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05 学校生活 その2

昭和30年頃までは教育制度が整わず、統一的な国の補助金もなく、地域の財政力格差がそのまま学校の設備備品似も影響しました。教員の賃金の支払いも遅滞した時代です。
『小便所』 男子の小便所は正面がコンクリートの平面で、下は側溝状になり、足もとがスプーンカット状になっています。そこに立って脚を開いて排尿しますが、正面を向くとはね返るので、やや斜めに向きます。隣に立つ仲間の股間に自然と目が行き、劣等感を持ちました。
『ずっく』 登下校はゴムの短靴で、上履きを履く習慣はありませんでした。床の上を裸足で歩いていましたから、床板のささくれや渡り板では釘の頭で引っかけることもありました。いつからか、月星マークの「ずっく靴」を上履きにするようになりました。もともと「ズック」はオランダ語で、厚手の綿布のことです。八溝の少年はズックになれていないので、足が締め付けられて窮屈で すぐに踵を踏んで履くようになり叱られました。今も家ではスリッパを履く習慣があり ません。やがて下履きもズックになり、靴そのものをズックというようになりました。
『ちんかんぱんかん』 「ちんかんぱんかん」はデコボコや不均衡のことで、工作の作品が左右が不釣り合いの時には「ちんかんぱんかんだ」と言いました。学校の設備の「ちんかんぱんかん」はシーソーのことです。お互いに上下して均衡が取れないことからの命名ですが、公的施設で「ちんかんぱんかん」が使われたのはどうしてでしょうか。
『どうらんぼ』 ぶらんこのことです。どの小学校にも設置されていることから、子どもの発達過程で奨励された遊具と言えます。「ぶらんこ」の語源は様々で、ブラブラすることから来ているとか、外来語説などありますが、古く中国から伝わり、平安時代の文献にも出ているほどです。ただ、「どうらんぼ」は地域限定で、語源は不明です。
『だんぱん器』村の学校では給食がありませんでした。冬になると地区持ち回りで、母親たちが学校に集まって作ってくれた、持ち寄り野菜がたっぷり入った味噌汁が「給食」でした。御飯は弁当に詰めて各自持参し、学年ごとに金網の籠に入れて回収し、暖飯器に入れます。熱源は炭ですので、一番下の時は熱くて持てないほどなのに、一番上の時はほんのり温まっている程度でした。おかずは一面の海苔や、キャラ昆布だけの時もありました。たぐわん(沢庵のこと)が弁当のおかずにあると、暖飯器で温められて発酵臭が教室中に広がりました。おかずが粗末であったので、誰も手で隠すようにして食べました。
『巡回映画』 町には二つの映画館がありましたが、小学生の頃は一度も行ったことがありません。映画を初めて見たのは巡回の映画会でした。教室の間仕切りを外し、暗幕を提げて全校生対象の映画会が行われました。野口英世の生涯を描いた教育映画が巡回してきました。悲しい場面になり、みんな真剣に見ているときに、一人笑ってしまったのです。後で先生にひどく𠮟られましたが、なぜ笑ったかは説明出来ませんでした。実は人並み以上に涙もろくて、仲間に涙を見られるのがいやで、反対の行動に出たのです。以後の巡回映画の時はいつも下を見ていました。今も映画は「寅さん」以外は見ません。

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