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36 困った生き物たち

今では教室に蝿が1匹いるだけで騒ぎになりますが、子どもの頃は蝿や蚊がいるのが日常でした。網戸などない時代でしたから、家の中を虫が飛び回ってまました。
『はいめ』 ハエでなくハイで、接尾語の「め」が付きました。母屋には馬屋があり、馬は家族同様の生活をしていましたから、夏になると糞尿の臭いとともに家中ハイメだらけになりました。ガラス製のハイ取り瓶や山で採ってきた毒性のあるキノコのハイトリシメジ、天井からぶら下げたハイトリリボンなどで対応しましたが、ハイメの発生には追いつきません。しろ(シュロ:棕櫚)の葉で出来た蠅叩きは必需品でした。食品は通気性のある「蝿帳(はいちょう)」に入れて防衛します。蝿帳には木の枠で扉が付いたものの他に、パラソル風のものもありました。馬がいなくなり、フマキラーの噴霧器型の殺虫剤が普及し、ハイメは急激にいなくなりました。蝿は「はえ」が標準語ですが、商品にも「はい取りリボン」がありますから、八溝の「はいめ」もあながち方言とは言えないでしょう。
『かんかんめ』 単に「かんめ」ともいいますが、その羽音から「かんかん」となり接尾語「め」がついたものです。家の後ろが竹藪でから日中はヤブ蚊が侵入し、日が暮れるとイエ蚊が襲来します。囲炉裏に生の杉の葉をくべて燻(いぶ)したので、家中が煙りだらけになり、涙を流しながらんの夕飯でした。夜は大きな青蚊帳の中に固まって寝ました。日本脳炎への不安がある時代でしたから、地域挙げて下水の改良や薬剤散布などによる蚊の撲滅運動が起こりました。やがてキンチョウ渦巻き蚊取り線香が普及して、蚊燻しが不要になりました。
『あぶ』 川筋などで羽化しますから、夏の川では追い払うのは無理なほど虻の大群に遭遇することがあります。馬がいたので、家の中にも虻の羽音が聞こえました。飛翔速度が速いので、気づいて叩きつぶしてた時はすでに手遅れ、噛まれた跡が地腫れし、しばらく苦しみます。
『ぶゆ』 ブヨのこと。子どもたちの川遊びには大敵です。川に入る前にモチグサ(ヨモギ)の葉っぱを揉んで体に擦り付けます。防虫効果がありました。草むしりをする婆ちゃんはボロ布を編んだ紐に火を着けて燻しながら作業をしていました。ブヨは小さいながら噛まれると虻や蚊よりもかゆみが強く、事後の治りも遅く、時には化膿することもありました。
『びる』 ヒルの転訛で濁音化しました。八溝にはヤマビルはいませんでしたが、田んぼの中には血吸蛭(ちすいびる)がいました。裸足で農作業をしていましたから、ヒルに噛まれて、気がつくと血が滲んでいました。今は農薬の散布などでビルに噛まれた話は聞きませんが、一方でイノシシなど害獣の増加により、各地で山ヒルの発生が問題になっています。
『くちはび』 マムシは古く「くちばみ」と言っていましたが、八溝では古い言葉が転訛して「くちはび」となって残りました。口で食む(はむ:くいつく)ことからの命名です。血清がありませんでしたから、夏の山仕事で命を落とした人もいます。冬は沢筋の石垣などで越冬して、夏は冷涼な尾根筋に移動しますから、下草刈りの頃が一番危険でした。捕まえて焼酎漬けにもし、皮を剥いて串に刺し、囲炉裏で焼いて食べました。

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