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09 お店で買う物

日常の食べ物はほとんど自給していましたが、どうしても必要な物は1㌔ほど離れた店(たな)で買い物をしました。駄賃で明治キャラメルを買うのが楽しみでした。
『甲子醤油』 醤油は自家製で、「もと(酛のこと)」の上澄みを掬い取って使っていましたが、婆ちゃんが年を取って造らなくなり、1升瓶を持って店で量り売りをしてもらうようになりました。1斗樽の栓をキュと回して、漏斗(じょうご)で瓶に移してくれます。樽には「キノヘ子」と書いてあり、漢字で「甲子醤油」とありましたが、読めませんでした。その後赤い注ぎ口のキッコウマンの小瓶醤油が普及し、「キノヘ子」を見る機会が少なくなりました。味の原点は「もと」だったから、市販の醤油ではもの足りません。
『寶焼酎』 爺ちゃんは晩酌をしていましたので、1升徳利を持って買いに行くのは孫の役目でした。樽には「寶焼酎」と難しい漢字が書いてあり、読み方は見当がつきませんでした。焼酎は日本酒よりは安いものであることは分かりましたので、大人になったら焼酎でなく日本酒を飲みたいと思っていました。しかし、今は血糖値を考え、大型のプラスチックの容器には昔と変わらない「寶」の字が使われているのを買っています。
『みのり』 小学生のころは、10円札や5円札、さらには1円札に混じって板垣退助の50銭紙幣が通用していました。酒などは「お通い帳」で済ませましたが、タバコだけは現金でしたので、刻み煙草の「みのり」を買うため、様々な単位の紙幣を預かって行きました。タバコ好きの爺ちゃんは「みのり」を詰めた煙管を手放さず、囲炉裏の横座に座り、吸い終わると炉縁(ろぶち)に煙管の雁首を叩き付けて入れ換えます。吸い口から雁首に「わらっちび(藁橤:わらしべ)」を通してヤニ取りも孫の仕事でした。
『まるは』 お店にも冷蔵庫がないので、保存の利かないものは置いてありませんでした。小学校の中学年の頃になって、保存の利く「まるは」の魚肉ソーセージと、台形で巻き取って開ける「野崎のコンビーフ」缶が店に並び、肉が身近に感じられるようになりました。特に、「まるは」はプロ野球の親会社であったことから、大洋ホエールズの野球ファンになりました。今はプロ球団の本拠地は下関から横浜に移り、名前も変わりました。
『SBカレー粉』 同じ頃、赤い小さな缶に入った「カレー粉」が出回るようになりました。丸い蓋に匙(しゃじと発音)の柄を差し込んで開け、小麦粉と混ぜてルウを作ります。肉屋はないので、具は自家製の野菜と魚肉ソーセージでしたが、子どもの味覚に革命が起きました。高校生になって町のカレーを食べ、自分の家の味との差に衝撃を受けました。
『味の素』 味の素が出て直ぐの頃、茶飲み仲間が来ると、婆ちゃんは菜っ葉のお新香が真っ白になるほどたくさん掛けました。豊かな食生活をしていることを示したのです。頭がよくなるというので手の平に一杯にして直接なめました。やがてどの家庭にも普及すると、味の素は特別の御馳走でなくなり、表記も漢字からローマ字になりました。

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