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03 子どもの世界

昭和31年に「もはや戦後ではない」という経済白書が出て、都市部では産業構造の変化により、生活様式が大きく変わり始めました。しかし、八溝は恩恵を受けることが少なく、まだ「戦後」の延長でした。そんな時期にゆっくりと豊かな時間を過ごすことが出来ました。
『どどめ色』 「どどめ」は方言で桑の実のことで、桑の実が熟した濃い紫色が「どどめ色」です。冷たい川で長く水浴びをしていると唇が「どどめ色」になりました。川からの帰り道の土手には大きな山桑の木があり、「どどめ」がたくさんなっていましたから、唇が本当の「どどめ色」になるほど食べました。『赤トンボ』の歌詞に、山の畑の 桑の実を 小籠に摘んだは まぼろしか」とありますが、小籠に摘んだことはありません。河川改修で桑の木も伐採され、「どどめ」は食べられなくなり、それとともに言葉も消えてしまいました。
『縁側将棋』 南側は雨戸のない濡れ縁はオープンスペース、半ば公共の場でした。気兼ねなく縁側に上がり込み、床の間にあった将棋盤を持ち出し、将棋を指しをしました。しかし、多動性で注意力散漫なので、将棋の腕はさっぱり、いつも待ったばかりでした。冬の陽射しの中の射す縁側は竹細工の場ともなり、競ってメジロ籠を作ったりしながら社会性を身に付けました。近年の住宅は縁側がサッシの中になり、自由に上がり込むことは出来ません。
『かわらけ』 「瓦笥」と書き、釉薬(うわぐすり)を掛けない素焼きの土器です。今でも寺社では「かわらけ投げ」が行われています。夏になると、子どもたちは水遊びをしながらパンツから透けて見える相手の股間に敏感になります。「お前(めい)、まだかわらけが(まだ無毛か)」と言われると、晩生(おくて)であったので、ひどく悩んだものです。子どもたちがさりげなく使っていた「かわらけ」は何とも上品な表現です。
『しみず』 昨年の夏まではズロースだけで水浴びをしていた女の子が、今年から「しみず」を着て川に入るようになりました。水中から上が度に、胸の辺りの貼り付いた部分を剥がします。男の子たちはその仕種が気になって仕方がありません。女の子は、次の年から川遊びに加わりませんでした。そのため、男の子たちも、次第に川遊びへの関心が少なくなりました。「しみず」が「シュミーズ」だと知ったのはずっと後です。
『十三参り』 小学校の5年生の春休みには、知恵を授けてくれる東海村の虚空蔵さんへの「十三参り」を兼ね、大洗の海に行くバス旅行が恒例でした。山間の子どもたちに海を見せようという配慮であったのでしょう。先生から、海に近づきすぎないようにと事前の注意がありましたが杞憂に終わりました。実際に海を見た時、憶せてしまって誰もが波打ち際に行けず、遠くから眺めているだけした。なぜか方向感覚が狂ってしまい、学校で習った地図帳と海の向きが反対なことには納得できませんでした。もっと早く海を見ていたら違った人生があったのではないかと思うことがあり、今も海を見ると異常に興奮します。

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