
19 我が家の食生活 その3

昭和30年までの八溝の山間での食生活は自給自足が基本でした。日常と違った事日(ことび:祭日)の食べ物は、普段と違った八溝の伝統の食が作られました。
『まぐそまんじゅう』 地獄の釜の蓋が開く8月1日に作った炭酸饅頭は、その形が馬糞に似ていることから馬糞饅頭と言いました。甘い物に飢えていた子どもたちにとって何よりの御馳走でした。ただ、馬糞饅頭は厚皮だったのが難点でした。当時はどの家にも馬がいたので道端には馬糞が至る所に落ちていて、そこからマグソタケというキノコが生えました。どこにでも顔を出す目立ちたがり屋を「馬糞っキノコ」と言います。生来「ちょべちょべ」していたので、「馬糞っキノコ」と注意されました。馬がいなくなり馬糞饅頭も死語です。
『はんごろし』 「半殺し」のことですが、人を痛めつけることではなく、粳(うるち)と糯(もち)を半々にして炊き、米粒が半分になるほどに搗いたもので、全部潰すと「全殺し」となります。碗に盛って黄な粉や餡を掛けたり、丸めてぼた餅にすることもあります。「半殺し」という言葉は群馬や長野、遠くでは四国でも使用するそうです。ソバの「手打ち」とともに穏やかでない言葉です。新小豆の粒は皮が柔らかく、秋の香りがしました。
『いもぐし』 畑作地では古来から芋が重要な食べ物でした。その名残として、畑作中心地では正月のお供えには餅の代わりに芋串を供えました。三が日は芋で過ごしましたから、早く正月が終わればいいと願っていたものです。蒸かしたサトイモを串に刺し、甘味噌をつけて囲炉裏で焼くだけです。今頃は、芋串が郷土食として売られ、ついつい懐かしくなって買ってしまいます。ただ、味噌の甘みが強すぎて、芋本来の味が薄らいでしまっています。
『はっと汁』 山梨名物の「ほうとう」と語源は同じで「法度汁」と書くものと思われます。群馬県の「おっきりこみ」も同じ物です。粉は自家製の小麦を水車のある精米所に頼んで碾(ひ)いてもらいました。捏ねてちぎって味噌汁にいれた「はっと汁」は、うどんと違って澱粉が汁にしみ出るので、ぬめりが出て寒い日にはぴったりです。爺ちゃんが山で獲ってきたウサギの肉が根菜の具の中に入っていることがありました。
『ネギ味噌』 味噌に刻みネギ、時には「削りっこ(かつぶし:鰹節」が入っているだけですが、麦飯にはぴったりです。一晩置くとネギの汁が滲み出てくるので、御飯の真ん中にネギ味噌を入れ、その上に御飯を載せると御飯全体にうまみが溶け出します。御飯が終わればネギ味噌にお湯を注ぎ、飯茶椀をきれいにして箱膳に伏せ、戸棚にしまいました。
『ひねみそ』 「ひね」は去年に収穫した穀物のことです。我が家も大家族でしたから、大きな樽で「手前味噌」を造り、土壁の味噌部屋にひね味噌を保存していました。3年味噌が一番良いとされていました。凶作に備えて古い味噌から使う先人の知恵です。醤油も自家製で、絞らずに「もと」の上澄みを掬って使っていました。「もと」は、酒瓶のラベルに書かれている「生酛(きもと)」と同じだったのです。八溝にも醸造用語が定着していたのです。