28 感情:感覚表現 その2
日ごろ何気なく使っていた感情を表す言葉には様々な由来があり、思わぬ発見があります。感情を表す言葉は肌身に沁みていましたから、今でもよく覚えています。
『ずずねー』 「術ない」の転訛、『広辞苑』にも「仕方がない」とか「辛い」という意味が載っています。八溝では「気分が不快である」という時に使い、雨に濡れて着衣が「しとっぽく(湿れ気を持つ)」なると、背中辺りが不快に感じ、「ずずね」と言います。雨で靴が濡れた時にも「ずずねー」感じがしました。今は不快な感覚を除去するあまり、子どもたちは「ずずね」を体験しないで成長しますが、生きるうえで大切な感覚です。
『のがっぽい 』 芒(のぎ:禾とも書く)が転訛した「のが」に、飽きっぽいなどと同じ接尾語「ぽい」がついたものです。子どもの頃は、藁ぼっちで遊んだり、稲こきを手伝った後に背中がちくちく「のがっぽい」経験をしばしばしました。稲刈りをして「はって(稲架:はざ)」掛けにし、乾燥後に足踏み脱穀機で脱穀をし、さらに唐箕で選別をしました。この作業で芒が首筋から入り、ちくちくし「のがっぽく」なりました。今はコンバインでの稲刈りですから「のがっぽい」思いをすることはありません。
『いしけ』 「いしこい」ともいいます。「いし」は古くから使われている「美し(いし)」という言葉に接頭語「お」がつき、「おいしい」となる言葉と語源が同じです。主に宮中の女官が使っていた「女房言葉」と言われる由緒ある言葉でしたが、八溝方面には負の感情の方に偏った意味で伝わり、「いしけ」は品質が悪いことや気に入らないことに使います。使用されている範囲は、那珂川の東から茨城県北部など比較的狭い地域です。
『かっつける』「被ける」の転訛で、押しつけるとか人のせいにする意味です。「かっつける」よりも「かっつけられた」と受け身で使うことが多かったのは、人のせいにしていたことが多かったという性格上の問題からでしょう。親に𠮟られた時に言い訳をしていると「友だちにかっつけるんじゃねー」と叱られました。「かっつけ」てばかりなのに、「かっつけられ」たという意識になるのは今も同じです。
『かっぺなす』 貶すに強調の接頭語「かっ」が付いたもので、より意味を強めています。人の悪口を言い、おとしめることの意味です。受け身で使うことが多く「かっぺなされっちゃった」と被害者意識を持って使いました。何かにつけすぐに感情的になっていた年頃でもあったからでしょう、しばしば使っていた言葉でした。
『ひゃーもしね』 「百もしない」の転訛で、つまらないものの意味です。「そだに頑張ったがらってひゃーもしね(そんなに頑張たって仕方がないよ)」と言って勉強しない言い訳をしたり、「あのやろ(野郎)ひゃーもしね」と言って虚勢を張りました。
『むすぐって』くすぐったいの転訛で、脇の下を触られると「むすぐって」と言いました。親しいもの同士で「むすぐりっこ」をし、度が過ぎて喧嘩になることもありました。