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06 村外からの人たち その1

八溝の行き止まりの集落では顔見知りの人だけでの生活でしたが、そんな中でも村を訪れる人がありました。冬には屋根葺きの会津茅手(かやで)や漆器売りが泊まりで来ましたので、一緒に食事をしながら八溝と違う言葉を聞くことができました。
『毒消屋』 「毒消屋(どっけしや)さん」と敬称を付けました。「毒消」は解毒剤のことですが、広く薬全般を指しました。風呂敷に包んだ行李を背に村を訪れ、薬箱を点検し、使った分を補給しました。ケロリン、ノーシン ムヒなどカタカナ名が魅力で、なぜか効きそうでした。何よりお土産の紙風船が楽しみでした。使った分だけの支払う「先用後利」は、変わらない人間関係の上に成り立ちます。我が家には、越中富山の他に奈良県五條市の「陀羅尼助」の箱も残っています。突然空き家になって、回収されないままだったのでしょうか。毒気屋さんは回って来なくなりましたが、通販広告の「リョウシン」など富山の薬のネーミングには感心させられます。毒消屋さんは形を変えて健在です。
『博労(ばくろう)』 家族同様にしていた馬が、春になると気性が荒くなり、妙に落ち着きがなくなります。「ふけ」たのです。間もなく博労が種馬を伴ってやってきます。庭に引き出された馬はさらに落ち着きがなくなり、種馬も興奮します。頃合いを見て博労が交尾を促すと、種馬が雌馬に乗りかかります。種馬が離されるまでの時間、集まった男の子たちは固唾を飲んで見守りました。期せずして荘厳な営みに立会ことができました。うまく掛かれば(着床のこと)来春には「とんこめ(当年子の転訛:めは接尾語)」が生まれます。博労は「どんぶり」と言われる胴巻から財布を出して農家とやり取りします。
『鋳掛(いかけ)屋』 携帯用の鞴(ふいご:送風器)を持って巡回して来ると、地域の人が穴の開いた鍋や釜、金盥(かなだらい)などを持って集まりました。江戸時代の風景と同じです。穴の空いた鉄瓶がありますが、先祖から預かったののなので捨てられずに残してあります。今では鋳掛屋がきません。少しでも不具合があれば廃棄処分にします。
『お椀屋』 冬になると会津から「お椀屋さん」がやって来ます。縁があり毎年我が家に2泊ほどして、昨冬に注文を受けたものを届け、修理するものを預かります。従来まで集落では、祝儀や不祝儀のためのお椀類は共同使用していましたが、次第に各戸で家紋入りの漆器を持つようになりました。しかし、40年代には生活様式も変わり、家での人寄せがなくなり、せっかくの漆器も使われず、白い紙に包まれたまま今も残っています。
『茅手』「かやで」と濁音化しました。会津では積雪期になり、関東も農閑期で「結い」がし易い時期に、下郷大松川の茅手さんが三斗小屋経由でやってきました。親方と職人、屋根の上から指示されるままに材料を棒で屋根に上げる見習いの「地走り」がいました。八溝と違った会津の言葉に出会い、「んだ んだ」などと真似しました。

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