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02 地域の付き合い

狭い山間の八溝地区では、主産業が葉煙草耕作を中心とする労働集約型の農業でしたから、隣近所の協力が不可欠でした。昭和40年代になると、農業の衰退とともに過疎化が進行し、さらには家の改築により、集落全体が集まる開放的な人寄せの空間もなくなりました。高齢化も相俟って、八溝の古き良き人間関係が崩壊しつつあります。この理由には、周囲への過剰なまでの気遣いからの解放という地域社会の内部の力が作用したも言えます。
『もやいっこ』 「もやう」は催合いと表記する古いことばで、共同で助け合いながら作業をすることです。「結い」とか「ゆいっぱか」も同じで、労働力の交換をします。田植えの日には多くの人たちと一緒に田の畦で「小時飯」を食べるのも楽しみでした。今は機械化が進み、自分の都合に合わせて農作業をしますから、「もやいっこ」はなくなりました。
『かみごと』 神事のこと。自分だけ農事を休むことは体裁が良くありません。男衆は60日に1回のお庚申様、女衆は旧暦23日の月待ち講の「三夜様」などの日には農事を休み、回り番の宿に集まって飲食をともにしました。その他に「雨っ降り神事」もありました。30年代から兼業農家が多くなり、会社の休みが優先し、神事も無くなってしまいました。
『ござっぱたき』 茣蓙叩きの転訛。葬儀もそれぞれの家でやっていましたので、帳場の決着がつくと、当家による組内へのお振る舞いになります。普段物静かな人が、酒が入ると、日ごろの近所付き合いの不満を爆発させ、周囲の人に絡んで帰ろうとしません。奥さんが「父ちゃん早ぐ帰っぺ」と言っても聞くっちゃない。そこで、周囲の女たちはわざと茣蓙を叩きながら片付けをして帰宅を促します。何事につけ長居をする人を「茣蓙叩き」と言います。
『言い継ぎ』 役場の通知などは回覧板で廻りましたが、組内の集会などの急ぎの時は口頭での沙汰(さだと濁る)の「言い継ぎ」が主でした。隣の婆ちゃんが来て、いつもと違う口調で「明日の夜、6時からお通夜だと。言い継ぎ回しとごれ」と言って帰ります。忘れないように反復し、次の家に言い継ぎの口調で伝えました。今は勤めの人が多く、日中は留守が多いので「言い継ぎ」は出来なくなりました。
『道普請』 土側溝の泥上げ、土手の草刈り、橋の補修など、地域の道路は地域で維持していました。中でも、板橋は馬が嫌ったので、板の上に筵(むしろ)を敷いて土を被せた土橋にしました。そのため痛みも激しく、毎年補修が必要でした。都合で出られないときは「出不足」という課金を払いました。自助共助の「道普請」の精神も、過疎と高齢化で維持できなくなって、今は、小さな事でも役場に依頼しています。
『げーぶわりー』 「外聞が悪い」の転訛で、世間体などと同じです。特に婆ちゃんが孫を叱るときに「げーぶわりー」と言いました。このため、子どもながらに世間体ということを意識させられました。必要以上に外聞を気にするのはどうかと思いますが、昨今は傍若無人の振る舞いが多すぎるように思います。もう少し外聞を気にすることも必要でしょう。

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