04 学校生活 その1
村の学校は教育機関であるばかりか、保健センターや文化センターの役割がありました。父親が宿直の晩、母から預かった晩御飯を持って職員室に行き、遅くまで仕事をしている先生方の中で長居をしていました。学校が生活空間の延長でした。
『まいならい』 八溝育ちの人は「い」と「え」の区別ができません。[氏家駅]と打ち込んで、一発での変換は困難です。「ち」と「つ」も同様で、三菱鉛筆「みちびしいんぴつ」となり発音が不安定です。学校の先生も「まいならい」と号令を掛けていましたから、そのままインプットされてしまいました。後になって、「前へ倣え」であることを知りましたが、今も発音には自信がありません。教員になって、イ段とエ段の区別がつかないまま、長年受験生に古典を教えていました。不満を言わなかった生徒たちが賢かったのでしょう。最後に勤めたこども園では、体側に肘を付けた「小さいまえへならい」をします。
『ストーブ当番』 上級生のストーブ当番は、焚き付けの杉っ葉と粗朶木(そだっき)を持っていつもより早く登校します。焚き付けを鋳物製の達磨ストーブに入れ、校舎の軒下に積んであった薪を重ねます。職員室から預かった大きな箱マッチで火を着け、手の平で包むようにしてストーブに移します。風呂焚きが日課でしたから、火の扱いには熟達していました。下級生が登校する頃には教室はぽかぽかです。後々、キャンプ指導などの焚き火の時に実力を発揮しました。何と言っても実用から学んだキャリアーがあります。
『だら汲み当番』 「だら」は糞尿のことです。村の予算が汲み取りにまで回らなかったのでしょうか、6年生の男子には「だら汲み当番」がありました。学校近くの山中に掘られている穴まで天秤棒(てんびんぼう)で捨てに行きます。学校の便所はほとんどが小便ですから、「だら」が桶から跳ね上がらないよう腰を上下動させないで歩くのがコツです。自分のものは自分で処理するのは当たり前でした。今はすべて「水に流す」ことが当然で、時には自分のことを他人に転嫁することさえあります。
『手鼻』なぜか当時の子どもたちは青っ洟(はな)を垂らしていました。ちり紙(し)は持っていないので袖口で拭いていましたから、いつもペカペカです。上級生になると手鼻(てばな)が出来るようになります。片方の鼻孔を指で押さえ、勢いよく息を吹き出すと洟は遠くへ飛んでいきます。うまくいかないと顔中に飛散してしまいます。その時は袖口か教室のカーテンで拭きます。今は棒鼻を垂らしている子がいません。
『お釣り』学校の便壺は小便が圧倒的です。そのため大便をすると跳ね上がりの「お釣り」が尻ばかりか顔にも掛かります。先生に話したら、排便の瞬間に尻を左右に振るようにと教えくれました。尻を振ることで斜めに落ち、落下エネルギーが分散され、お釣りの高さが防止できました。宿直があったので先生も「お釣り」で苦労していたのでしょう。