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01 八溝言葉は品がある

八溝言葉は野卑なイメージがありますが、関西のことばが海を通して房総や常陸から直接伝わったものもあり、また、江戸のことばが伝播して転訛(てんか:なまる)したものなど、由緒ある言葉が多くあります。その語源を辿ってみましょう。
『あったらもん』 古くは広い地域で使われていました。語源は「あたら」で、『源氏物語』にも出てきます。漢字で可惜と表記、「もったいない」という意味で、「あたら若い命を失う」などと使います。「あたら」が転訛した由緒のあることばで、八溝ではまだ現役です。
『ざんぞばなし』 婆さん同士が、炉端で嫁の「ざんぞばなし」をしながらお茶飲みをします。讒訴か讒奏(ざんそう)が濁音化したもので、悪口の意味です。元は事実でないことを天皇に奏上することで、菅原道真は、政敵の讒奏で左遷させられました。
『いんがみる』 「風邪ひいていんがみっちゃった」と口説(嘆く)きます。もとは仏教用語の因果応報のことで、行動の善悪によって、良くも悪くも報われることですが、悪いだけの意味になりました。不都合なことを神仏のせいにするのはいつの時代も同じです。
『ころひく』 「甲羅を経る」ことが語源で、長命の亀が年齢を重ねることを意味し、知恵があるという意味になりました。元来は悪い意味でなかったのに、悪知恵が働くことになり、狡いという意味に限定されました。負の感情だけに限定されて残る言葉の典型です。
『でほらく』 放埒(ほうらつ)が語源で、馬が埒(らち:囲い)から跳び出し、勝手気ままにすることか由来です。さらに「出」がつくことで、気ままさが強調され、「出任せを言う」に変化しました。県内で広く使われていましたが、今でも八溝では現役です。
『とんぼ立てる』 「とんぼ」は「戸臍(とぼそ)」の転訛で、もとは戸を回転するヘソ(穴)を指し、やがて、戸そのものを言うようになりました。『平家物語』にも出てきますし、今でも古寺や古い商家では「とぼそ」を使って、戸の開け立をてします。
『後世焼ける』 「後世:ごせ」は仏教用語で死後の世界です。感情が抑えられず、この世だけでは収まらず、あの世まで持ち越すほどの時に「後世焼ける」と言います。「焼く」は、心を悩ますことで、「意地を焼く」と使います。仏様も苦笑しているでしょう。
『お辞儀』 語源は挨拶をすることで、遠慮する意味にもなり、茶菓子を勧める際に「お辞儀しねでおわがんなんしょ(遠慮しないでお上がりなさい)」と言います。あまり「お辞儀」ばかりしていると付き合いが悪いと思われるので「さぐぐよばれるよ(遠慮なくいただきますよ)」と言います。
『堕落』 もともと仏教用語で悪道に落ちることですが、広く健全でないことになり、八溝では不注意による緊張感欠如の意味で使われます。怪我をすると「だらくしてっかんだ(不注意だからだ)」と𠮟られます。
『稀代』 不思議なことで、さらに優れていることにも使い、「稀代によぐ手伝いすんね」と褒めてもらいます。捜し物見つからない時も「稀代だ(おかしいな)」と言います。
『くどく』 口説くことで、心の中を長々と訴えることから愚痴をこぼす意味にもなりました。「よぐよぐくどかれっちゃた(ひどくごねられた)」と世迷い言をします。

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