35 八溝の敬語
八溝の言葉は敬語が未発達と言われています。山間の限られた地域では身分の上下が少なく、外部から未知の人の来訪も多くありませんでした。商人と客という関係も未発達で、顔見知りの人たちの付き合いですから、地位を意識した敬語は不要です。それでも年寄りたちの会話の中には随所で敬語が使われ、その中には、遊里で使われていた言葉が転訛したものや、経済活動をとおして江戸から入って来た敬語もあります。昭和30年前後の八溝の爺ちゃん婆ちゃんが使っていた敬語は、江戸時代の敬語の雰囲気が残っていました。
『おごれ』 「くれ」に尊敬の接頭語「お」がついて「ください」の意味で広く使われています。友だち同士では「おんにもくいよ(俺にもくれよ)」と普通体を使いますが、お店では「これおごれ」と敬語を使い、親に物をねだる時は「おんにもおごれ(俺にもください)」と言いました。さらに年寄りたちは、敬意を高まるために「なんしょ」を付けて「おごんなんしょ」と二重敬語的に使いました。「おごれ」は普通に使っていたので、宇都宮の職場でも物を頼むときに「しとごれや(してください)」と自然に口に出てきます。
『がんす』 「ござんす」が転訛したもので、敬意の程度は低いと思われます。映画では、ヤクザが賭場で「よがんすか」と言ってサイコロを振ります。年寄り達は、病気が治ったときなどに「そりゃよがんしたね(それはようございましたね)」と祝意を伝えました。
『なんしょ』 『広辞苑』には「江戸言葉で、他の動詞について尊敬を表す」とあります。来客があれば「おはいんなんしょ(お入りなさい)」と勧め、「おあがんなんしょ(召し上がりなさい)」とお茶を入れます。茶飲み話が終わると「ほんじゃお稼ぎなんしょ」と言って別れの挨拶をしました。それに対して「まだ来とごんなんしょよ(また来てくださいよ)」と応じます。県内だけでなく広い地域で使われていました。
『しゃす』 「します」が転訛したもので、依頼する時は「おだのみしゃす(お頼みします)」と言います。さらに敬意を高めるため「申す」が転訛した「も」が付き、他所の庭先を通る時は「おかりもしゃす(お借り申します)」と挨拶しました。
『はりゃすな』 頑張ることの意味の「張る」に禁止の「するな」が付いたもので、「張りなさるな」の転訛と思われます。柔らかく断る際に「おがめーはりゃすな(お構いなさらないで)」といって一応遠慮します。それに対して「なんでなんで、お辞儀しねでおわげよ(どうしてそうして遠慮しないでお上がりください)」と勧めます。
『やんす』 「です」や「ます」の働きをする丁寧語。「まーずまーず困りやんした」と嘆けば、「そりゃ、ほんとに困りやんしたね」と同情する。爺ちゃんも使う敬語でした。
『ござんす』 映画の中で三度笠を被った渡世人がよく使っていました。もともと遊里で使われた「ござります」が転訛したものです。「ようござんした(結構なことでした)ね」と使います。常会などの時には組内の人でも敬語を使い「こんなことでよがんすか」と同意を得ます。