
21 懐かしい海の食べ物

町には鮮魚店がありましたが、村では自転車で行商の魚屋さんが来るだけで、新鮮な魚とは縁が薄く、保存の利く干物か塩がたっぷり振られた魚が中心でした。そのためか、刺身など鮮魚へのこだわりは異常に強く、今でも刺身は最高の御馳走です。
『鰊味噌』 干していない鰊は「かど」で、カチカチに干されたものが「ニシン」です。ニシンは田植えの際にワラビやタケノコと一緒に煮付け、「結い」をした人たちと田の畔(くろ)で食べる小昼飯(こじはん)の定番です。食べ慣れたワラビなどは除けて、ニシンだけを拾い食いをしました。米の磨ぎ汁に浸してアクを抜き、油で炒めて味噌を絡め、砂糖を加えればオヤツにもなりました。
『いがめ』スルメとイカの区別はなく、すべて「いがめ」でした。塩の振られたイカを行商から買いましたが、スルメほどでではないにしても生イカにはほど遠いものでした。イカとスルメの区別は学生になって知りました。八溝の少年はスルメを知らなかったのです。
『ねこまたぎ』 地方によって意味が異なり、関西方面では、あまりのうまさに骨だけが残ることが語源だと言い、別な地域では、旬を過ぎてまずくなった魚を指すこともあるそうです。いずれも海産物が豊富な地域のことです。八溝の「ねこまたぎ」は、塩がたっぷり擦り込まれた荒巻鮭のことで、あまりの塩辛さに猫も食べないもののことです。腹の中の粗塩(あらじお)も漬け物に利用し、頭は粕汁にするなどして、無駄にはしませんでした。栃木県の郷土食と言われる「しもつかれ」にサケの頭が定番ですが、我が家では、ニンジンやダイコンの膾(なます)でした。サケが入手しにくかったからと思われます。
『ほーどし』「頬通し」のことで、目刺しは竹串で目を刺していますが、「ほーどし」は藁でエラを通したものです。連ねたまま囲炉裏の「焼きこ」に載せて焼くと、藁は燃えてしまうので1尾ずつにばらけます。江戸時代から、県内には九十九里から肥料用の干鰯(ほしか:干したイワシ)が移入され、節分にイワシを飾る風習も伝播したと思われます。ただ、八溝ではヒイラギではなく、大豆の茎(豆乾:まめがら)に刺しました。「ほーどし」は小さくて塩ょっぱいものでしたが、温かい麦飯とぴったりで、頭から全部食べました。
『すだこ 』 刺身と言えば食紅で真っ赤に染められた酢蛸のことでした。葬式の精進上げに、豆腐の和え物などとともに酢蛸が膳に必ず載りました。酢蛸が使われたのは、海から遠い土地でも日持ちすること、さらには赤い色が魔除けになるからと思われます。悲しい日でしたが刺身の食べられる数少ない日でした。他地域では正月のお節料理に使われるということですが、我が家のお節の海産物は昆布(こぶ)巻きのニシンだけでした。
『さんま 』 茨城県の大子方面から県境の峠を越え、鐘を鳴らしながらオート三輪で秋刀魚売りが回って来ました。バケツいっぱい買い、その日のうちに焼いて食べることは勿論、醤油で甘辛く煮付け、頭とはらわたを取って味噌漬けにしもしました。文字どおり秋刀魚は秋の味で、鮮魚が食べられるのは僅かな期間でしたので、海の魚の味覚といえばサンマです。農家の人たちが大量に買えるほど安い魚であったからです。