく先駆けなのか。
きねー
来ない
農家を支える日々のなりわい
黄色の転。黄色が「kiiro」と母音が続くことから、音韻変化がおきやすく、「きゅうろ」になった。中学生までの母国語が八溝語であったため、高校生入学後に改めて「日本語」を聞くことになったが、もはや手遅れで、無理をして意識的に話そうとすると混乱が起きた。今になると、豊かな自然体験に裏打ちされた言葉を獲得したことは、学力などには代え難い財産となった。
きゅうろ
農家を支える日々のなりわい
方言ではない。今でも和菓子を包むものとして用いられている。桧を薄く削り、紙状にしたもの。もとは紙の代わりにお経を書いたことからの名前である。材料が杉材であったことから安く出来たこともあって、包装紙の代わりになっていた。紙が手に入らない時代、赤飯などを近所に分ける時に普通に使っていた。今は高級和菓子の包みになっている。
きょうぎ
経木
農家を支える日々のなりわい
「きょうび」は、「今日」に日を重ねたもので、広辞苑にもある。今日そのものよりも「近頃」の意で、より長いスパンになる。年寄りは、「きょうびの若いてい(者)は夜遊びばし(ばかり)して」と言って、夜なべ仕事をしないことに対して世迷い言をしていた。いつの時代でも年配者の「きょうび」の若者への世迷い言は同じである。
きょうび
今日日
農家を支える日々のなりわい
しゃべることに強意の接頭語が付いたもので、饒舌であることへの非難が込められた言葉である。「いつまでもくっちゃべってねーで、ごっごと仕事やれ(いつまでもしゃべってないで、さっさと仕事やれ)」と急かされた。広く使われていたが、世代が代わって使われなくなった言葉である。
くっちゃべる
農家を支える日々のなりわい
「与えること」の意味広く使われた。池に鯉がいたので、「餌呉れ」たし、馬にも餌を呉れた。また、「肥料くれっか」と言って追肥をした。さらに「じでんし ゃ(自転車)のチェーンに油くれっか」と、発動機か ら抜いた廃油を「くれ」てやった。
くれる
農家を支える日々のなりわい
泥濘(ぬかるみ)のこと。「ぐじゃぐじゃ」なという状態に、小さいという意味の接尾語「こ」が付いたもの。舗装が全く無かった時代には雨が降れば、至る所に水溜まりができた。学校帰りにはゴム草履でわざわざぐじゃこ入った。八溝の地質が砂礫であったので、ぬかるみに足を取られるようなことはなかったし、家に上がるときは、汚れた足を反対側のズボンの裾で拭けばそれで済んだ。
ぐじゃっこ
農家を支える日々のなりわい
「ぐるっと」の転訛であろう。遊びの際、地面に円を「ぐりっと」と一周書くことになる。順番も「ぐりっと」一回りして戻ってくる。稻藁を縄で縛るのも「ぐりっと」し一回りして縛ることになる。
ぐりっと
農家を支える日々のなりわい
「煮凝り」のように凝固することであるが、八溝では、凝固する程でなく、1か所に集まっていることにも使う。「ふかんぼにざごめ(深みに雑魚)がこごっているぞ(あつまっているぞ)」と言って石をぶん投げて浅瀬に追い立てる。体育の時に、先生に「ほら、そごんとここごっていねで(そこのところ固まっていないで)」と声が掛った。普通に使っていた言葉である。
こごる
凝る
農家を支える日々のなりわい
「拵える」の転訛。工作物だけでなく広汎な意味で作り上げることに使われる。料理も「こしゃう」し、借金も「こしゃう」という。子どもたちも、日常の遊びの中で様々なものを「こしゃえた」。そのことが大人になって大いに役立った。
こしゃえる(こしゃう)
農家を支える日々のなりわい
粉砕したり潰(つぶ)したりすることすること。ニワトリの餌に貝殻を「こじゃし」て混ぜて、固い殻の卵を産ませた。煮た小豆を「こじゃし」てあんこを作った。最近の「こじゃれた」とう語と基本的に通じているのではないかと思う。固いところがなく、年齢不相応に気の付くことやお洒落をしていることで、時にはマイナスの評価にもなる。
こじゃす
農家を支える日々のなりわい
「おおさむこさむ(大寒:小寒)」と歌われる童謡の歌詞にある「小寒」はどういう意味か。冬の早朝の寒さは「こっつぁむい」とは言わない。本格的に寒いから「さみー」である。日中になっても日が照らず寒い時には「こっつぁむい」のである。接頭語「こ」には、「それとなく」という意味があり、「おおさみー」に対して「こっつぁみー」がある のであろう。
こっつぁむい
こっ寒い
農家を支える日々のなりわい
「こよみ」が「こゆみ」と転訛した。銀行からもらうカレンダーは1枚に12か月分印刷されているものであり、お店からもらう暦(こゆみ)は1か月1枚のもので、旧暦はもちろん六曜の仏滅などの他に、農事についての諸行事も記載 されているものである。この他に神宮暦やお寺からの冊子もあった。商店名の入った「こゆみ」は、来客から見える鴨居に並べて吊した。暦の数はお付き合いしているお店の数であり、社会的なステータスとも言えたから、来客に見えるところに掛けた。
こゆみ
暦
農家を支える日々のなりわい
単に転ぶ ことでなく、予期せぬ時に転んだり、自然に転げている時に使う。「ころばす」は他動詞で、丸太を転ばすなどという標準語である。「じでんしゃ(自転車)で転ばちゃった」は「転んじゃった」よりも偶発性が高く、ひどく転んだ感じがする。
ころばる
農家を支える日々のなりわい
今度の転。「こんだ、まだしたら勘弁しねがら」と叱られる。「この次」の意味である。また、「こんだ来た先生は、東京の学校出だんだと」と、村中が話題にするのは「このたび」の意味である。「こんだ」にも、時間の差がある。
こんだ
今度
農家を支える日々のなりわい
「ここのところ」 の意味。「切り」は「これっきり」などのように限定する感覚はなく、長い時間のスパーンである。「こんどっきり具合(ぐわぇー)悪(わ)りんだよ」と、ここしばらく体調が良くないことを表現している。比較的緩やかな時間である。
こんどっきり
今度切り
農家を支える日々のなりわい
銭の単位は 株の取引情報で聞くことがある。20年代の小学校低学年の時には楠木正成が馬に乗っていた5銭紙幣が通用していた。爺ちゃんに、稲穂が印刷された紙袋に入った刻み煙草の「みのり」を買ってくるように言われて、1キロほど離れた店(たな)まで行くのが日課であった。時には、駄賃として森永のキャラメルを買うことが出来た。「みのり」は5銭札が使われたのだから、それ程高くはなかったであろう。小学校卒業とともに五銭札が通用しなくなってしまった。
ごせん
五銭
農家を支える日々のなりわい
つららのこと。雪解けの翌日の軒には「さがんぼ」が軒いっぱいぶら下がっていた。雨樋(あまどい)がない上に、藁屋根は水を含み易く、少しずつ流れ落ちるから「さがんぼ」のできる条件が揃っていた。今よりも気温が低かったこともあり、「さがんぼ」を目にする機会があった。
さがんぼ
下ん棒
農家を 支える日々のなりわい
棒などの先端部。「ぺ」は辺の転訛したものか。鉛筆の芯の先端も「先っぺおっかけっちゃった(鉛筆の先端が折れてしまった)」と言って、肥後守(ひごのかみ)という小刀で削り直す。「尻っぺじ」の反対。「さぎっちょ」、あるいは「さぎっぽ」ともいう。
さきっぺ